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2026_0321_本読み

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冒頭の写真:
オトメツバキ。それぞれのぐるぐるが、宇宙で渦巻いてる一つ一つの銀河系みたいな「見え」をもってる。ていうか、この写真の「シーン」自体はやや無理して、そこに意識をフォーカスすると、その感じが味わえなくもない、って程度。オトメツバキが咲いていると「宇宙を感じやすいいい角度」ないかな、と探してしまう。


3月21日(土)は以下を読みました。


『〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』 
西郷甲矢人・田口茂著 

筑摩書房 

「空間」というのは、別のルートを辿っても、ある同じ点にたどり着ける、そういうもの、だという。いろんな場所を通っていくのは「出来事=時間」であるのに、同じところに着くことができる、その構造があるのが、空間だという。というわけで、
〈 およそ「空間」といういものは、「等しさ=置き換え可能性を緩くとる」ことによって、はじめて考えられるようになるのである。 〉
どこまでを「同じ」と捉えるかを調整して、それぞれのレベルで抽象的に考えることができるようになる、ということかな。
(音読した人:山崎)



『Hiroshima Collection』
土田ヒロミ 著

NHK出版

今日もそれぞれに辛い背景がある物物だった。もんぺの下に来ていた絹のワンピース。まさに肌身離さず、大切に隠し持っていたんだろうな。友人の親が届けてくれたという遺体は不明な方の防空頭巾。爆心から800メートルの建物疎開中の方の。
土田さんは、これらのものに関わりのあった人の痛みを、その人たちだけの痛みではなく、自分の身にも感じなければ、というような意味のことを書かれていた。あとで見ると、この本の帯のことばが
〈 原爆による悲劇を「他者の痛み」にとどめてはいけないという思いがありました。 ーー土田ヒロミ 〉
だった。
(音読した人:こいでさん)



『漱石・子規往復書簡集』 和田 茂樹 (編集) 

岩波文庫

明治29年の11月。
候文で埋められた書簡の続き。
〈 詩塁を離れる 〉とか〈 半身を塁外に排して敵を 〉とかいうふうに虚子のことを語っていて、これは子規、虚子、碧梧桐たちは、確か、文学仲間以前に、野球仲間だったことを思い出させた。
漱石は、その仲間に加わることは、あったのかな?無かったかな、どうなんだろう、ってちょっと思った。
(音読した人:めいさん)

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