赤で紡いだあなたの話
『赤』と言われて連想するものは?
そう聞かれたら、夫も私も間違いなく、『母』と答える。
リンゴでも、太陽でも、郵便ポストでもない。
母。
赤いジャケットと、ミルフィーユ
義母と初めて会ったのは、25年程前のこと。
「母に会ってほしい」と言われ、いよいよその時がきたかと身構えた。
付き合い出して3年目、お互いに結婚を意識して、双方の親に挨拶に行こうと話をしていた。
母親の話は、折に触れ聞いていた。
彼は大学生の時に父親を病気で亡くしている。
父親は小さな会社を経営していて豪快な人だったらしく、彼の母はそれなりに苦労したようだ。
若い頃は写真家の卵のモデルになったり、父の病院に付き添いながら医者に口説かれたり。
「あの年にしては息子のオレが言うのも何だけど、綺麗な人だと思う。」
そう聞いていた。
参観日に毎回着物を着てきて、目立ちすぎて嫌だったとか、ずっと専業主婦で料理、裁縫、掃除、洗濯、何でも得意で綺麗好きとか。
私とは正反対。ちょっと周りにいないタイプだなと思った。
「私のようなガチャガチャした人間で大丈夫?」
彼に聞くと、
「まぁ、優しい人だから。」
答えになっていない返答。
どこか他人行儀なのは、彼も大学と同時に家を出て、離れて暮らした期間が長いせいだろう。
いよいよ当日。
彼の後ろで呼吸を整える。
「いい?」彼の合図で、いざ出陣。
チャイムを鳴らしドアを開けると、にこやかなご婦人が玄関で正座をして待っていた。
真っ赤なジャケット、黒いタイトスカート。
「よく来てくださいました。◯◯の母でございます。」
いわゆる三つ指をついて深々と頭を下げ、その爪は赤いマニキュアが塗られていた。
私は恐縮し、負けじとこれでもかと言うくらい頭を下げ、「はじめまして」と挨拶をした。
どうぞ、どうぞと促され、初めて家に入る。
「よく来てくださいました。話は聞いておりますよ。まぁ、素敵なお嬢さんでお会いできて光栄です。お疲れでしょう。コーヒーと紅茶どちらになさいます?」
その出立と饒舌に圧倒され、
「えっと、コーヒー頂いてもよろしいでしょうか?」
「まぁまぁ…」と間に彼が入った。
「コーヒーは後でいいからさ。」
2人の女は落ち着き、お互いをまじまじと見る。
家の中で真っ赤なジャケット…
只者ではない。
いや、こちらも負けてはいない。
この日のために清楚に見えるセットアップを奮発したのだ。色はオフホワイト。小さな本真珠のピアス。
どうやっ!
相手は大きなイヤリングにネックレス。あれはどちらもイミテーションではない、本物の金であろう。
時計は… あれは多分、きっと、ロレックス!
負けた。撃沈…
彼女はそんな華やかな身なりではあったが、腰が低く嫌味な感じは全く無かった。丁寧な言葉遣いで品があり、聞いていた年齢よりずっと若く見える。
「じゃあ俺がコーヒー淹れるよ、豆どこ?」
彼が席を外す。
彼の母は話し上手で聞き上手。初めて会った気がしないくらい2人で話が盛り上がり、私はこの人が好きだと感じた。
「そうそう、ケーキもありますよ。好きなものを選んでくださいね。」
開けた箱には可愛らしいケーキが並んでいる。
「ほら、最初に選んで」と言われ、私は迷わずイチゴが乗っているミルフィーユを選んだ。
「いただきます。」
と、ミルフィーユを選んだことを後悔した。
パリパリのパイ生地は思ったより硬く、フォークを入れる度にカケラが飛び散る。硬い生地をえいっとフォークで刺すとバリッという音と共に生地がお皿から飛び出しテーブルに転がった。
「食べにくかったわね、ごめんなさいね。手で食べちゃいなさいな。」笑いながら言われ、
失礼します。と転がったカケラを手でつまみ、そのまま口に放り込む。
「天真爛漫で素敵なお嬢さんだわ。」
物は言いよう。
良い方でホッとした。
初めて相手の家に行く時は、オーソドックスなスポンジ系のイチゴショートをおすすめしたい。
自己中な私と、赤いエプロン
「はじめまして」の挨拶をしてから数年後に、私達は同居することになった。
私の周りは驚いて「大丈夫?」と聞いてきた。
私は祖父母と同居したことがなく、いわゆる核家族で自由気ままに育った。実母は生前「あなたに嫁はつとまらない」と言っていたし、私自身も「相手の親と同居なんて絶対ムリ」と高校生の頃からずっと思っていた。
そもそも1人でいる事を好み、束縛されたり相手に合わせる事が得意ではない。
『自分中心で地球が周ってると思ってるよね?』
家族からも友人からも聞いている言葉。
ある時は呆れ顔で、ある時は親しみを込めて。
つまり、私は自己中なのであろう。少なからず自覚もある。そんな人間が生まれも育ちも違いすぎる相手の親と同居できる?
