手を合わせることについて



👏はじめに

思いつくままに書いている記事なので読みにくいかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

文化や伝統を繋いでいくことは大切なことだとは思いますが、それらの意味を咀嚼して自分なりにでも伝えることができないで、「文化や伝統は大事だから、文化や伝統を壊すな!」としてしまうのは、私個人としては「もったいない」ことだと思います。

手を合わせること

私はこの文化が好きです。

👏神社とお寺で手を合わせること


神社に行って手を合わせる。そうすると、神社にもよりますが「ぶわっ」と「力が放出」されることが感じられます。

沖縄のユタのカミダーリ(神障り)によって相談者は「言葉にできない」によって一種の狂乱状態となる。それは、心の内側に抑圧された「力」を解放するきっかけにもなる。

私はそのとき、何かの力が渦巻いて、飲み込まれるような感覚を覚えたのです。私はこの感覚が苦手で、すぐに(ここにはいられない)、と感じて、席を離れたのでした。


お寺に行って手を合わせる。神社とは反対に「スッ」と力が取り払われるのが感じられます。それは悪い事ではなく、この「力」とはいわゆる「穢れ」や「悪霊」というものにもなるのです。

柳田邦夫は幽霊に対して興味深い見解を持っていました。

人の魂は死後一定の期間を経て「先祖」、「親玉」、「みたま」、「年神」などと呼ばれる一つの存在に溶けていく、そして「先祖」は山などにいて、そこから森羅万象となってお盆などの期間にふもとまで降りてくる、言語化や文書には残っていなくとも、昔の日本人はそういった感覚を抱いていた。そういった「共同主観」の中では、霊が近くにいることは悪い事ではなく、むしろ良いことですらあったでしょう。
また、この「みたまさま」を「普遍的無意識」と言い換えれば、きっと理解できることと思います。

それが主に仏教の影響によって個人の魂が死後も残り続け、輪廻を繰り返す、別の世界で修行をする、という考えが広まったことで、死者が戻ってくるのは未練があるから、恨みがあるから、自分たちの供養が足りないから、となってしまう。しかし、現実問題としてすべての死者の個人的な魂が永劫にあるとしたとき、遠い親戚から、罪人や、例えば道端で亡くなった縁者のない人まで、すべての個としての魂に対して未練なくあの世にいけるように供養することなど可能であろうか。

つまり、日本に古来あったと思われる「霊は一つとなり、そしてある時期に戻ってくる」が「個としての魂が別の世界にいく」となったことで、生者の中に「供養しきれていない」という想いが芽生え、それが「幽霊」として「認識」されるようになった、ということです。

私が彼の衣服を興味を持って眺めていたら、急に彼は動き出し、生き返ってきた。彼は組んでいた指を解いた。しかし、これは私が彼をみつめたために生じたのである。(中略)

ユング自伝Ⅰ ヤッフェ編 河合隼雄・藤縄昭・出井淑子訳 (みすず書房)

「認識されることで存在する」、という設定のこの世界においては、全ての人間が魂の海に還ることは、全ての箱がnullになることと同義なのでしょう。


たとえばあなたがバスケ選手であるとします。
悲しいことに、その数か月前、チームの仲間が病気で亡くなってしまいました。次の試合は仲間のずっと出たがっていた試合です。
そして試合当日、点差は拮抗しているものの、あなたのチームが少し押されています。
それは最後のゲームまで続きました。試合終了間近の残り数秒、逆転をかけた3ポイントシュートを放ちます。ボールはリングをぐるりとまわり、その一瞬をあなたは固唾を飲んで凝視します。
ボールはリングの内側に通り、あなたは見事に仲間の想いに報いることができたのです。

そのようなとき、あなたも「仲間が見守っていてくれた、ボールがまわるあの瞬間、仲間が内側に押し込んくれた」、そのように感じられるのではないでしょうか。

そのような仲間がボールを押し込んだと思わずにはいられないような「力」のことを柳田は「先祖」と呼んだと捉えるとわかりやすいでしょう。

そのような「力(対象a)」が上記のようなポジティブなカタチとは反対に「恨み」や「不安」、「穢れ」といった概念(変数)と繋がると「幽霊」として「認識」されて「存在」するようになる、と考えるのです。

