自分に夢中になる~「今、ここ」を生きると人生が好転する
夢中になって生きるとは、「今、ここ」に集中する、今に生きることに直結します。
「論語」の中で孔子さんは、次のように言っています。
之を知る者はこれを好む者に如かず。
之を好む者はこれを楽しむ者に如かず。
私流に訳するとこうなります。
物事を知っているだけの人は、それを好んでやっている人にはかなわない。
好んでやっているだけの人は、それをワクワク楽しんでやっている人にはかなわない。
わくわく楽しむためにも、コツがありそうです。
例えば、仕事や課題などで締め切りに追われたり、「~しなけらばいけない」という周りから無理強いさせられたりすると、「楽しい」気持ちにはなりません。そして、モチベーションも上がらず、あまり身に付いたり、成果が上がったりしません。
しかし、同じ内容であっても自分から、自分の意思で取り組み始めると、気持ちが前向きになります。そして、身に付きやすいです。そして、楽しんでいる境地では、「努力」が苦にならないので(本人としては努力とすら感じていないことの方が多いですが)、ますます、熱心に取り組めますし、極められます。
「知る」ことは、ただ、頭の中に入れて「認識している」段階です。
「好む」ことは、相手(内容)に「関心を寄せている」段階です。
脳科学的にも、関心を寄せる(意識を向ける)ことで、その内容に関する情報が集まってきやすく(情報を選択して、優先的に頭に入れやすく)なります。
「楽しむ」ことは、自分が直接かかわること、「一体感を感じる」ことともいえます。自分が丸ごと関わって経験していくことで、学びも最大化しやすくなります。そのおかげで、身に付きやすく、外からの強制、努力しているという思いを脱して、自分から前向きに取り組んでいける状態になります。
「楽しい(む)」というと、「楽をする」というイメージがあるためか、まだまだ否定されやすい土壌があります。
しかし、オリンピックでも
「最後、思い切り楽しみました」
「自分の持っている力をすべて出し切りました」
「楽しんでやろうと思いました~」
とコメントする選手たちの笑顔は清々しく、そして、結果も出ている人が多かった気がします。
楽しんでいるからと言って、練習をいい加減にしたり、「努力」をしなかったりではありません。むしろ、一般人からするととてもマネできないような、練習量を積んでいたりします。ただ、選手たち自身がそれを「当たり前のように」「楽しんで」こなしているからこそ、あのさわやかさ、清々しさが漂っているのかなとも思います。
人気テレビ番組の一つに「ポツンと一軒家」があります。
日本各地の人里離れた、なぜそこに?と思うような場所にポツンと存在する一軒家を衛星写真だけを手掛かりにして調査するトーク番組です。
実際、地元の人達から情報を集め、現地に赴き、そこに住む人物の人生(どんな人か、なぜ、そこで暮らしているのか)などに迫ります。
テレビ番組なので、「脚色」もあるかもしれませんが、自分の暮らしとの差が大きいだけに、毎回、学びがあり、時にうらやましいなあという思いになる時もあります。
中には、一軒家に「一人」で暮らしている方もいます。
さみしくないのかな?
不安じゃないのかな?
先々の事は心配じゃないのかな?
などと、疑問に思うこともありますが、ある方は、こんなこと言っていました。
草むしりしていたら、大丈夫だよ。
草むしりとすると不安が消える!?
この言葉を聞いて、私はトイレ掃除のことが思い浮かびました。
特に、便器を磨いていると、不思議なほど、心の中のおしゃべりが消えて「静寂さ」が生まれます。「おしゃべり」と言うより、不安や心配、後悔、怒り・・・。だいたい、ネガティブな感情が多いのですが、便器をごしごし磨いているとそんな感情が消えていきます。「草むしり」も同じことではないかなとピンときました。
どちらにも共通するのは「動くこと」。そして、「目の前の事に集中する状態」です。
体を動かすと、「思考」が止まります。
もちろん、全く何も考えない状態になることは無理ですが、あちこち、あれこれと心に浮かぶネガティブな思いがなくなっていきます。かわりに、目の前の事・・・例えば、草の事だったり、便器のことだったり・・・を考え、今、どうやってきれいにしようかなどと、そのものの事に集中しています。すると、「不安」などから解放されます。
ネガティブな感情は、先々の不安や心配と言う「未来の事」や後悔や罪悪感という「過去の事」に囚われた時に起きてきます。逆に言うと、「今、ここ」から離れてしまった時に、ネガティブな感情が大きくなります。
トイレ掃除が「うつ病」にも効果があると言われるのは、この不安の解放も影響しているのではないかと思われます。
そういえば、画家などのクリエイターに長生きをする人が多いのは、作品を手掛ける中で、目の前の事に集中することが心の健康や生きる意欲につながるからかもしれません。
また、ロシアの文豪トルストイも
「過去も未来も存在しない、あるのは現在という瞬間だけ」
という言葉を遺しています。
お釈迦様も「人生の長さはどれぐらいか?」と言う問いに、
「人生は一刹那(いちせつな)一刹那。その連続だ。」
と答えたそうです。
お釈迦さまが決めた「時間」でいうと、一拍子の中に65刹那が入っているそうです。そう、1秒にも満ちません。たしか、ビデオが1秒に60コマぐらいというので、一刹那というのはビデオの1コマ分とも言い換えられます。そして、それが私たちの「人生の長さ」となります。その一刹那、一刹那の連続で生きていることになります。
あるいは、別の言い方をするとまばたき1回分です。
まばたきを1回すると人生が1回終わる。
また、目を開いたら、別の人生です。
古今東西を問わず、「今、ここの瞬間を生きる」というのは、人類共通の考え方であり、上手に生きるコツなのかもしれません。
そう考えると、日々、心に湧き上がる不安や後悔は、頭の中でつくり出した「幻」ともいえます。あるいは、不安や後悔を感じるのは、心が「今、ここ」から離れてしまった状態ともいえます。
生きている以上、「辛い出来事」「困った事」を経験するのは避けられませんが、その経験にとらわれ、いつまでもネガティブな気持ちで自分の心を一杯にしていたら、今生に残された時間がもったいないと思いました。
ネガティブな感情に飲み込まれそうなときは、草むしり、トイレ掃除など、手を動かして「今、ここ」を生きるといいのかもしれません。
また、何も夢中になることがない方は。
自分に夢中になる
のはどうでしょう。
「私が好きなものは何だろう」
「何をしている時が心地いいだろう」
「死ぬまでにやりたいことは何かな」
などと自分と対話することです。自分との対話に夢中になっていれば、そのうち、本当に自分がやりたいことや夢中になれるものにも出会えるようです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。
