かぐや姫の登場シーンとあの漫画の冒頭の共通点(『竹取物語』)
かぐや姫の登場シーンを思い出してみよう
この連載では、古典文学に関するあれこれを気ままにつづっていく予定です。
最初に紹介するのは昔話のかぐや姫でおなじみ、『竹取物語』の冒頭シーン。
―今は昔、竹取の翁といふものありけり。(中略)その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。ー
本文を見ると、かなり簡潔に書かれていておじいさんが竹を切った描写はすっぱり省略されています。とはいえ、切らないと中を見られないから切ったのでしょうね。
問題は、竹の筒の中にかぐや姫がいた、というところ。帰る時は堂々と空飛ぶ車に乗っていくのに、来る時はずいぶんひっそりとしているなあと思ってしまいます。しかも、竹の筒は隙間などのない密閉空間。「どこから入ったんだかぐや姫」と突っ込んだ人もいるのでは。
実は、かぐや姫や竹取の翁が登場する話は複数残っています。『海道記』『今昔物語』『万葉集』などにこっそりまぎれるように存在していて、短く文章も簡素です。その中には、かぐや姫が鶯(うぐいす)の卵から生まれたという話もあるとか。
鶯の卵と竹の筒の共通点はやはり、入り口も出口もない密閉空間であるということ。そしてかなり狭いです。三寸、つまり9センチくらいの身長のかぐや姫の場合、立ったままでいると危険なレベル。竹をスパンと切った時に首までスパンといってしまう可能性があります。座っていたのは、安全のためでもあるわけです。
某CMで「ぱっかんつながり」と揶揄されていた桃太郎の話では、桃の中に桃太郎がいるというやや苦しい設定になっています。あれも首はねてしまう危険があるので、勝手に割れることになっていますね。そもそも中が空洞の桃があったのかどうか。昔観たトリビアの泉という番組の情報によると、桃を食べて若返ったおじいさんとおばあさんが普通に作った子どもが桃太郎だった、という裏事情があったみたいですね。桃には仙境のイメージがあり、食べて若返るという話の流れの方がスムーズです。
狭苦しい空間の持つ意味
こういう狭苦しい密閉空間について、どう考えるべきでしょうか。母なる子宮のイメージ、という可能性がありますね。鶯の卵や桃はなんとなく似ている気もします。ただ、竹だけはスカスカしているし似ても似つきません。子宮なら少しは潤っていないといけない気がします。
かつて大学時代の教授がこのことについて、「ワープ装置のようなものではないか」と話していました。なるほど、SF小説などで物や人をワープさせる場合、狭いカプセルのようなものに入れてスイッチを押すようなシーンがあったような気がしますね。そして似たような大きさや形の空間に転送されるイメージです。
ふと思い出す国民的マンガの冒頭シーン
そう考えてみると、国民的人気漫画の冒頭シーンが頭に浮かびました。『
ドラえもん』です。第1話のドラえもんは大きくて重そうな体をしており、それが机のひきだしからにゅっと出てくるシーンは下手をすればトラウマもの。ひきだしは閉めた状態なら密閉空間に近く、やはりワープ装置のイメージに重なります。タイムマシーンは、時空を跳び越えるワープ装置とも言えますからね。
あと、『ドラゴンボールZ』で赤ちゃんの孫悟空が地球にやって来る際、丸っこい宇宙船に寝かせられていたのも思い出しました。あの宇宙船は、鶯の卵のイメージに近いですね。あれは瞬間移動ではなく高速移動でしたが。
このあたりは作者をつかまえて問いただしたいところなのですが、残念ながらどちらの作品の作者も故人となっています。少年時代に熱中した2大ドラと関係あるかもしれないなんて、考えただけでもワクワクするのにくやしいですね。
そうしてとても小さな姿で月から人間世界にやって来たかぐや姫。たった3か月で成人と同じ大きさになったとされています。この成長スピードは、竹の生育の早さにもつながるところ。そしてすったもんだの末、月へ帰ります。体が大きくなったのでワープが難しくなったのでしょう、月からの使者が迎えに来ます。そうして空飛ぶ車に乗って、えっちらおっちら帰っていくのです。