嫁と姑が同居してうまくいっている話もあまり聞かない。付かず離れずの距離がちょうど良いはずだ。
でも、迷いは無かった。
季節ごとに挨拶に行くと、変わらず優しく歓迎してくれる。義母となら、うまくやれる気がした。
同居してわかったこと。
義母は出掛ける予定が無くても毎日しっかりと化粧をし、スカートにストッキングを履く。赤いエプロンをつけ、朝早くから庭周りを掃いたり草取りをしたり、午前中はずっと掃除をしており本当に綺麗好きだ。
夫と私の出勤時は必ず玄関に立ち、「いってらっしゃい。」と声をかけてくれる。仕事をしている私をいつも労ってくれた。
冠婚葬祭などで親戚が集まると、母の姉妹達は私に話しかけてくる。
「いつもお姉さんが褒めているわよ。お姉さんが羨ましいわ。」と。
そんな言葉を聞く度に、胸の奥がキリキリする。
本当はもっと嫁らしく、家の事や身の回りの事をやって欲しいはずだ。でも一度たりとも不満や文句を言われた事がない。それどころか
「いつもありがとう。あなたがいてくれて本当に幸せだわ。」
そう言葉にして伝えてくれた。
モンペと、白い百合
義母は他人にお金を使うことを厭わず、大盤振る舞いをする事が多々あった。自分の懐事情も鑑みず、こちらが心配になるほどだ。
初めてフグ料理屋に連れて行ってくれたのも義母だ。その時は本当に楽しそうで、人が喜ぶことにお金を使うのが好きなのだと思った。
『人好きで話好き』が影響して、失敗しそうになった事もある。
怪しい電話に個人情報を話したり、家に来た飛び込み営業に貯金額やら何やら根掘り葉掘り聞かれて楽しそうに答えたり。
同居していなかったら、特殊詐欺に騙されていたに違いない。
話好きゆえ、私に時間ができると見計らって
「ちょっといいかしら。」と始まる。
翌日が仕事でもお構いなし。この場合、私はもっぱら聞き役にまわる。
生い立ちや夫の父(義母の夫)との出会い、母の同級生の話、だいたいは義母と義母を取り巻く人達の話ではあったが、戦時中の話はある程度暗記できるくらい流れのローテーションが決まっていた。
1番長く時間を割くのは、妹達の制服の糸を全部ほどいてモンペにした話。
10代前半だった義母は、得意の裁縫を生かして何着も縫い直したそうだ。売り物みたいだと同級生から羨ましがられたようで、苦しかったことや悲しかった記憶よりも、モンペの話が幾度となくでてきて、何となく自慢気なので興味深く、5巡目くらい聞いている。
セコンドである夫が「もう遅いし明日も仕事だから、解放してやってくれ。」と、場外からタオルをグルグル回すまで話は終わらなかった。
私達は嫁と姑でありながら、本当の親子のような関係だと思う。それゆえ時にはケンカもした。義母は頑固な面があり、私も負けず劣らず頑固で譲らず言い争いになることもあった。
「もうお母さんとは口聞かない!」
カッとなって言ってしまった事もある。そして、必ず義母の方からごめんなさいねと謝ってくる。
あぁ、またやってしまった。私は、母に先に謝らせてしまったことを後悔して、私こそごめんなさいと謝り、仲直りをすると同時に義母は決まってこう言う。
「何か美味しいものを食べに行きましょう。」
そんな時はお寿司か鰻を食べに行く。
帰りに花屋に寄りたいと言い、百合の花を買うのがお決まりのコースだ。
