花様年華について
花様年華
人生の中で最も美しく輝く瞬間や、青春時代を意味する。
漢字の並びが華やかで、美しくて、初めてタイトルを見た時から気になっていた映画だった。
以下ネタバレだらけでfilmmarksに書いたコメントを再掲追記しています。
1回目は話の筋が分からず入り込めない部分があったが、情感で進む映画は説明的文章が少ないため仕方ないところはあると思う。
それでも、別れを模した雨後のシーンは胸にくるものがあった。最終盤、唐突に流れるカンボジアの歴史映像に戸惑いを覚えつつ、アンコールワットのシーンでは降り注ぐ蝉時雨と耐え難い夏の終わりの日差しと湿度を感じながら、割り切れなさというものを抱えて視聴を終えた。本当の別れというのは、あんな風に準備していても、後から取り戻そうとしても、気づいた時にはもう手の届かない過去になってしまっているものだ。
1962年、香港
そのあと自宅で色々と調べたところ、いくつか致命的に見落としていた内容があったのでメモをした。
- イギリス統治下、文革前夜の60年代香港が舞台。人々は人生の行末に悩んでいたこと。スエン(貸主のおばちゃん)も含め、香港はずっといる場所ではない、という感覚がある。一方で今でも日本の田舎はそうだけど、それ以上に監視社会だったこと。
- よって現代よりもずっと既婚男女が一緒にいる意味を咎められやすかったこと。
- チャン夫人やチョウが住んでいる部屋は旗竿地のように手前に貸主のスエンとクウの部屋があり、入り口は共通だし、部屋移動の際は必ず貸主の部屋の横を通らないといけないこと。
- 映画の中で、主人公たちそれぞれの配偶者は声とバックショットのみで顔が映らないこと(ちなみにチョウ夫人は襟足を外巻きワンカールしたショートヘアで劇中それなりにセリフがある。チャン氏はあえて背中から見ても分からない姿になっている。直接のセリフはチャン夫人がお土産にハンドバッグをお願いする場面と、チョウが炊飯器のお礼に訪れた2シーンのみ)
- 不倫や離別など、耐え難い現実を受け入れ、理解しようという試みのもと、お互いの配偶者になりきる即興劇のようなシーンを繰り返すシーンがある
…あたりが1回目見ている時は分からなかったが、2回目視聴して確認できたことである。
in the mood for love
時系列がわかってくると、俳優たちの無言の演技の凄さに改めて深みを感じる。英語タイトルの様に雰囲気(mood)だけ見るのでも十分素敵な映画だとは思うのだが、整理した上で見るととても注意深く演技されていることに気づく。2回目見たときは、それぞれ2人が自分のパートナーが不倫していること気づいたシーンはここか!となり、3回目見た時は不倫が始まる前の2人がとても幸せそうにしていることに胸が詰まった。
とはいえ初回で話の筋を掴める人ばかりではないのではないだろうか…。映画中盤以降スー(チャン夫人)もチョウもまあまあの打率で浮かない顔をしているため(← 初回のご飯屋さんのシーンでは、「いつのまにお互いのパートナーの不倫相手に気づいたの?!」となったのは私だけではない気がする。
改めて見て思うが主人公たちがそれぞれのパートナーや、孤独を抱えたもの同士で惹かれ合い幸せそうに寄り添い笑うシーンはどちらもロングショット寄りで表情もぼやけている。なんとも殺生だ。
あとこんなことを言ってるレビューを他に見ていないのだが、地味にチャンとチョウって区別がつきにくい。日本からの手紙のシーンで普通に混乱した。○○ちゃんとなるのでチャンが女性の方の姓である。
映画ファンになりたい
2回目見たあと調子をこいて映画評論入門の本を買った
この映画に丸々一章割かれているのを知ったため。
これまでなかなか映画の楽しみというのが分からずに生きてきた。話の筋を追うのと、カメラワークを見るのと、演技を見るのと、忙しすぎて何に集中したら良いのか分からなかったのだ。
この本を読んだあとで路地の柵、職場のガラス、タクシーのミラー、三面鏡で引き裂かれる虚像など、本人たちの周りにさまざまな枠やしがらみが執拗に提示されるのが絵画のようでもあり印象に残るように配置されていることに気付いた。副読本として買って読んでみてよかった。この本には書かれていたなかったが、チャン夫人の右手の指輪、チョウの左薬指の指輪がはっきりと映しているのにも強い意図を感じた。
なお劇場でWKW4作品パンフレットも買った。カラフルで素敵なパンフレットなのでおすすめである。花様年華2001に対するレビューも載っていて、とても面白かった。
広東語の響きに出会う
とかく映像美や俳優さんの演技の素晴らしさが絶賛される映画だが、香港映画を初めて見た人間としては、広東語の豊かな歌うような響きにすっかり魅了された。
誤解を招く言い方なのは承知であるが、北京語はやや耳に刺さりあまり好きな言語とは言い難い。音の高低が大きすぎる?喧嘩しているように聞こえて萎縮してしまう、名古屋弁を話す人間が言うことではないかもしれないが…
翻って広東語。初めはマギーチャンやトニーレオンの声の質が影響しているのかと思ったのだが、複数回視聴するうちに、やはり語尾のまろやかさや会話中の音程の動きの滑らかさは北京語のそれと全く違うことを確信した。ネットで読む限り、広東語は声調が9種類とかあるらしく、とても複雑な音程を扱う言語らしい。(後日詳しい方がツイートしてるのを見たが、宿の貸主の人々が話している上海語も声調自体はたくさんあるらしい。北京語よりは耳に刺さらないがやはり、やや強さを感じるのはキャラクターの影響を受けているのか、言語の音の問題なのかは判断つかず。) 広東ポップというのも一時期流行ったジャンルの音楽らしく気になっている。2人がついぞ繋がらなかった電話の、切符のシーンくらいは聞き取れたら嬉しいなと思う。
その他の劇中歌もとても印象深い。
映画前半から中盤にかけて何度も繰り返される3拍子の曲は夢二のテーマという日本の映画音楽からの引用だそうだ。元々は沢田研二主演の竹久夢二の映画のための曲なんだそうだが、この映画のあてがきかと紛うほどフィットしている。ナット・キング・コールもジョジョのスタンド名としてしか知らなかったのだが、こんな豊かな音楽だったとは。
入っててよかったApple music
しばらくはアンコールワットのテーマを聴きながらもう語り得ない過去を漏らさないように生きていこうと思う。