長々と話してしまいましたが、私にとってお寺で手を合わせる、とはそういった意味での「幽霊(力)」を「スッ」と取り払ってくれることなのです。


👏死について

こどものころはただ何となく手を合わせていました。

祖母が亡くなったとき、父はその肌に触れるように促してくれました。
私に「死」とその「冷たさ」を結び付けてくれたことに対して、私は父に感謝を抱いています。

「死」、「冷たさ」、「祖母」それらはまだ分かたれていない「畏怖すべき対象」として私の中にあり、そして、「手を合わせる」と「畏怖すべき対象」もまだ明確には結びついておらず、習慣としての「手を合わせる」つまり、「いただきます」、「ごちそうさまでした」、お仏壇に対する「おはようございます」、「おやすみなさい」がありました。

こどものころから死に関する「イベント」が私にはいくつかありました。

あなたは豚が養豚場に行く前の何かを察したような鳴き声を知っていますか?

もしくは断頭された鶏の、意識が途絶えるまでの何かを訴えるかのような目を知っていますか?

私は「感情」が遅い人間なので「それら」が「手を合わせる」という「オブジェクト」に組み込まれて「感謝」になるまでは時間がかかりました。

大人になって初めてついた職は人の死と密接に関わる仕事でした。他のことも含めてこの頃から手を合わせることの意味について考えるようになっていったと思います。身バレ対策も含めてあまり個人的なことについて、必要がなければ記述しないようにしているので、このトピックに関しては触れません。

幼いころに話を戻して、当時住んでいた地域は、昔の処刑場であったり、旅中に倒れた人や馬の供養の地でした。それらは私の中の「畏怖すべき対象」と結びつき、「祖母の死」から、様々な死に関する「イベント」、「大人になってからの職業」を通して、「縁」や「業」というものを感じさせたものでした。


👏遠回りして歴史のお話


少し歴史のお話をさせてください。

歴史とはただあるだけの資料や史料を、情勢や学会内のパワーバランスや、語られる時代の民意、観測する位置によって繋げ方や語り方が変わるものであります。

芥氏「一つしかない時間を持ってくる奴が一番危険。歴史だけでなく権力という時間。自分の正しさ以外認めないだろう?」

三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜

私もそう思います。


知識層の中には「歴史学には伝統的な観測の仕方があるから、それに沿っていれば間違わない」というな発言をする方を見かけるのですが、話を聞くたび、私にはその意味が全然わからないのです。
詳しい方がいれば是非その伝統とは何か説明していただきたいです。

そんなボヤキはさておき、以下の「繋ぎ方」は「反動」の歴史です。

江戸幕府による統治体制の成立過程の中で、1612年、いわゆる禁教令(キリスト教の禁止)が発令されました。これは豊臣秀吉からの方針を引き継いでおり、この政策は1638年島原の乱というような大規模な内戦にも関わってきました。明治維新では幕府側にフランスが、薩長側にイギリスが支援していたと言われるのと同じように、一揆勢にはポルトガル(カトリック)、幕府側にはオランダ(ネーデルランド、プロテスタント)の支援があったとの見方があります。島原の乱は死者が3万人を超える痛ましいものでした。

このことも未来に大きな禍根を残したようなのですが、ここではそういった痛ましいことがあった、ということを述べるのに留めて先に進みます。

幕府の禁教政策の中でも特に多くの人々の印象に残っているのが、「絵踏み」ではないでしょうか。
キリストやマリアの踏み絵を、踏めるか踏めないかで、その者がキリスト教徒かそうでないかを判別したとされます。
ここで重要なことは、絵踏みによってその者がキリスト教徒でないことを保証し、また今後もキリスト教にならないことを保証させる第三者が必要になるだろう、ということです。

