心の向きが言葉の意味を変える
「当たり前」は幸せ。
でも、「当然」は少し違う。
「当たり前」と「当然」。
私たちは、この二つを同じような意味で使うことがあります。
でも、私は少し違うように感じています。
毎日ご飯が食べられること。
家族が「おかえり」と言ってくれること。
健康で歩けること。
朝、目が覚めること。
そんな毎日が「当たり前」になっているのは、とても幸せなことです。
それだけ穏やかな毎日が続いているということだから。
むしろ、それは安心して暮らせている証なのかもしれません。
でも、人の心は少しずつ変化します。
例えば、毎日ご飯を作ってもらう。
最初は、
「私のために作ってくれた。」
そう感じるから、自然と「ありがとう」が生まれます。
それが毎日続くと、「いつものこと」になります。
ここまでは、ごく自然な心の動きです。
「今日もきっと作ってくれる。」
そう思うことも、安心できる関係だからこそ生まれる自然な期待です。
でも、その期待が、
「今日も作ってくれるはず。」
という心の基準になったとき、見える景色が少しずつ変わり始めます。
最初は、「してくれたこと」が心に残っていたのに、
いつの間にか、それは「いつものこと」になります。
すると今度は、
「してくれたこと」よりも、
「今日はどうしてしてくれなかったんだろう。」
という方が心に残るようになります。
相手が変わったわけではありません。
相手の優しさが減ったわけでもありません。
変わったのは、自分の心の基準なのかもしれません。
私は、この境目が「当たり前」と「当然」の違いなのではないかと思っています。
ただ、「当然」という言葉そのものが悪いわけではありません。
「困っている人を助けるのは当然だよ。」
「家族だから当然だよ。」
そんな言葉には、温かさがあります。
そこには、
「気にしなくていいよ。」
「お互いさまだよ。」
という思いやりが込められているからです。
でも、
「助けてくれて当然。」
「分かってくれて当然。」
になると、どこか寂しさを感じます。
同じ「当然」という言葉なのに、なぜこんなに響きが違うのでしょう。
私は、その違いは、言葉ではなく心の向きにあるのだと思います。
相手へ向かう心は、思いやりを育て、
自分へ向かう心は、期待を育てやすい。
だから、自分の心が
どちらを向いて使っているのか。
その心の向きが、言葉の意味を変えているのだと思います。
そして、その言葉は、また自分の心を育てていきます。
思いやりの言葉を重ねれば、思いやりの心が育つ。
感謝の言葉を重ねれば、感謝の心が育つ。
期待の言葉ばかりを重ねれば、期待する心が育っていく。
だからこそ、言葉はとても大切なのだと思います。
言葉は、ただ気持ちを伝えるものではなく、
自分の心を育てるものでもある。
同じ言葉でも、心の向きが変われば、言葉の温度も変わる。
だから私は、言葉を選ぶ前に、
どんな心でその言葉を使おうとしているのかを、大切にしたいと思っています。
今日も読んでくださってありがとうございます💕
ます。
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