家族なんだから
姉に会うのが億劫だった
子供の頃以来、会話を避けてきた
23年間、まともに話してこなかった
そんな姉に頼るのが、申し訳なかった
1月14日
「身元保証人となってくれる方、2人のサインと判子をお願いします」
入社手続きの話し合いの最後に、
そう言われ用紙を渡された
『身元保証人』
私の肩は重くなった
「身元保証人、無しではダメですか?」
そう食い下がったがダメだった
『身元保証人』
私の身元を保証する人はいるのだろうか
そう考えながら帰った
1週間後の1月21日
母に電話で身元保証人を頼んだ
隣で話を聞いていた父が、
引き受けてくれることになった
その日のうちに、実家へと帰った
実家には、姉が子供と犬を連れてやってきていた
私には姉が2人いる
4つと6つ歳が離れている姉
この日会ったのは4つ離れている次女の姉
姉の飼っている犬にも初めて会った
chatGPTで犬の躾をしている姉
犬のお手は両前足で襲いかかる勢いだった
chatGPTを父や私に勧めてきた
ChatGPTのアプリだけは登録しておいた
父に身元保証人の名前を書いてもらい、
もう1人は空白のままだった
姉から
「私が書こうか」
と提案されたが、断った
「もう1人はなんとかするから」
そう強がり、帰った
家族には、仕事を辞めたのは年末だと嘘をついていた
本当は5月から働いていない
罪悪感を感じながら帰った
本当のことは、まだ誰にも何も言えなかった
さらに1週間後、1月28日
これから入社する会社に、身元保証人は1人でどうにかならないかと電話で相談をした
やはりダメだった
家族LINEに、恐れながらも連絡を入れた
「身元保証人のサインって誰か親族に書いてもらえるよう頼めるかな」
次女の姉がすぐに
「私が書こうか?」と言ってくれた
次の日に、姉の家に行くことになった
足取りは重かった
姉に会いたくなかった
姉と話すのが怖かった
これまで関わりを最小限に済ませていた
実家では両親がいたからなんとかなった
これから向かう先には、両親もいない
姉と話さなくてはいけない
どう話せばいいかもわからなかった
最寄駅に着くと、姉が車で待っていた
初めて姉の運転する車に乗った
ペーパードライバーと母から聞いていたが、
そんなことはなかった
姪っ子を幼稚園に送っては車に傷をつけていたのは、8年も前の話だった事を思い出した
私の方が運転は下手
姉の家に向かう最中は、何も喋れなかった
相槌を打つので精一杯
姉の家に着いても、私は緊張したままだった
リビングの椅子にもソファにも座る気になれず、リビングの端っこの床に座り、身元保証人の用紙を出すタイミングを伺っていた
姉は、風邪をひいた実家の母のために、姪っ子と犬を連れて数日分の食料を買いに出かけた
私はお昼ご飯と実家に持って行く料理を作ることになった
姉の家に着いて早々に1人きりとなった
そわそわと落ち着かないまま、時間だけが過ぎた
買い物を済ませた姉に身元保証人の名前を書いてもらい、姉と2人で実家へと向かうことになった
「最寄駅で降ろして」とは言えなかった
風邪がうつらないよう、姪っ子はお留守番
また姉と2人きりで話す時間が生まれた
まだ、本当のことを話す勇気はなかった
実家にもうすぐで着く
そんな時に
姉が休職していることを語ってくれた
姉は鬱で仕事を休んでいた
だから、私も真実を言えた
「ごめん、実は先月自殺しようとして、ダメだったんだ
仕事を辞めたのも、12月じゃなくて、本当は4月」
姉からは
「なんで、、、」と言葉にならずに泣きそうだった
詳しい話をする前に、車は実家に着いた
車を降りる時に姉から
「もし死んでたら、母は後を追ってるよ
2人には言わないでおいて」
と言われた
実家では、珍しく母が風邪をひいていた
大分にいる母方の祖母が危篤で、
12月から入院していた
その心労から、母も体調が崩れていた
実家の冷蔵庫の片付けをして、晩御飯の用意をして、また姉の車に乗った
実家の近くのバスで帰る方が簡単に帰れた
でも、姉の車に乗った
姉と話がしたかった
今まで会話をしてこなかった私と姉
姉からは、
「語らない性格だと思ってた」と言われた
姉は私を家族だと思っていた
私は家族というものが分からなくなっていた
家族に頼ることは迷惑になると感じていた
でも、そうではなかった
姉の家の最寄駅に着いても、姉と話し合った
4月に死ぬつもりで会社を辞めたこと
11月の祖母の一回忌では、平静を装っていたこと
12月2日に自殺に失敗したこと
12月18日に本に出会ったこと
12月19日に生きる決意をしたこと
2月には、支払い能力がなくなり、12月の自殺に失敗しても死ねる予定を立てていたこと
3時間ほど話し合っていたら、姪っ子から姉に電話がきた
「まだ帰らないの?」
3時間では、今まで会話をしてこなかった23年分を語るには足りなかった
最後に
「話してくれてありがとう
家族なんだからもっと頼って
気軽に家に遊びにきて」
と言われて車を降りた
私には、姉が優しくする理由がわからなかった
私には、その優しさを受け取る理由が見つからなかった
私は、ひどく自分勝手に生きてきた自覚がある
帰り道の電車の中で、家族ってなんなのかを考え続けていた
それは自宅についても分からなかった
1月31日の夕方
自宅のインターホンが珍しく鳴った
Amazonでは何も買っていない
玄関の扉を開けると、郵便局の人だった
「現金書留です」
現金書留?
裏を見ると、姉の名前があった
中には、3万円が入っていた
すぐにLINEを送った
「こんな事しなくてよかったのに、ありがとう」
「届いた?
このくらいさせて
自分がされて嬉しいことをしたいし
たのしいこととか美味しいものは共有したいのが私の性格🙆♀️」
その後も、
紅茶のパックや衣類一式が送られてきた
姉の優しさに触れた1月31日
私は『ごめん』を捨てた
申し訳ないとは思わないようになれた
私も優しさを贈ろうと初めて思えた
謝る生き方を、私は12月18日に指摘されていた
「すみませんではなく、ありがとうと言いなさい」
この言葉が、私の中で重なった
私は、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えられるようになっていた
仕事を始める前日、noteを始める前日
私は、謝る生き方を辞めた
代わりに、優しさを受け取れるようになった
6月24日
姉から
「前に送ったスタバの福袋のチケット28までだからまだ残ってたら使ってねー!」
と、LINEがきた
スタバのチケット?
書留の袋の中に入っていたらしい
姉さん
