安心の形を知らずに育った僕が、父になって思うこと」
幼少期に住んでいたのは、築何十年も経った古いアパート。
廊下はなく、ただ狭い部屋があるだけだった。
玄関を開ければすぐ生活の気配。
逃げ場のない空間だった。
お風呂は四角く、底が深い。
大人と子どもが入れば、ぎりぎりの広さ。
「今日は20回」
「今日は30回いこうか」
湯船で数を数えるのが、日課だった。
父とお風呂に入った記憶はない。
普段は優しい父だったけれど、怒ると怖かった。
冷たさというよりも、緊張感に包まれるような感覚があった。
でも、後妻さんと入るお風呂は楽しかった。
笑い声もあったし、後妻さんはとても優しかった。
その時間だけは、安心して湯船に浸かれた。
私は小学高学年まで、自分を一人っ子だと思っていた。
姉と兄とは別々に生活していたため、たまに遊びに来る程度の存在だった。
兄姉が泊まりに来ても、家族というより「たまに来る人」という感覚が強かった。
30年以上前、姉から知らされた。
私が思っていた「お母さん」と、実際の母親は違ったこと。
そして兄が、私を「後妻さんの連れ子」だと思っていたこと。
涙も怒りも出なかった。
ただ、胸の奥が静まり返った。
アパート暮らしは4年ほどで終わり、
私たちは一軒家に移った。
小学生の頃、冬のキッチンの記憶だけは鮮明に覚えている。
水が凍りそうな寒さ。
流し台の前。
抱え上げられ、蛇口の下へ。
冷たい水の中に頭を押さえつけられた。
泣きながら息を吸おうとしても、
また押さえられる。
息ができない。
ただ、苦しい。
父は、私のわがままを正そうとしたのだと思う。
それ以上でも、それ以下でもない。
今なら、体罰どころか、事件になりかねない出来事だったかもしれない。
高校生になったある日、
兄との大喧嘩で、私は鼻を大きく曲げた。
流血した。
病院に行くこともなく、痛みと流れる血をティッシュでおさえるのが精一杯だった。
このことを、親がどれほど知っているかはわからない。
でも、記憶として体が覚えている。
あのキッチンの冷たい水も、
曲がった鼻も。
痛みは違えど、どちらも、私にとっての原体験だ。
あの頃の私は、
安心の形を知らなかったのかもしれない。
だからこそ今、娘には思う。
怖さではなく、安心で覚えていてほしい。
心配や緊張で自分を押さえつける必要なんてない。
家に帰れば、ほっとできる場所であってほしい。
父について思うことも、変わった。
私は、あの父にはならないとは思わない。
今、娘を愛おしく思い、見守る父の姿を見ているから。
父ももう80歳を超えた。
あの嫌な記憶も、今は許せている自分がいる。
ただ、心の片隅で思う。
父が生きているうちに、本当のお母さんの話を聞くことはできるだろうか、と。
今の関係が良いから、
無理に触れずにこのままの方がいいのかもしれない
そんな思いもある。
過去も、今も、未来も。
すべてを抱えながら、私は今日も、
娘からのLINE電話を待つ夜を、あたたかく生きている。
