かつてがいま出逢える場 ー運慶 祈りの空間 ~ 東京国立博物館
運慶 祈りの空間
東京国立博物館で9/9から始まった特別展。
特に何かあった訳でもなく、すごく魅かれた訳でもなく、あー行ってみようかなくらいの軽い気持ちで観に行って来た。
例によって前情報は殆ど入れてなくて、仏像展なのかな、くらいのもので、しかも運慶もよく知らなかったので、仏師とは存じ上げず僧侶か何かなのだと思っていた(ごめんなさい)。
本館での特別展示で、撮影はNG。
展示場へ足を踏み入れた瞬間、あれ?っとなった。 なんだ、これ?
仏像があるのは、分かる。だけど、そのまえの、この空気感は、この感覚は、なんだ?
仏像の展示されているものは幾つも行っているけれど、今までにない感覚がその場にあって、展示を観る前に、入口脇の全体を眺められる所で少しその場を感じてみることにした。
あー、さっきここに居た兄ちゃんは、これやってたのか。なるほど。私が入って来た時に、今私が居る場所に20代くらいの背の高い若者が、仏像を観てるでもなく立っていて何してるんだ?と思ってたのだけど。
入って真正面に弥勒如来坐像、両脇後ろに世親菩薩立像と無著菩薩立像の3軀があり、それを囲むように四天王像の持国天、増長天、広目天、多聞天がいる。その、7軀のみの今回の展示。
弥勒如来さまを真正面に見据えたその場所で、しばらく呼吸を合わせてみる。
すぅーっと自分の安らぎの場へ入ることが出来る。これだけ人がいるのに。そしてその感覚のままでいられる。なんだ、すごいな、これ。
展示会場である場にこれが造られていることにびっくりして、何でこうなってるんだ?という興味が爆走し、すぐ脇で流れている北円堂の映像を取り敢えず見て、この場が奈良にある興福寺という所の北円堂内陣の再現を試みている場だと理解した。
ようやく何となくの氣配の欠片が分かったので、仏像の方へ歩んだ。
もう仏像は、それぞれ単体でのエネルギーがすごくて、細かい部分の作意をなぞろうとする思考や自我を何とか横へ置いて、ただただ感じるように眺めていた。

弥勒如来坐像からは暖かさを感じ、世親菩薩立像と無著菩薩立像は、人の生の氣配を感じる。
増長天ではハートから下のエネルギーが動き、多聞天では指す方向へと引っ張られる。
四天王像で動くエネルギーは、人それぞれその時の様子で変わるのではないかな、と感じる。呼応する所が変わると言うか。
私は今回は増長天と多聞天だったけれど、別の人は持国天や広目天に呼応するかもしれない。
私ももし次行ったら、別の像で呼応するかもしれない。その時々に応じて、知らせてくれる感覚だった。それがイイとかワルイとかではなくて。


一周ぐるっと廻って、それぞれの説明文も読み、改めて感覚だけでもうひと廻りしてみる。
うん、やっぱり同じように感覚が動く。
中心の3軀の後ろ側もすごいけれど、各四天王は、見る角度によって受けるエネルギーが変わるから、自分が一番しっくり来る箇所で止まって観るといいかもしれない。そこで、自分の内のエネルギーが、動く。
私の場合、多聞天は真正面ではそれ程でもなかったけれど、ちょっと位置をずらしてやや斜めで向かい合うと、きゅぅーんと斜め上方向へ引っ張られた。
それぞれのパワーがすごいのに、更にそれがこの形になったうえでの共鳴エネルギーがものすごい。

運慶展リーフレットより
帰ってから家で色々調べたら、現在の北円堂には弥勒如来坐像、世親菩薩立像と無著菩薩立像の3軀がおられ、四天王は中金堂におられるけれど、かつては北円堂に安置されていたという有力説から、当時の興福寺北円堂の空間を蘇らせる今回の展示だったらしい。八角形の展示空間は、北円堂の八角須弥壇しゅみだんとほぼ同寸に作られているとのこと。
これを蘇らせようとした方々の発想とエネルギーが、あの場にしっかりと現れていて、あの空間を造り出していた。
そして、運慶とお弟子さん達が木という形をとおして現した本質のチカラ。
それら全ての相乗共鳴力。
今回の展示のタイトルに「祈りの空間」という言葉が使われているのも、わかるような氣がする。
奈良にある興福寺北円堂へは行った事がないので、実際の今のその空間は知らない。
けれどもここ東京で、かつての北円堂の空間はそうであったのかもしれない、という氣配は充分に感じたこの運慶展。
実際あの場には、普通の仏像展示会では感じた事のない空間が、そこにはあった。まるでかつての北円堂へ訪れたかのように。


運慶という人は
木彫りに本質を込めて現わせる特質があって
それにより 時間を問わず
いまというトキに
かつて を現わしてくれる
かつて なのだけど
そのエネルギーパワーは
向かい合う いま にあって
時空間を超えているもの
それぞれの持つパワーも凄いけれど
そこに 場 という空間を
座標として組み合わせると
概念の時を超えて
いま目の前にそれらが現れる
それが出来てしまうんだ ということを
知らせてくれ実感させてくれたのが
今回の運慶展
本当に ありがたい

つまりは
その特質により現わされたものは
物質的なものであれ時間的なものであれ
今までの概念関係なく
そう 現れるのだ と
知らされたわけで
ここに呼応すれば
凝り固まっている今までの
そうである という概念も
揺らぎの取っ掛かりになる
かもしれない

上野の東京国立博物館で
11/30まで開催されているこの運慶展
その「祈りの空間」を感じに
訪れてみるのも いいかもしれない
その時には
どうぞ思考にはお留守番してもらって
頭を空っぽにして
その 場 を感じて
ゆるりと くつろぎながら
自分のまんなかから
観ると たのしい
それぞれの 祈りの空間 に
出逢えますように
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