昔は必要なかったものが、今は欠かせないものになる
私たちは、身の回りにある物を見たとき、無意識のうちに「これはこういう物だ」と決めつけていることがあります。
「これは自分には必要ないもの」
「これは特別な人が使うもの」
「昔からこういう使い方をするもの」
そんなふうに、物の役割や価値を、自分の中で決めてしまうことがあります。
でも、本当にその価値は変わらないのでしょうか。
時代が変われば、環境が変われば、昨日まで当たり前ではなかったものが、誰かの暮らしや命を支える大切な存在になることがあります。
以前、私は日傘について書いたことがあります。
子どもたちが日傘をさして登下校する姿を見て、私は昔とは違う日傘の役割に気づきました。
以前の私は、日傘は自分とは縁のないものだと思っていました。
おしゃれに気を遣う人や、日焼けを避けたい人が使うもの。
子どもが使うものという印象もなく、自分にはあまり関係のない物だと思っていました。
しかし、子どもたちが日傘をさして歩く姿を見るうちに、その見方は少しずつ変わっていきました。
日傘は、ただ日差しを避けるための物ではありませんでした。
厳しい暑さから身を守り、子どもたちの健康を支える大切な道具になっていたのです。
そこで私は気づきました。
本当に心に残ったのは、日傘そのものではありません。
「物の役割は、時代によって変わる」
ということでした。
昔は特別な意味を持っていなかった物が、環境の変化によって、誰かにとって欠かせない存在になることがあります。
以前なら「命を守る道具」と聞いて思い浮かべるのは、ヘルメットやシートベルト、防災用品などでした。
もちろん、それらが大切な役割を持っていることは変わりません。
でも、時代が変われば、新しい形で人を守る物が生まれることもあります。
その時代を生きる人たちに必要な物は、最初から決まっているものではないのだと思います。
そして、このことは物だけではなく、人にも同じことが言えるのではないでしょうか。
私たちは時に、その人の環境や立場だけを見て、その人の可能性を決めつけてしまうことがあります。
しかし、誰かとの出会いや経験によって、その人が持っている本当の価値や優しさに気づかされることがあります。
私には、そんなことを教えてくれた出来事があります。
娘が高校生のとき、ボランティア活動の一環で、無国籍の子どもたちと触れ合う機会がありました。
そのとき娘が話してくれた子どもたちの姿が、今でも私の心に残っています。
その子どもたちは、純粋に学びたいという気持ちにあふれ、夢や希望を胸に抱いていたそうです。
将来の目標や夢を、自分の言葉でまっすぐに語る姿。
限られた環境の中でも、前を向いて学ぼうとする姿。
娘は、その姿に心を強く打たれたと言っていました。
そして、その経験は何年経った今でも娘の中に残っています。
「あの時出会った子どもたちに、また機会があれば勉強を教えてあげたい」
「もし現地に行くことができなくても、あの経験を通して感じたことを大切にして、日本にいる夢や希望を抱いている子どもたちが、その思いを持ち続けられるように寄り添ってあげたい」
娘はそう話していました。
一度出会った人たちのことを忘れず、その経験を自分の中で大切に育て、誰かの未来を思いやる。
その姿を見たとき、私は娘が大人になったのだと感じました。
大人になるということは、年齢を重ねることだけではないのかもしれません。
誰かのために何ができるかを考え、その思いを持ち続けられること。
それもまた、人として成長するということなのだと思います。
日傘も、娘が出会った子どもたちも、最初から私たちに見えていた価値だけがすべてではありませんでした。
見方が変わることで、新しい意味や大切な役割に気づくことがあります。
物の価値も、人の可能性も、最初から決まっているものではないのかもしれません。
時代や環境、そして出会いによって、新しい意味を持つことがあります。
だからこそ私は、物も人も簡単に決めつけず、その中にある可能性を見つめていきたいと思います。
私たちは、たくさんの物に囲まれて暮らしています。
でも本当は、たくさんの物や、たくさんの人との出会いに支えられながら生きているのかもしれません。
一つの物との出会い。
一人の人との出会い。
そこから生まれる小さな気づきが、自分の考え方や人生を変えてくれることがあります。
私にとって、子どもたちの日傘との出会い、そして娘が高校生のときに出会った子どもたちの存在は、物や人を見る目を変えてくれた大切な経験でした。
これからも私は、目の前にある物や出会う人を「こういうものだ」と決めつけず、その中にある意味や可能性を大切にしながら向き合っていきたいと思います。
