「検討します」を、辞書で引いてはいけない
同じ五文字が、三通とも、違う意味だった。
先々月、わたしは三つの依頼を、三箇所に出した。隣の部の高山課長に、連携テストの前倒し。
別部署の窓口に、データ提供の定例化。
部長に、増員の相談。
返事は三通とも、一言一句同じだった。
「検討します」
結果を発表する。
高山課長、一週間後に検討結果が届いた。可否、条件、代替案つき。満額の検討である。
別部署、二か月経過、音信不通。一か月目にリマインドを送ったところ、返ってきた文面が「検討します」だった。検討の、おかわりである。検討が検討を呼び、検討の無限ループに入った。あの検討は、どうやら、あちらの社内で行方不明になった。捜索願の出し方が、わからない。
部長、後日の廊下で「あれな、ない方向や」。検討の中身は、最初から「お断り」だった。
同じ五文字である。意味は、「やります」「忘れます」「やりません」。
三つの単語が、同じ顔で歩いていた。
ラボなので、検証する。
仮説:「検討します」は日本語ではない。方言である。
裏付けに、社内の方言分布も観測してみた。同じ五文字でも、話者によって意味がきれいに割れるのである。
高山課長の「検討します」は、ほぼ標準語。
期日と結果が必ず付いてくる。
コンサル出身の斉藤さんは「検討します(本日中に三案出します)」という、方言どころか契約書である。
営業上がりの人の「前向きに検討します」は、観測上、前と向きの定義が毎回ちがう。
そしてうちの部長の「検討します」は、九分九厘、「ない方向や」の前置きである。同じ社内、同じ五文字、ここまで割れる。
標準語に見えるのが、たちが悪い。
フランス語で返事をされたら、誰でも辞書を引く。
だが「検討します」は、全員が知っている顔をした五文字なので、誰も辞書を引かない。
引かないまま、わたしは高山課長の返事を待つ温度で、部長の返事も待っていた。
通じた顔をして、すれ違う。方言の事故は、いつも無音である。
ここで、いつもの作業に入る。人を裁く前に、自分の帳簿を開けるのだ。Slackとメールの送信履歴を、「検討します」で検索した。
過去一年、二十六回。
二十六回の「検討します」を、一件ずつ追跡調査した。内訳を発表する。
実際に検討して返事をした件、八件。
断るつもりの婉曲表現だった件、六件。
そのまま忘れた件、十二件。
最大派閥、忘却。
過半数ではないのが、せめてもの救いである。救いか?
三件に一件以上を忘れる人間の口から出る「検討します」は、もう「賽銭を投げてください」くらいの意味しかない。
願いは聞く。叶えるとは言うてない。
なぜ、こんな便利な五文字が生まれてしまったのか。
解剖すると、性能が良すぎるのである。
「やります」と言えば責任が発生する。
「やりません」と言えば、その場に痛みが発生する。
「検討します」は、どちらも発生させない。
責任の納品日も、お断りの痛みも、ぜんぶ未来に繰り延べる。
「検討します」は、会話の麻酔である。
その場は、誰も痛くない。
麻酔が切れた頃に、別の場所が痛む。
二か月後のわたしの、あの音信不通の待ちぼうけのように。
そして麻酔の常で、効いている間に、処置はひとつも進んでいない。
眠らせただけである。
会議室で何百回と打たれてきたこの麻酔、執刀された案件を、わたしはほとんど見たことがない。
さて、対策を考えていた週明け、事件は思わぬ方向から来た。
きっかけは西田さんである。
ある件で「それ、わたしのほうで検討しますわ」と言ったら、西田さんが「あ、大丈夫です」と即答した。
大丈夫? まだ何も返してへんで? 訊くと、西田さんは例の正確さで、こう言った。
「課長の『検討します』は、観測上、九割戻ってこないので。
戻ってくる一割のときは、必ず『金曜までに』みたいな期日が付いてます。今回は付いてなかったので、別の手を考えます」
手が、止まった。
観測上。九割。彼女は、わたしの方言の辞書を、自作していた。
恐るおそる、他のページも見せてもらった。
辞書には続きがあった。
「『一旦持ち帰ります』=七割戻ってこない」
「『前向きに』=方角の情報なし」
「『ちょっと厳しいかも』=確定で無理」。
最後のは、当たっている。
当たっているのが、いちばん恥ずかしい。
わたしの婉曲表現は、婉曲のつもりで、全文掲載で翻訳されていた。
しかも統計つきで、である。
わたしが無自覚に話す方言を、部下たちは黙って観測し、翻訳し、期待値を調整し、別の手を考えてきたのだ。
翻訳の手間を、ずっと、聞く側に払わせていた。
話す側のわたしだけが、自分を標準語の話者やと思っていた。
そして西田さんの辞書は、図らずも、解読の鍵まで載せていた。
期日である。
「検討して、金曜までに可否を返します」。
期日が付いた瞬間、五文字は方言をやめて、標準語になる。
納品日のある検討は、検討である。
納品日のない検討は、ただの読経である。意味はないが、その場の空気は鎮まる。
翌日から、運用を変えた。
検討するなら、期日を付けて言う。
断るなら、検討すると言わずに、その場で小さく痛む。
「今期は無理です。来期の頭なら乗れます」。
麻酔なしの返事は、言う方も少し痛い。
少し痛いのが、たぶん正規の料金なのである。
今までは麻酔代を、未来の誰かにツケてきただけだった。
本日の検証結果。
「検討します」は五文字の方言であり、期日だけが共通語である。
なお、運用変更を意気込んで帰宅した夜、家族に言われた。
「玄関の棚の修理、検討するって言うたよね。三月に」
現在、十一月である。
家庭内の「検討します」、熟成八か月。納品日なし。
手口は社内と完全に一致しており、わたしの方言は、家庭にまで輸出されていた。
棚は、週末に直した。
八か月の検討より、四十分の作業のほうが、早かった。
ところで、ここからは楽しい宿題である。
あなたの送信履歴の検索窓に、五文字を入れてみてほしい。
「検討します」。
ちょっとした発掘調査である。
さて、何体出土するか。
当ラボの公式記録は二十六体、うち忘却十二体。
これを超える出土数の方は、ぜひ教えてほしい。
胸は張れないが、話は確実に弾む。
出土品の中に、まだ息のあるやつがいたら、期日を一枚貼って、蘇生させてあげてください。
すっかり化石になっていたら、今週どこかで小さく痛んで、成仏させてあげるのも一興です。
なにせ、八か月熟成させた玄関の棚が、四十分で直ったのだ。
あなたの棚も、たぶん、四十分である。
