歴史を捉えた二眼レフカメラ──ココさんのお父さんのこと
これは、何年も前の記憶と、ベルリンでの体験が、後になって静かにつながったときの話です。
デヴィッドとの大切な思い出の中には、
いつも笑顔のココさんがいます。
優しくて、可愛くて、ユーモアがあって……。
デヴィッドの大切な友人であり、最大の理解者であり、
彼を支え続けたパーソナルアシスタント、
Corinne Schwab(ココ)さん。
私はココさんが大好きです。
彼女との楽しい思い出は、また改めて綴りたいと思います。
今回は、ココさんのお父さんのお話です。
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ボウイファンの私が鋤田事務所のお手伝いをしていると、時間がある時やお茶の時間に、鋤田さんはデヴィッドとの貴重な思い出話をたくさんしてくれます。
(私を喜ばせようとしてくださっている感じがして。そのお気持ちが有り難く、いつも感謝しながら楽しく聞かせていただいています。)
ある時、鋤田さんはこんなことを話してくださいました。
「ココさんのお父さんって、有名な写真家なんだよね。それでなのか?どうかわからないけど、カメラマンの気持ちをわかってくれている感じがして。
撮影のとき、こちら側の気持ちや思いを汲もうとしてくれるというか……そういう配慮を感じることがあるんだよ」
そう言いながら、鋤田さんは本棚から一冊の写真集を、
大事そうに取り出して私に見せてくれました。
『The Family of Man』
世界中の著名な写真家の作品が収められた写真集で、その中に、
Eric Schwab
という名前がありました。
私はページをめくりながら、
貴重なお話を聞かせていただけたな、と思い、
ココさんのお父さんのお名前を、
そっと記憶の隅にとどめました。
2014年。
『デヴィッド・ボウイ・イズ』が、
ベルリンの Martin-Gropius-Bau で開催されることになりました。
鋤田事務所にはオープニングレセプションへの招待状が届き、鋤田さんは渡独の準備を始めましたが、
残念ながらスケジュール的に厳しくなり――
烏滸がましいことではありますが、
私が代理としてベルリンに行くことになりました。
レセプションに出席し、
デヴィッドとイギーが住んでいたアパートやハンザ・スタジオを訪ね、
ベルリンの壁の残骸、ポツダム広場、ブランデンブルク門など、歴史的な場所を巡りました。
ユダヤ博物館を訪れた時のことです。
英語はもちろん、ドイツ語もまったくわからない私ですが、
展示から伝わってくる悲惨な歴史、悲しみ、
戦争の爪痕――。
その重い空気の中で、言葉を持たないまま、
ただ平和への祈りに思いを馳せる時間を過ごしました。
そんな中、ふと立ち止まり、覗き込んだガラスケースの中に、二眼レフカメラが展示されていました。
「あ、二眼レフだ。鋤田さんが、初めてお母さんに買ってもらったのも二眼レフだったよな。メーカーは違うかな?」
そんなことを思いながら、なんとなく引き寄せられるようにケースに近づき、
説明のパネルを見てみると――
(やはり詳しいことはよくわからないのですが)
エリック・シュワブ
という名前が、目に飛び込んできました。
あれ? シュワブ?
この名前は、海外ではよくあるものなのかな?
それとも……もしかして、これ、ココさんのお父さんのカメラ?
結局、この疑問について確認することはできませんでしたが、その展示を写真に収め、帰国しました。

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その後、
エリック・シュワブさんについてのニュースを
ネットで見つけました。
母親を探しながら、収容所を撮影したカメラマン
エリック・シュワブ
参考記事:
https://www.afpbb.com/articles/-/3264615
1998年、『DIE ZEIT(ディ・ツァイト)誌』でデヴィッドがエリック・シュワブさんについて語っていた、という情報もありました。
歴史を記録したエリックさんの二眼レフカメラ。そして、
戦後の大変な生活の中、お金を工面したお母様が鋤田さんに買ってくれたのも、
二眼レフカメラでした。
戦中、戦後、そして
さらに広げれば、
1987年、
グラス・スパイダーツアーのベルリン公演で、
壁側にスピーカーを向け、
東ベルリンに向けて歌った
『Heroes』。
デヴィッドが旅立った時、
ドイツ外務省が出したコメント。
「さようなら、デヴィッド・ボウイ。
あなたはヒーローです。
壁を崩すのを手伝ってくれて、ありがとうございます」
世界中で様々な思い、
小さな努力を積み重ねて今がある…
私の中で
戦争、音楽、文化、時代、人々との繋がり、記憶、これらすべてが
どこかでリンクしている…そんな気持ちになった思い出です。
※展示されていたカメラについては、私の記憶と偶然が重なった結果の推測です。
もし事実と異なっていたら(同名異人でしたら)、ご容赦ください。



