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漫画|『バナナブレッドのプディング』から続いているもの

私にとって、
大島弓子は特別な漫画家の一人です。

思春期の頃、そのたくさんの作品に、
救われ、生かされてきました。

言葉にできないモヤモヤ。
理由のわからない不安や孤独。
大人になることへの戸惑いと、
どこか拒みたい気持ち。

そうした行き場のない感情を、
受け止めてくれる場所がありました。
大島弓子作品の中には、いくつも。

『バナナブレッドのプディング』も、
そのひとつです。


この作品は、いわゆる物語の起伏よりも、
感覚や心理の揺らぎを描くことに重心が置かれています。

思春期の不安や孤独。
自分という存在への、
うまく言葉にできない違和感。

他者との関係の中で、
かすかに見える救い。

そして、
現実と幻想のあいだを漂うような世界。

その中心にあるのが、あの言葉です。

「きょうはあしたの前日だから
だから、こわくてしかたないのです」

理由は説明されない。
けれど、確かにわかってしまう。

あの感覚は、誰の中にもあるものとして、
描かれているように思います。

朝日ソノラマの大島弓子選集。16巻まで揃ってます

主人公・三浦衣良だけでなく、
御茶屋さえ子、兄の峠、奥上大地、教授。
彼女を取り巻く人物たちが、それぞれに不思議な輪郭を持っていて、
読んでいるのに、どこか舞台を観ているような感覚になる。

セリフは詩のようで、少し浮遊していて、それでも確かに届く。

墨で塗られた黒の深さや、画面の余白に漂う空気まで、
あの頃の私は、きちんと受け取れていた気がします。

そして、タイトルにもなっている「バナナブレッドのプディング」。

田舎で育った私には、それは想像の外にある、
どこか遠い国の、夢のような食べ物でした。


衣良が転校早々の自己紹介で、
「バナナブレッドのプディングを食べてみたい」と語るところから始まり、
実際に作る場面で、どんな味にするか悩みながら、
「生きてる国の味がいい」と言う。

その一文が、ずっと心に残っています。

ふと読み返すと、時間が巻き戻るように、
十代の自分の感覚に引き戻される。

懐かしいというより、まだそこにある、という感覚です。

朝日ソノラマと集英社のコミック

作中に出てくる、バナナブレッドのプディング。
そしてミルクや、あたたかい飲み物。

食べ物はただの小道具ではなく、
登場人物の心と、深く結びついている。

憧れや、夢のような遠さ。
けれど同時に、確かに手に触れられる現実。

そのあいだにあるものとして、
あの食べ物たちは存在しているように感じます。

チョコやワッフルをモチーフに、革小物を作っている私にとって、
食べ物は単なる形の引用ではありません。

美味しそう、という感覚の奥にあるもの
それは、記憶や願い、まだ手に入れていない時間や場所。

触れられないものを、触れられる形にすること。
遠いものを、少しだけ手元に引き寄せること。

そのために私は、食べ物のかたちを借りて、
革という素材に置き換えているのだと思います。

思い返してみると、その原点のひとつに、
『バナナブレッドのプディング』があったのかもしれません。

この作品のことを書いてみて、
自分がどれだけ多くのものに影響を受けてきたのか、あらためて感じました。

これからも、心に残っている漫画や本、
そして最近出会ったものも含めて、
少しずつ書き残していこうと思います。

同じように、どこかで心に残っている作品がある方に、
届いたらうれしいです。

ワッフルやチョコのモチーフの革小物たち

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