それが「寺」でした。

つまりこのとき、特殊な境遇の者たちを除いて、すべての人々がどこかしらの寺の檀家、仏教徒になったということです。

あなたがもし今もどこかのお寺と懇意であるのならば、この時の名残であるかもしれません。
それくらい長い間、私たちと仏教を結び付けた文化の始まりといえるのがこの時なのです。
もちろん、日本書紀で言う、蘇我と物部の崇仏・廃物を巡る争いや、聖武天皇の国分寺の建立などが、日本における仏教の始まりとして挙げられますが、俗のレベルで多くの人々の生活と結びついたのがこのときである、ということです。

ただこのことに限らず、公権力による一方的で急進的な、人々の習慣や思想のコントロールは必ず時代の変わり目で「反動」が生じるものなのです。

すべての人々が仏教徒になって冠婚葬祭が仏式になっていきます。
これに対して神道勢力は反感をもち、江戸時代後期には忘れ去られてしまった日本固有の思想を取り戻そうと、本居宣長や平田篤胤などの国学が起こります。また、そういった流れの中には水戸学という、今現在の日本の歴史の土台にもなっているものが生まれます(今の日本史の用語の多くが大日本史で採択されたものを使っている、という意味で)。


そして明治維新の際、仏教に対する「反動」は国学や水戸学と結びついて、「廃物希釈」へと繋がっていくのです。

その一つが「神仏集合」でした。

日本書紀に書かれる百済からの仏像の献上にはじまり、長い歴史の中で当時の日本には仏教の仏と日本神話の神々は同じ存在である、という考えが日本中で広まっていたのです(本地垂迹説(ほんちすいじゃく)。お寺の境内に鳥居があったり、神社とお寺がすぐそばに併設されていたりするのはこの名残といえます。

「私たちは日本人である」という思想統一のために天皇が日本固有の宗教「神道」の最高権威としようとしたとき、元々外来の仏教がそこに集合しているのは具合が悪かったのです。

ですから明治政府は「神仏分離令」という政策を実施し、神道と仏教を切り離しました。あくまで強制ではないとしつつも、仏教を捨てなければ、改宗しなければ生活ができないように締め上げ、江戸時代から広まり始めた国学を持ち出して仏教が日本独自の文化を汚してきたといような風潮を作り出したのです。

仏教をよくは思わない層はどの時代にも一定数存在しており、そういった層、また時代のうねりに飲まれ冷静さを欠いた一部の民衆によりお寺や仏像、文献が日本各地で焼かれてしまいました。

「諏訪信仰を伝えたい!」プロローグ 明治維新の裏面とコンステレーション|大花 町


この結果、1000年以上一つであった寺と神社が別々のものとなったのです。神仏分離令が発令されていた期間は半年程度のものだったのですが、たったそれだけの期間で1000年の文化は消え去るのだということは、意識してよく覚えておくべきことだと思います。
日本人は忘れやすい民族ですから。

このとき日本の今で言うインフルエンサーたちがどのようなことを言いながら西洋の考えを取り入れていったかご存じですか?

「私たちは欧米列強の脅威に対抗するために彼らの技術を学ぶ。しかし、それは日本の誇りを捨てることではないのだ。あくまで誇りを保ったまま学ぶのだ。むしろ、誇りを守るために学ぶのだ。」

結果は今の現状となります。

ところで、上記のような言葉、最近もよく聞きませんか?

AIやメタバースに関してです。

私たちは日本を再び経済大国にするためにAIやメタバースに力を入れる。けれど、それは自分の頭を使わずにテックに頼り切ることとは違うのだ。あくまで人間らしさを保ったままでAIやメタバースを取り入れるのだ。むしろ、再び経済を成長させ人間らしい生活ができるように学ぶのだ。」

日本人というのは良くも悪くも本当に忘れやすい民族ですね。
忘れる、禍根を水に流すという美点によって設定上でも王朝が2600年続いてきた、という点はあります。けれど、せめて100年前、200年前程度のことは覚えておく必要があると私は思います。

