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豊かな日本にある現実「相対的貧困について」


隣にある現実を、私たちは見過ごしていないだろうか

春の日差しが教室に差し込む季節、子どもたちの笑顔は、とても眩しく見えます。

友だちと笑い合い、授業を受け、休み時間には元気に過ごしている。
その姿だけを見ていると、子どもたちは何の不安もなく、毎日を過ごしているように感じられるかもしれません。

しかし、その笑顔の向こう側に、誰にも言えない苦しさを抱えている子どもがいることを、私たち大人はどれほど知っているでしょうか。

私たちは、隣にある現実を無視していないでしょうか。
見えていないのではなく、見ようとしていないだけではないでしょうか。

「相対的貧困」という言葉があります。

これは、食べるものがまったくない、住む場所がないというような、目に見えやすい貧困とは少し違います。
まわりの人たちが当たり前のようにできていることを、自分の家庭だけができない。
そのために、子どもが不安や孤独を感じ、学びや経験の機会を失ってしまう状態を指します。

たとえば、遠足や修学旅行の費用を出すことが難しい。
部活動に必要な道具や制服を買うことができない。
塾に行きたくても行けない。
本当は進学したいのに、家庭の経済状況を考えて、早くからあきらめてしまう。

こうしたことは、外からはなかなか分かりません。

その子は、教室では笑っているかもしれません。
友だちと普通に話しているかもしれません。
けれども心の中では、「自分だけ違う」「家のことを知られたくない」と感じていることがあります。

そして、その気持ちは、子どもにとって大きな重荷になります。

私たちは、貧困という言葉を聞くと、どこか遠い世界の出来事のように考えてしまうことがあります。
けれども、相対的貧困は遠くにある問題ではありません。
今の日本にあります。
私たちの地域にあります。
同じ町に、同じ学校に、同じ教室にあります。

ただ、見えにくいだけです。

正直に言えば、私自身もかつては、貧困を「努力が足りないからではないか」と考えていた部分がありました。
しかし、よく考えてみると、人生には本人の努力だけではどうにもならないことがあります。

親の病気、失業、ひとり親家庭、介護の負担、物価の上昇、地域の仕事の少なさ。
そうした出来事がいくつも重なれば、どれほど真面目に働き、懸命に暮らしていても、生活が苦しくなることがあります。

貧困は、怠けている人だけに起こるものではありません。
誰の人生にも、突然ふりかかる可能性のある問題です。

とくに子どもは、生まれる家庭を選ぶことができません。
それにもかかわらず、家庭の経済状況によって、学ぶ機会や経験の幅が狭くなってしまう。
本来なら自由に描けるはずの将来の夢を、早い段階であきらめてしまう子どももいます。

「どうせ自分には無理だ」
「自分の家ではできない」
「迷惑をかけるから言わないでおこう」

そのような言葉が、子どもの心の中に根を張ってしまうことがあります。
これは、とても深刻なことです。

もちろん、すべての人がすぐに大きな支援をできるわけではありません。
けれども、まず必要なのは、隣にある現実に気づくことではないでしょうか。

笑顔の向こうにある不安に気づこうとすること。
何気ない沈黙の奥にある苦しさを想像すること。
子どもや家庭を責めるのではなく、社会全体の問題として受け止めること。

豊かな国に見える日本の中にも、声にできない苦しみを抱えている人たちがいます。
その人たちは、どこか遠くにいるのではありません。
私たちのすぐ隣にいます。

隣にある現実を、私たちは無視していないだろうか。
その問いを、自分自身にも向けながら、少しずつでも理解を深めていくこと。

それが、今を生きる私たち大人にできる、最初の一歩なのだと思います。

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