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産業の“糧”を誰に握られるのか ーー 基礎原料供給網の地政学リスク

2025年は「令和の米騒動」と言われた国産米の供給不足から生じた価格高騰に振り回されたといっても過言ではないと思います。

この騒動によって、日本の食料安全保障や一次産業について、国民的議論が生じたことは良いことだと考えます。

一方で、「JAが価格コントロールしている」「農家の生産性が悪い」といった報道がされていました。政権によって、農業政策も二転三転、変化して、市民や現場が置き去りになっている感じも否めません。

では、その本質は何だったのか?

その原因の一部と、一次産業だけではなく、二次産業にも差し迫ったリスクについても、考察してみました。


1. すでに起きたこと:肥料は「高くて買えない」

ここ数年、日本の農業現場では肥料原料の価格高騰と供給不安が現実になった。

背景は単純で、原料の多くを輸入に依存し、しかも供給国が偏っていたことにある。輸出国が国内事情や政策変更で輸出を絞れば、こちらは市場で“争奪戦”に巻き込まれる。

日本における、リン、窒素、カリウムの自給率は0%
100%近くを、輸入に頼っている。

農林水産省特集「輸入原料に頼らない国内資源由来の肥料をつくる」
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2312/spe1_04.html

重要なのは、これは「値段が上がった」だけではなく、必要な時に調達できないという安全保障上の現象だった点だ。

政府は肥料を経済安全保障推進法の枠組みで重要物資として扱い、備蓄・調達多角化などの支援を進めた

だが、これは危機が顕在化してからの対症療法であり、国内生産基盤を失ったあとに元へ戻すのは難しい。

肥料の教訓は明確だ。
輸入依存は、平時は効率でも、有事には弱点になる。


2. 次に起きていること:医薬品は「欠品」が常態化しうる

医療現場では、抗菌薬など“あるのが当たり前”だった薬が安定供給の危機に晒されている。多くの原薬・中間体が海外製造に依存し、さらに薬価の構造上、メーカーが投資しにくい。結果として、特定の国・地域の供給に連鎖的に影響を受ける。

ここでも本質は同じだ。

国内に基盤がないと、世界的な供給ショック時に「金を積んでも買えない」が起こる。ワクチンや医療資材で見た“自国優先”は、医薬品でも起こり得る。

そして、この医薬品の構造は、次に述べる「基礎化学品」と驚くほど似ている。

低収益・コモディティ化・海外依存・供給偏在・有事の優先順位低下——条件が揃っている。


3. そして本丸:基礎化学品が止まると、産業が止まる

肥料や医薬品が“生活の基盤”なら、基礎化学品は“産業の糧”だ。

エチレン、プロピレン、ベンゼン、トルエン、キシレンなどの基礎原料が滞れば、包装材、洗剤原料、樹脂、合成ゴム、半導体製造用薬液、建材、自動車部材まで連鎖的に止まる。ここが重要で、基礎化学品は一品目の不足が「玉突き」で広範囲を止める

平時は「輸入品を安く使えば良い」と見える。
だが、有事にはそれが“輸入途絶=産業停止”へ変わる

つまり、基礎化学品は 食料安全保障・医療安全保障と同格の “産業安全保障” の中核に位置する。


4. 何が脆弱性を加速させたのか:高度化法と“合理化の副作用”

国内の基礎原料製造力が落ちている背景として、エネルギー供給構造高度化法(いわゆる石油高度化法)の運用がある。
本来は製油所の効率化・環境負荷低減を狙ったものだが、日本では製油所と石化コンビナートが一体で動くケースが多く、製油所の統廃合はナフサ供給とクラッカー稼働に波及する。

政策的には「需要減の国で過剰設備を抱えるのは非効率」という判断になる。しかし、その合理化は 冗長性(スラック)を削り落とす

その結果、供給ショックを吸収する“余力”が消え、システム全体が脆くなる。

企業として高機能品へシフトするのは合理的だ。

だが国家としては、「ビルディングブロック(基礎の構成要素)を自国で作れない」状態を招く。原料が止まった瞬間、高付加価値の生産も同時に止まるからだ。


5. 世界の潮目:供給は中国・米国に偏る

ここに地政学が重なる。

  • 中国は5カ年計画のもとでエチレンやPXなどの能力を拡大し、輸入依存の低下と輸出攻勢を進めている。国内需要が弱い局面では、過剰能力が輸出に回り、市況を崩す(ダンピング的圧力)可能性も高まる。

  • 米国はシェール由来(特にエタン)でコスト優位を持ち、誘導品(例:ポリエチレン)の輸出ポテンシャルを高めている。

日本は高コストのナフサクラッカー中心で、安価な米国品と大量の中国品の板挟みになりやすい。
この環境が「国内設備の採算悪化→停止→国内能力の不可逆的縮小」を加速させる。

Fig. 石油化学におけるリスクについて

6. 有事シナリオ:戦争でなくても、供給は“武器化”される

想定すべきは、戦争だけではない。武力行使がなされなくても、政治に起因する経済的なリスクはここ数年、日本は実感している。

以下、当方が想定したリスクである。

(A)台湾有事・シーレーン寸断
南シナ海・台湾海峡がリスク海域化すると、輸送は迂回・遅延・保険料高騰が起きる。ナフサや中間体の輸入が細り、在庫が数週間で逼迫すれば、稼働調整からライン停止へ進む。

(B)経済的威圧(エコノミック・ステートクラフト)
輸出国が「環境規制」「国内優先」「輸出検査」を理由に輸出を絞れば、供給は止まる。価格決定権を握られれば、価格操作で川下の利益を吸い上げられる。

(C)パンデミック・災害
世界同時ショックでは“自国優先”が発動し、輸入国は後回しになる。結果として「買えない」が起きる。

肥料・医薬品で見た現象が、基礎化学品で起きない保証はない。
むしろ、起きた時の波及範囲はより広い。


7. では何をするか:論点は「採算」ではなく「安全保障コスト」

結論はシンプルだ。
基礎化学品の国内製造基盤は、採算事業ではなく“国家の保険”に近い。

考えるべき打ち手は、次の3点に集約される。

  1. 特定重要物資の射程拡大
    半導体・肥料・抗菌薬だけでなく、その“原料の原料”として基礎化学品をコア・インフラとして扱う。

  2. 高度化法運用の安全保障例外(セキュリティ・エクセプション)
    平時は非効率でも、有事に最低限を賄える“サージキャパシティ”を戦略的に温存する。

  3. 輸入偏在を減らす(国内回帰+同盟国内完結)
    フレンドショアリングは重要だが輸送リスクは残る。最後は国内に一定の基盤が必要。
    加えて、ケミカルリサイクルは環境対策だけでなく「国産資源化」として位置づけ直す余地がある。


8. おわりに:肥料・医薬品の次は、産業そのものが止まる

肥料は食料を止める。医薬品は医療を止める。
そして基礎化学品は、産業の連鎖を止める

もし国内基盤の縮小がこのまま進めば、日本は「産業の糧」を他国の政策や紛争の帰結に委ねることになる。
これは“価格”の問題ではなく、国家の自律性(生存能力)の問題だ。

議論すべき論点は一つ。
基礎化学品を、どこまで「市場」ではなく「安全保障」で守るのか——。

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