前:||まごころを君に 「あなたは似非カトリックでした」|大花 町


その後、神仏分離は取り下げられ、廃仏毀釈は収まったものの、近代国家成立のために天皇陛下を担ぎ上げられた結果、古事記の内容から陛下を神とみなして、それを祀る日本人を神の臣民とするようなデマゴーグに充てられて大戦に突き進んでいったことは、私含めて多くの人々が学校でも習った通りです(もちろん色々な繋げ方があることは理解しています)。

そして「先の大戦」に敗れ、「反動」は「平和教育」となり大日本帝国的なもの、民族主義的なものへの忌避により、私たちは古事記含め日本のルーツとされるような神話について、一部の物好きしか知らないようになっていったのです。


これは日本に限った話ではありませんが、戦後「平和は大事、自由は大事、平等は大事」そんな風に言ってればいいような、それに対して問題点を指摘すると、その内容のいかんに関わらず「平和の敵、差別主義者」などと言われてしまうような平和主義の弊害が起こるようになり、その反動が今起きているように思えます。

また、日本に関しては(自分たちのルーツをきちんと教えてもらっていない)、(教えない学者やマスメディアたちは本当のところいったい何者なんだ)、そして、戦後利得者や周辺各国の回し者なのではないかというような疑念すら、今現在持たれるようになってきているのです。

👏恐ろしいのは思想ではなく反動


つまり、
キリスト教の広まりへの反動として仏教が持ち出され、
仏教に追いやられた文化の反動として神道が持ち込まれ、
神道によって天皇陛下を持ち出して作られた近代国家と軍国主義に対する反動によって平和教育が施され、
平和教育によるいわゆる「お花畑化」による反動としての「今現在」があると私は見ているのです。

キリスト教が、仏教が、神道が、近代国家が、平和教育が

それらが悪いのではなく、大本にあるのは、「追いやられた、顧みられなかった恨み」、「忘れ去られていく怒り」、「無視される悲しみ」、「異常者とレッテルを張られる憎しみ」、そういったものが、特定の思想の皮を被って、時代の変わり目に反動として現れる、ということです。

多数派は死ぬくらいなら信仰や大切にしてきた文化を捨てます。
悲しい事ですがそれはそういうものなのです。
きっと私もそうです。
そして人間のもつ表層意識を維持する機能、

見たいことしか見ない。
聞きたいことしか聞かない。
知りたいことしか知ろうとしない。
それら以外は「そんなこともあるのだろう」、と流してしまう。

それによって自分たちが捨てたことを忘れてしまうのです。
少なくとも当事者たちはそれらについて多くは語らないので、孫の代になるころには忘れ去られます。
たとえばその反動の前の反動で消された価値観や文化を再現することはもう難しいのです。
それこそ、神仏習合時代の日本人の思想を辿ることが難しいように、また、すべての国民が仏教徒になる前の人々が抱いていた、柳田邦夫のいうところの「みたま思想」を辿ることが難しいように…。

歴史を消すことってそこまで難しいことではなく、普通に生活することと同義なのだと思い少し恐ろしくなりました。
朝起きて、ご飯を食べて、会社や学校に行き、帰ってご飯を食べて眠る。
休日は趣味や恋愛、家族サービスにいそしみ、たまに旅行に行ったり。
そんな普通(それも無理が出始めてはいますが)をしていれば繋いできたイシは消えるのです。

「裏」タケミナカタ神話「裏」⑤善光寺と金刺氏と物部守屋|大花 町

けれどそれができない人々もいる。

戦いに敗れ、手足を失い、人目を隠れ、痛みにもがきながら、
人々に忘れ去られていく。

戦いの日々は人々から疎まれ、
侵略された事実は平和に見える穏やかさのうちに忘れ去れていく。

「まだそんなことを言っているのか」
「時代は変わったんだ」
「お前ももう忘れろ」
「まだ戦いを続けたいのか」

そんな風に疎まれていく。彼は孤独になっていく。

何故?何故人々は忘れる?
何故忘れることができる?
あの日々はなんだったのだ?
あの戦いはなんだったのだ?
時代遅れとはいったいなんだ?
時代で「正しい」が「正しくない」に変わるのか?
誇りはないのか?

