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初めてで、最後のスープ焼きそば。 #あれがそうだったのか

ちょうどこの季節だった。来月には進級して、中学2年生になる頃だった。暗くて不安な夜を啜るようなあのスープ焼きそばを、祖父とふたりで食べたのは、あのときが初めてで、最後だった。


私は、物心つく前から祖父母と暮らしており、実父母よりも祖父母のことを「両親」と呼ぶ方がしっくりときた。祖父母は、お父さんお母さんとは違う。しかし、おじいちゃんおばあちゃんほど遠くにはいない、とても密な位置でつながっている。


祖父母は、私を養い育ててくれた。こそばゆいほど大切に、しっかりと向き合い、3人で生活していた。


ちょうどこの季節だった。来月には進級して、中学2年生になる時期に祖母が倒れた。救急車で運ばれ、緊急手術となった。4時間の手術を経て一命を取りとめることができた。そして、そのまま入院することとなった。

祖母は、ICUでの治療のため、面会できない状態が続いた。

私は、生きようと頑張る祖母の力に、うれしさと安堵を覚えるとともに、面会ができない状態が1日増えるたびに、これまでの祖母と過ごした時間は有限であったことを切実に知った。有限の先には別れがあることもいっしょに。

祖母のことを思うと仄暗い不安につぶされそうだった。考えたくなくても「もしも…」と考えてしまい、眠ることができなかった。私は、上書きするように、神さまや地球や宇宙に祖母の回復を祈った。


それでも、生活は続いた。ぽっかりと穴が空いたような心持ちで、私は学校へ行かなければならないし、祖父は農作業へ行かなければならなかった。


淡々と進む時間の中で、しんしんと祖母の存在が積もってゆく。静かな夜に似た空白へ、しんしんと積もり続けた。その存在を感じるほどに、途方もなくさみしさは増してゆく。

祖父母との食事は、朝は祖父が作り、夜は祖母が作っていた。朝食は、ご飯とお味噌汁と焼き魚と浅漬けで、祖父は早朝に起きて毎日作ってくれていた。祖母が入院すると、夕食は、ときどき母親がカレーを持って来てくれたり、スーパーの惣菜で食事をした。

祖母が入院して半月が過ぎた頃、私は夜に食べるものがないことに気がついた。祖父も心ここに在らずで、私もそういえばお腹空いた、と夜分にやっと気がついた。


精魂尽きてから空回りながら、こんなときでもお腹は空くことに、はたはたと生きていることの苦味を感じた。そして、そのときに私をとりまく環境の外側へ立った気がした。学校とかお金とか、その向こう側にある動物としてのかなしみで立ち尽くした。


私は祖父に声をかけると、カップ焼きそばがあることを思い出した。棚からふたつ取り出すと、祖父がやかんでお湯を作った。カップ焼きそばは祖父に任せて、私はテーブルを拭いた。そして、祖父がカップ焼きそばへお湯を注いでテーブルへ置いたので、私は3分待つ間に、お手洗いへ立った。


お手洗いから戻ると、カップの蓋が開いていた。カップの中身はたぷたぷと暗くて、ぷーんとソースの匂いがした。

そういえば祖父は、カップラーメンを食べたことはあるけれど、カップ焼きそばは作ったことも食べたこともなかったと思う。たぶん、カップラーメンの作り方で、お湯と付属のソースをいっしょに入れてしまったのだろう。

祖父を見ると「あちゃあ。」という表情で、暗いスープを見つめていた。


「案外、おいしいかもしれん。」

私は、祖父だけに失敗の責任を負わせたくなくて、勢いでお箸を持ち「いただきます。」と暗いスープへお箸を入れて麺を啜った。ずるずると、暗くて不安な夜を啜っているような気がした。私が咀嚼すると、祖父も「いただきます。」と合掌して、ずるずる啜った。

「まずいな。」

祖父が言った。

「うん、まずい。」


私は応えた。

こんなに暗い夜みたいなスープなのに、味は薄くて、麺は白くて、匂いだけは焼きそばだった。未知の食べ物だった。それでも、私たちは食べることをやめなかった。ずるずると、ずるずると、啜って咀嚼して胃へ落とした。


ふいに祖父を見ると泣いていた。私は、初めて祖父の泣いている姿を見た。私はなぐさめることも、共感することもしなかった。ただ、寄り添う想いで、まずいスープ焼きそばを食べ続けた。夜が浮かぶスープへお箸を入れて、麺を掬った。祖父といっしょに食べた。いつしか私も泣いていた。悔しくて泣きたくないのに。泣いているからずるずる言うのか、麺を啜るからずるずる言うのか、わからなかった。

食べ終わる頃合いは祖父といっしょで、ふたりで「ごちそうさま。」と合掌した。シンクへ暗いスープを流すと、お箸で取り損ねた小さなキャベツたちが出てきて、それを丸ごと、えいや!とすべて流した。

それから数日後に、祖母はICUから一般病棟へ移るまで回復した。祖父が祖母の付き添いでいない間は、父母の家で寝泊まりした。私にとって父母と過ごす時間は、宿泊という感じで、根付いた生活とは違った。気遣いしながらの生活を半月過ごすと、祖母が退院して、また私たちは3人で生活を共にした。

あのとき経験したことは、頭の中で音楽のように流れている。かなしくてさみしい不安も、時間の有限性も、人それぞれの想いも、いつかくる別れがあることも、かなしく調和している。それでも、私が積み上げてきた風景には、必ず祖父母が微笑んでいる。ときどき、無性に会いたくなり、胸の奥がギュッとなるけれど。私は、その笑顔を思い出すだけで、充分、うれしくて、私も微笑んでしまうのだ。

ときどき、あのスープ焼きそばもいっしょに思い出す。けれど、いまのところは食べなくてもいいかなと思っている。


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地中海性気候さんの企画『初めての〇〇』『最後の〇〇』に参加しました。この企画にビビビ!とキまして、思い出のページを巡ることができました。ひとつ大切な記憶を、この場所に記すことができてうれしかったです。ありがとうございました。





#あれがそうだったのか


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