エゴン・シーレの「白」を感じる:アート旅018
その白は、深く、深く、心に突き刺さる白だった。
多くの画家たちが使ってきた色。
藤田嗣治の白は、乳白色の下地を輪郭と陰影によって裸婦の肌として生かした白。
ロバート・ライマンの白は、絵画の物質性と描く行為そのものを意識させる白。
カジミール・マレーヴィチの白は、対象から解放され無限の空間へ向かう白。
そして、エゴン・シーレの白は、感じる色だった。
生の脆さや死の気配をまとい、人を世界から浮かび上がらせる白。
孤独と緊張感を孕んでいるのに、なぜか愛おしく思える色。
《ほおずきの実のある自画像》では、ややグレーがかった白の背景と、青ざめた肌の明度が近い。
《死と乙女》《膝を曲げて座る女》《エーディトの肖像(芸術家の妻)》
どの作品にも、白、あるいは白に近い余白がある。
私にはそれが、人を現実から切り離しながら、同時にその存在を際立たせているように見えた。
けれど、私が惹かれたシーレの白は、背景の白よりも人物の肌色の白だ。
それは、緑、青、紫を含んだ肌。
私には生気を失い、むしろ白へ近づいていくように見えた。
死と隣り合わせにあるような肌。
一方、頬・唇・乳頭・膝に差し込まれた赤によって、強く生も感じさせる。
性と生の危うさ。脆く、傷つきやすい魂。
私には、それらがシーレの人物たちの肌に宿っているように感じられた。
生命ーーー画面の中の人々は、白い余白のなかで世界から切り離されながら、それでも確かに生きている。
私の中の白という色は、エゴン・シーレの白になった。

※冒頭の作品
エゴン・シーレ《ほおずきの実のある自画像》1912年
レオポルト美術館(ウィーン)所蔵/画像:Wikimedia Commons

エゴン・シーレ《エーディトの肖像(芸術家の妻)》1915年
デン・ハーグ美術館所蔵/画像:Wikimedia Commons(Public Domain)