義母は白い百合の花が大好きだった。
それに引き換え私は昔から百合が苦手。あの強い匂い。一輪でも十分すぎる存在感と佇まいに圧倒されてしまう。
百合は、華やかで人目を引き、他を魅了してしまう母に良く似ている。
毎日のように花の世話をする義母を見ていて、私は百合が苦手ではなくなっていた。
真紅の赤と、「おふくろ。」
90歳が近付くにつれ、認知症の症状が出始めた。
自分が話したことも、夫や私が話した内容も覚えていないことが多くなった。
「明日はデイサービスだよ。」
夜8時に声をかけると、一眠りして夜11時半に着替えて出掛ける支度をする。朝と夜の区別がつかず、時計が見れなくなっていった。
「しっかりしてくれよ。」
夫の言葉には、苛立ちと悲哀と願望が織り混ざっていた。老いるとはそう言うことなのだと、どこか冷静な自分がいた。
「血の繋がりが無いからあなたは冷たい。」と夫から言われ、トイレの失敗を掃除しながら、悔し涙を流した。わかっている。現実を受け止めきれないほど、夫も母を深く想っているのだ。
義母の存在は、時に激しくぶつかり合う夫婦喧嘩の種になり、そしてその都度踏み潰して結束を強めた。
夜中に義母の様子を見に行き、静かに息をして眠っているのを確認すると安堵した。
「今日も生きてくれて、ありがとう。」
あと何回伝えられるだろうか。
私より少し背が高かった義母は、いつの間にか私より随分小さくなった。日を追うごとに体力が落ち痩せていく身体に反比例し、存在感を増す義母と手をつなぎながら、人生の最終章を目を逸らさず見届けようと決意した。
最期の方は入退院を繰り返した。
だんだんと会話が覚束なくなってくる。声帯も老化し、声が出しづらくなるという。
最後にしっかりと言葉を聞いたのは入院時に顔を見せた時だった。
夫と私の顔を見てはいるが、きっとわからないだろうと思い、「じゃあ、帰るね。」と席を立とうとした時に小さい声で言った。
「あなた達二人が来てくれて、本当に嬉しい。」
夫がうんうんと頷きながら涙を堪えているのがわかった。私は夫の手をぎゅっと握った。
94歳で旅立つ日、義母の服を選んだのは私だ。
初めて出会った日に着ていた赤いジャケットと黒いタイトスカート。
綺麗な母に相応しい真紅の赤。
仕立てがいいと気に入っていた。
義母は赤が好きだった。
『赤いジャケット』だけでも10着以上持っている。春の赤、夏の赤、秋冬の赤。
コートも季節ごとの赤がある。
どれもとても似合っていた。
赤を着こなし、80歳を過ぎてもスカートにヒールのある靴を履いて出掛けていた義母は、どこに行っても一目置かれた。
赤を愛し、赤に愛された人。
母ほど赤が似合う人を私は知らない。
叔母達は、
「これぞお姉さんって感じで素敵だわ。ありがとうね、お姉さん喜んでるわ。」
そう褒めてくれた。
私は義母のことを1番良く知っている。
白い棺桶の中に、真紅のジャケットを着た母。
顔の周りには大好きな白い百合。
記念写真を撮りたいくらい美しく粋だった。
『お母さん、たくさんの愛をありがとう。』
『行ってらっしゃい。』
そう声をかけた。
これを書き終わる頃、答え合わせをしてみる。
夫に聞いた。
「赤と言われて何を連想する?」
「おふくろ。」
だよね。正解。