おかしいのは私なのか?
私はもういらないのか?
私は死んでいくのか?

「表」タケミナカタ神話「表」③夕焼けに色をつけるのは?|大花 町

そのような人々の中には、こう思う人々もいることでしょう。

人は見たいものしか見ない、
 目に物を見せてやる
聞きたいことしか聞かない、
 耳元で怒鳴りつけてやる
知りたいことしか知らない、
 思い知らせてやる
それら以外は「そんなこともあるのだろう」、と流してしまう。
 「追いやられ、顧みられなかった恨み」、「忘れ去られていく怒り」、「無視される悲しみ」、「異常者とレッテルを張られる憎しみ」をわからせてやる。


👏その上で手を合わせることの意味


その反動という修羅の道に進んで飛び込んでいく人々を見て、
私たちが過ごしてきた「社会」が反動によって壊されていくことを見て、

けれどその「大いなる事物」、「空間」に対して私という個人、ちっぽけな存在に何ができるのか、

何もできない。

でも、それでも、と想うとき、私は手を合わせるのです。

天国だとか、来世だとか、「みたま」だとか、なんでもいいけど、もしそういったものが本当にあるのなら、修羅を行く人々が穏やかに生きていける場所を祈らずにはいれない。

忘れ去られていくものたちが優しく顧みられることを祈らずにはいられない。

私が手を合わせるのは、反動の歴史を知り、死の冷たさを知り、死にゆく人々や、豚や鶏を知り、縁や業の中に自分がいることを知っているから。

その中で手を合わせたいと思うから、手を合わせるのです。

そうして、その侘しさや、寂しさを、同じように日本人は大切にしてきたことや、きっと同じような気持ちで手を合わせてきたことや、
それらを想うとき、私は自分がたしかに日本人であることを知覚できるのです。

「あなたは日本人であるという限界を超えることができなくなってしまう」

三島「できなくていいんだよ。ぼくは日本人であって、日本人として生まれ、日本人として死ぬ、それでいいんだよ。その限界を抜けたいと全然僕は思わない。だからあんたから見ればそれは可哀そうだとも思うだろうが」

三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜 から、三島氏と芥氏の討論の抜粋と私の意見|大花 町



👏終わりに


文化や伝統を繋いでいくことは大切なことだとは思いますが、それらの意味を咀嚼して自分なりにでも伝えることができないで、「文化や伝統は大事だから、文化や伝統を壊すな!」としてしまうのは、私個人としては「もったいない」ことだと思います。

けどそれは仕方ないことだとも思います。

人間は自分に関係ない事はあんまり知ることができないのです。

「安全・便利・快適」のなかでは反動の歴史や、死の冷たさや、死にゆく人々や、豚や鶏や、縁や業は、自分には関係ないものになるのです。

私個人の手を合わせる意味を見出す過程が万人に共通するとは思いませんが、やはり死について、歴史について知ることは多くの人にとっての過程になることと思います。であれは、やはり、「安全・便利・快適」が当たり前とされることは致命的な「無関係さ」を生み出すと思うのです。

だからこそ「加速主義」が力を帯び始めているのです。

つまり、加速主義的な愛国者の中には、社会が崩壊して、ほつれが露呈して、「安心・便利・快適」が崩壊すれば、上記のような本質的に大切であった事柄が再び人々に関係のあるものになっていくのではないか、というように考えるものがいる、ということです。

そういった人々の中でも良識的な方は天災や経済の停滞に期待します。

では、過激な者はどう考えているかご存じですか?
私自身あまりお伝えしたくないのですが、

「日本人はもう一度核を落とされないとわからないよ」

そのように考えているのです。

あなたはどう思いますか?

私は結局のところ、ゆっくり進んでいかなくては同じことを繰り返すだけだと、そう考えているのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
手を合わせることの意味を、あなたも見出していただけたら嬉しいです。


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