noteの毎日投稿をやめたことで、得られたこと。
少しの間、noteの投稿から離れていました。
というのも、友人がこの世を去ったからです。
まだ30代半ばという、人生がようやく楽しくなってくる時期であり、互いの将来を語りながら酒を酌み交わすなんてこともできる時期です。
「声を聞けない」というのが一番つらいですね。
深い悲しみに浸ると、目の前のことが手につかず呆然とすることがあります。
多くの人は、「呆然とするより前に進むべき」と正義感を持って走り出そうとしますが、私はむしろ「呆然を貴重にする」ことを大切に生きています。
呆然とする時間を過ごすことが勿体ないと鼓舞するのは、完璧主義の人にある発想だと思います。
20代のころは、この考えに近かく、「猪突猛進」に人生を止まらず進む感覚で生きていました。
しかし、結婚して一人の時間が貴重になると「呆然と考える時間」があまりないことがわかりました。
「呆然=止まること」ではなく「呆然=余白をつくること」と、とらえることです。
「余白をつくる」って思ったよりも難しいんです。
たとえば、話の間(ま)も余白ですが、営業のプレゼンでは説明したいことが前のめりになって、つい間を抜かす「まぬけ」になってしまいます。
それは、「時間は使わないと勿体ないもの」という発想だと思います。
30代になって「余白」を自然とつけれるようになってから、自分と向き合う時間がだいぶ増えました。
しかし、「余白」をつくるのが苦手という人も多いと思うので解説したいと思います。
余白をつくるとは、
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