人生を勝ち抜くための「ズルさ」の定義
僕たちは子どもの頃から「真面目にやりなさい」と教えられて育ちます。
例えば小学生の頃、夏休みの宿題として読書感想文を書きました。
しかし、当時の僕は本があまり好きではありませんでした。
親からは、「真面目に本を読みなさい」と叱られ、仕方なく読みたくもない本を読んでいた記憶です。
大人になってからの人生の戦略において、「生真面目さ」は美徳どころか、成長を大きく阻害するボトルネックになります。
・すべてを均等に、正しく発信すべきではないか
・普通に更新を続けなければいけない
・勉強をしっかりやらないといけない
このような後ろ髪を引っ張られる力が働きます。
しかし、その心理的なブレーキをかけたままでは、その他大勢から抜け出すことはできません。
生真面目さの反対にあるもの、
それは・・・
「ズルいこと」を考える思考です。
例えば、僕が小学生の頃に流行った『マリオカート64』というゲームがあります。

このゲームには、レースの勝敗を大きく分けるような大幅なショートカットコースが存在していました。
これは正規のルートから外れたシステムの穴をついたバグのようなものであり、開発者の遊び心とも言えるものです。
ここで「決められたコースを正しく走らなければならない」と考え、あえてショートカットを利用しないのが生真面目さです。
しかし、現実の世界において、結果的にレースに負けてしまっては全く意味がありません。
僕は、この「生真面目さ」によって大きなチャンスを逃し、痛い目を見てきた経験があります。
かつてブログが全盛だった頃、「完璧な形を整えないと出発できない」という生真面目な癖が邪魔をして、HTMLやCSSを学びながらページを綺麗にしたり、「内容は何でもいい」ので毎日投稿を続けていました。
当時は「ブロガー」と呼ばれる人が出始めた頃で、アフィリエイトで収益を稼ぐ人が現れていました。
ただし、アフィリエイトで収入を得られる人たちは、見た目や投稿数よりも「稼ぐためのショートカット」に追及していました。
生真面目さを露呈した僕は、流行の波に完全に乗り遅れ、ブログとして稼ぐチャンスを失ってしまいました。
また新卒の頃も、一つのタスクを完璧にこなそうとするあまり、周囲の状況や全体の構造が見えなくなり、結果として周りより仕事が遅く、自分自身の歩みを止めてしまったこういうことがあります。
「普通」の枠に留まろうとする過度な生真面目さは、爆発的な成果を抑え込んでしまう重りになります。
人生というレースを勝ち抜くためには、あえて偏り、「普通」から逸脱する勇気を持つことが不可欠です。
ここ数年の僕は、生真面目さから外れたショートカット人生を歩んでいます。
ショートカットを利用し、中小企業から外資系へ転職することもできました。
また、10年彼女がいない状態からマッチングアプリを使って結婚できたのも、ショートカットを利用したからです。
では、現実の社会において、マリオカートの「ショートカット」に該当する「正しいズルさ」とは・・・
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