「難題提示」ユメノセカイ
いつだったか
「私たち」を追放されるとき、いく人かの理解を示してくれた人々が集まって、私を見送ってくれました。
季節は春で「正常」なら沢山の桜の花びらが舞い落ちる季節でしたが、
どこからどこまでがどこからどこまでか
それがわからなくなってしまった世界で、
そもそも春も夏も秋も冬もなくなってしまったのです。
私はもう桜を見れないと、胸が苦しくなり、
不思議なことに追放されることに比べれば些細な、
そんなことに涙が溢れてきたのでした。
私はいつか「私たち」だった、そして次の瞬間には「彼ら」となるその人々と、
「いつかまた桜の舞い散るこの木の下で巡り会おう」
そう約束して、その地を去ったのでした。
あたりまえがどれほど愛しいかを
いつだってニンゲンは失くしてから気がつく
そして後悔して
いつかその後悔も忘れる
そしてまた失って…
けれど取り戻せるものもあることを
桜の木の下で今、思えるから
やっぱりこの世界は美しいと
何度だってその気持ちを思い出せる
「この世界は悪魔の見ている夢である」
そのような、もしくはそれに類似した発想をこれまでに抱いたことがある方も一定数いるはずです。
私もそうですが、
しかし後々に思うようになったのは、
「それにしてはこの世界は美しすぎるのではないか?」ということ。
そこで考えてみる。
このシステムにおいて、世界とは「その個体の認識」である。
認識されないものは「無い」、認識されるものは「有る」。
その個体の認識がその個体の世界である
そんなのは「現実」でも「真実」でもなくて「虚構」ではないか???
つまりは悪魔は「優しい」のかもしれない、ということだろうか??
ホントウのことはみんなを傷つけるから。
みんなが傷つかないように、「個人の認識」を「個人の世界」即ち、
世界を御伽噺に改変したということ。
悪魔の夢は、みんなが御伽の国でそれぞれに幸せになることだったとしたら、
とても「優しい」とは思いませんか?
けれど「優しさ」とはなんなのだろうか?
傷つけないように箱庭に閉じ込めること?
箱庭から出してあげるために「門」を開いて中身をぐちょぐちょとかき混ぜること??
さぁさ善悪がぐるぐるし始めるでしょう???
全てのものに魂が宿りあなたを見守っているという感覚、「アニミズム」。「表」
世界のあらゆる物質はデミウルゴスが創造したものであり、それらのすべてがあなたを監視している。「裏」
このとき、あらゆる「形態」を、「誰か」を共感や安定の道具に利用することしかできない醜い生き物がニンゲンなのか? 「裏」
もしくは、本当は「形態」や「誰か」もあなたにいつも語りかけていて、その媒介者に「欲動」つまりは「可能態(デュナミス)」があると捉えるのか(D)? 「表」
桜の木の下で待ち合わせ
桜には大切な人と会える日常を感動的に演出させる何かがある
その何かとは「先祖」のことだと言ったら、
あなたは、またわけのわからないことを、としらけてしまうだろうか
それもいいではないか
今日も楽しかった
「優しさ」とはそんなものではないだろうかと
何度だってその気持ちを思い出せるかな?
笑い声は時代を超え想像力は年を取らない。そして、夢は永遠のものだ。
ウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias D'Isney)
D(デミウルゴス(ディオニソス))の民たちへ
そんなふうに乱雑に、
ジャンクフードを貪るように
インスタント食品で済ませるかのように
毎日を消費していいのかい?
ユメノオワリはあなたの感じている以上に近いかもしれない…
