「選択」の前に心の「洗濯」がある
人生は、選択の連続だと言われます。
何を食べるか。
誰と付き合うか。
どこへ行くか。
何を続け、何をやめるか。
毎日の小さな選択が積み重なり、やがて人生の方向をつくっていきます。
だからつい私たちは、間違えないように考えます。
どちらが正しいのか。
どちらが得なのか。
どちらを選べば、後悔しないのか。
そんな風に考えても決められないことがあります。
それは、選択肢が悪いからではなく、選ぶ自分の心の中に、いろいろなものが混ざっているからかもしれません。
「本当はどうしたいのか」という自分の気持ち。
「こうした方がいい」という常識。
「こうしてほしい」という誰かの期待。
「失敗したくない」という不安。
「嫌われたくない」という恐れ。
それらが一緒になっていると、自分が何を望んでいるのか分からなくなります。
そんな時に必要なのは、急いで答えを出すことではなくて、
一度、心を「洗濯」することなのだと思うんです。
洗濯をする時、私たちは衣類をただ水に入れるだけではありません。
色や素材を見て、分ける。
ポケットの中に、余計なものが入っていないか確かめる。
汚れているところを見つける。
水に通し、汚れを浮かせ、洗い流す。
そして、しわを伸ばし、風に当てる。
心の洗濯も、これと似ているのではないでしょうか。
今、自分の中にあるものを、まず見分ける。
これは私の思いなのか。
誰かの期待なのか。
過去の経験から生まれた恐れなのか。
世間の常識を、そのまま信じているだけなのか。
心を洗うとは、嫌な感情を消すことではありません。
不安を持ってはいけないと、自分を責めることでもありません。
自分の中にあるものを一つひとつ見て、
「これは今の私に必要なもの」
「これはもう役目を終えたもの」
と、分けていくことだと思うんです。
洗濯物も、汚れているからといって捨てるわけではありません。
汚れを落とせば、本来の色や手触りが戻ってきます。
心も同じです。
不安や思い込みの奥に隠れていた、本来の気持ちが見えてくることがあります。
本当は、やってみたかった。
本当は、もう休みたかった。
本当は、誰かに認めてもらうためではなく、自分が納得できる道を選びたかった。
それが分かって初めて、自分の意思で選べるようになります。
私たちは、自分で選んでいるつもりでも、実際には感情の勢いに選ばされていることがあります。
不安が強い時には、安全そうな方を選ぶ。
怒っている時には、相手を遠ざける方を選ぶ。
寂しい時には、本当は必要ではないものまで求める。
焦っている時には、早く答えが出る方へ飛びつく。
その選択が悪いということではなく、ただ、その時の感情が、選択の幅を狭くしていることがあると思っています。
だから、大切なことを決める時ほど、すぐに選ばなくてもいい。
少し眠る。
お風呂に入る。
静かな場所へ行く。
紙に気持ちを書く。
信頼できる人に話す。
身体を動かす。
そうして心の中に「間」をつくる。
間ができると、感情と自分を同じものだと思わずに、少し離れて見られるようになります。
「私は不安なのだ」ではなく、
「今、私の中に不安がある」
と見られるようになる。
不安があることと、不安に選ばせることは、同じではありません。
この違いに気づくと、選択の質が変わってきます。
そして、選択にはもう一つ大切な面があります。
何かを選ぶということは、同時に何かを選ばないということです。
すべてを持ったまま、新しいものを選ぶことはできません。
時間にも、身体にも、心にも、限りがあります。
だから選択には、手放すことが伴います。
洗濯も、汚れや不要なものは、一度外へ出してから洗濯する。
人生も同じなのかもしれません。
何を加えるかだけではなく、
何をやめるか。
何を持たないか。
誰の期待まで背負わないか。
それを決めることも、選択です。
「選択」の前に「洗濯」がある。
心の中を見つめ、混ざっているものを分け、もう必要のない思いを手放していく。
そうすると、正解を探し続けなくても、自分が本当に大切にしたいものが少しずつ見えてくるような気がしています。
今日も、読んでくださってありがとうございます💞
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