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(短編小説)「まあるい鞄」3/9

 (前回までのあらすじ)
 とつぜん小さな新宿の出張所に異動となったエノモトさん。デスクはぽつんと三つ。同僚となるのは「無害そうなおばちゃん」たるオオムラさん。それに、バカでかい図体をして冴えない見た目、ときに陰険なオギ先生。
 いっぽうで、おマヌケで「猫好き」という可愛げもある、そんなオギ先生との日々のやり取りはーーー。


 仕事を共にしているオギ先生はともかく、プライベートなオギ先生のことは、エノモトさんにもよく知り得なかった。
 お酒を飲まないそうで「ぼくは三百六十五日ファンタグレープです」と放言していた。だからかどうか、夕餉を共にする機会もなく、エノモトさんはほとんど日中のオギ先生の姿のほか知らない。
 ただ、オギ先生はこちらの本業たる健康食品販売のほかにもいろいろな仕事にあちこち首を突っ込んでいて、そのどれもがキテレツな仕事だということはハタ目にもうかがわれた。仕事中に隣のデスクから「キハダが」「メバチが」などという威勢の良い活発な言葉が聞こえてくる。エノモトさんは自分がどこかの河岸でナンバープレートのついたキャップをかぶってお勤めしているのかとさえ思えてきた。
 不動産の仲介や、投資案件の紹介、ネットワークビジネスの勧誘、ウォーターサーバーの販売代理店などといった安直な話はお手のもので、なかなか儲けに結びつかないそんなガラクタみたいなものをいくつもいくつも抱えきれぬほど両手に抱えていた。ときには、それをみんな取り落として床にぶちまけてしまったように大きな音を発して騒ぎ立てることもあった。おかげで終始せわしなくしていた。
 かくいうエノモトさんも一度だけ、そのキテレツな仕事の一つに携わったことがある。ファンの乏しい女性アーティストの懇親の夕べに、水増しのファンとして参加するといった仕事だ。オギ先生から頼み込まれ、エノモトさんの奥さんまで連れて員数合わせのために登板したのだ。オオムラさんへのお声がけのほうは生憎だったようだ。
 後日、逆上したニホンザルのような顔になったオオムラさんが
 「行かない行かない!きもちわるいもーん。ばっちいばっちい。ぜったいばっちい仕事だよ!エノモトさん、よく行くねー」
 と歯茎も剥き出しで言った。その態度を見るにつけ、奥さんまで連れていくとはとても言い出せなくなってしまった。
 いっぽう、エノモトさんの奥さんのほうは案外なほど乗り気だった。
 「だって、おもしろそうじゃない?例のオギ先生も見てみたいし。それにお金ももらえるんでしょ?」
 そのお金をもらうところが心配なんだがなあ、とエノモトさんは思った。オギ先生がお金を払った相手がどんなぞんざいな扱いをされ、どんな手ひどい目に合ってきたか、これまでひととおり近くで見聞してきたのだ。
 そのキテレツ仕事は日曜日の晩だった。休日に、ましてやオフィスとは別の場所でオギ先生に会うのは初めてだった。
 オギ先生はふだんと変わらぬ見慣れた擦り切れそうなスーツ姿で、相変わらず肥えちらかしていて、見てくれも順当に芳しくなかった。原宿の路地にある小洒落た建物の前に、とうてい似つかわしくないツラをぶら下げて立っていた。エノモトさんが挨拶して奥さんを紹介すると、ふだんどおり愛想が良かった。機嫌がわるかったのは最初の日だけで、あれ以来ひとまずエノモトさんにはご丁寧だ。
 だが、エノモトさんの観察によると、やはりオギ先生がその晩呼び集めた人々にはそれぞれオギ先生なりの序列が設けられているものらしい。なかには無愛想な命令や頭からの叱責を浴びるものも少なくなかった。一人なんぞは仕事仲間たちの前で
 「あーあーあー。指示された仕事しかしないくせに、フィンガーフードがよくそんなにいくつも喉をとおるもんだよねー」
 と面罵を喰らった。
 帰り道、エノモトさんと奥さんは会場で何度か言葉を交わした参加者の一人と連れ立って駅まで歩いた。オギ先生とお互い友人のような口調で馴れ合って話していたヤマガタさんという男性だ。エノモトさんとは同年くらいに見え、心安かった。
 「今日ぜんぶで三十五名ですって?オギ先生もよく集めたもんですね」
 「あの人はああいうのはうまいですからね。なにかと調子がいいでしょ?」
 「ええ。ほんとに。愛想がいいときはとことんいいですもんね。オギ先生とのお付き合いは長いんですか?」   
 「予備校で一緒だったんですよ」
 「ほー。何の予備校なんですか?」
 「司法試験です。あの人もわたしも四年やってダメだったんですよ」
 「それは知らなかった」
 「あの人には謎が多いでしょ?あんな感じでわりと秘密主義ですからね。こういう仕事もどっから持ってくるのか。それにケチですしね。今回のもたいそうハネてますよ」
 「あははは。さぞかしハネていそうですね」
 「あれで、けっこう金持ってるでしょ?ソートーためこんでますよ」
 「えー⁈とてもそんなふうには見えないですね。服もあんな感じだし。使ってるサイフもぼろぼろですよ。油揚げみたいなサイフ」
 「ところが!あの油揚げんなかにはカネがぎっちり詰まってパンパンです。ただの油揚げじゃない」
 「栃尾揚げですか?」
 「ですね!明太マヨも上にかかってます」
 「いらないなあ。よけいな創作料理のお品書きだ」
 夜でも明るい往来が小暗い鎮守の森へと吸い込まれてゆくような坂道を登りきると、すぐ右手がもう駅だった。エノモトさんと奥さんは、逆方面の電車に乗るヤマガタさんと改札を入ったところでお別れした。別れぎわに男同士で連絡先を交換した。
 「オギ先生のこと、彼にいろいろ教えてやってください」
 と奥さんがヤマガタさんに言った。
 「ええ。わたしにも教えてください」
 とヤマガタさんがエノモトさんに言った。それから
 「あの人には要注意です。わりと血も涙もないです。故郷も捨ててます」
 とそこだけ早口で言った。じゃ、と片手を上げて行きかけてからあとがえってくると
 「『まあるい鞄』はどうなりました?」
 と真顔で聞いた。ややあって心づいたエノモトさんが笑うと、あちらも笑って答は待たずに今度こそ引き上げていった。
 エノモトさんの奥さんも「まるいカバン、有名なんだね」とさもおかしそうに言った。エノモトさんから聞かされて奥さんもだいぶんお気に入りの話だ。
 まだ夜風の冷たい春分の候のホームから、しんと静まった神宮の森のほうをエノモトさんは眺めた。闇の深い森を背にして、自分の知らないオギ先生の寂しげな横顔がエノモトさんの目にくっきりと浮かんだ。それから、本日の仕事の報酬が入った封筒を手渡すときの、こころなしか横柄な態度になっていたオギ先生の様子を呼び起こすと、かえって思いがけず安心した。

(以下次回、残り6話で完結)

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