【長尾の読書感想文】ミーツ・ザ・ワールド 金原ひとみ
「何でもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」という我々公募挑戦者にむけた選者コメントで励まされた方も多くおられるのではないだろうか。
もちろん、金原ひとみ先生のコメントである。
芥川賞作家であり、我々にとっては雲の上の作家のはずなのに、「難しいことは考えなくて良いから、書けたら応募しておいで」というメッセージで、応募者のハートをがっつり掴んで離さない。仮に著作をこれまで読んだことがなくとも、ああ、あのコメントの!! となる。わたしはなった。
今回noteで開催される読書の秋2025の推薦図書に「ミーツ・ザ・ワールド」の文字列を見て、これはいい機会だと、サークル経費で文庫を買った。
帯のキャッチコピーには「死にたいキャバ嬢と推したい腐女子」とあり、全然どんな話なのかわからない。自宅に帰り着いて仕事もそこそこに、最初の数ページだけ……と読み始めたら止まらなかった。
以下、感想文である。
あらすじ
焼肉擬人化漫画をこよなく愛する腐女子の由嘉里。恋愛経験は皆無である。人生二度目の合コンに失敗し、歌舞伎町で泣きながら潰れていたところを、美しいキャバ嬢・ライに助けられた。
ライのマンションに転がり込む形で同居が始まった由嘉里とライだが、ライの部屋は足の踏み場もない汚部屋で、由嘉里はそれを掃除するところからライのことを知っていこうとする。
「私はこの世から消えなきゃいけない」と語るライに「生きてなきゃだめです」と詰め寄る由嘉里。その対話はどこまでも平行線のまま、消えたいライと、生きててほしくて駆けずり回る由嘉里の距離は縮まらない。
由嘉里に男性からデートのお誘いが来たり、ライの友人であるホストのアサヒの女性関係など、あの合コンの夜にライに拾われてから、由嘉里の世界は一気に新しい世界になっていた。
愛のかたち、生きる意味、恋愛とはなにかを深く考えさせられる傑作長編。
感想 2025/10/01
読了して、わたしは泣いていた。それはわたしの精神状態が躁状態で、ちょっとしたことで感情が昂ってしまう期間だというのもあるのだが、終盤を読みながら、ずっと身体の芯が震えていた。
ライは、正確に言うと死にたいわけじゃない。消えたいのだ。彼女の理論では、理由はわからないが、自分は消えなくてはいけないと生まれたときから決まっていたそうである。そしてその消えなくてはならないという感覚を”ギフト”と呼んでいる。
当然ながら由嘉里にはその感覚が理解できない。由嘉里は平凡な腐女子で、推し活や薄い本の蒐集に人生を捧げていた。それを、もう27になるのに恋愛経験もないのは流石にどうなのだろう、という焦りみたいなものから、婚活パーティなどに顔を出すようになっており、その合コンも数合わせとはいえ真面目に出席していた。由嘉里にとっての幸せは、恋愛して、結婚・出産を経て人並みの家庭を築いていくことだった。
その幸せの幻想を掴みたくて必死になっていたところ、美しいキャバ嬢という、ルックスも恋愛経験も由嘉里より遥かに上の「幸せ」を持っているはずの人間から「消えなきゃいけない」と聞かされたわけで、腐女子特有の早口でライに疑問をぶつけていく。
ライは、生きることに執着がないため、希薄で、空虚で、がらんどうのような印象を抱かせ、それが由嘉里には非常に不安なのだった。
わたしが好きなキャラは、ナンバーワンホストのアサヒだ。引き出しは多いし人間の感情の機微にも敏感で、さすがナンバーワンなだけあるのだが、由嘉里に会うときはオフだからだろうか、気取らないおバカ感があって、なんか可愛らしいのだ。きっとこの小説のなかでいちばん人間ができているのはアサヒじゃないかなと思う。
かつての自分も立場が被っていたから臆することなく言うのだが、腐女子は普通の人間ではない。普通の人間の皮をかぶって生活することで擬態している腐女子はたくさんいるが、由嘉里のようにバイアスかかりまくりで一般市民の常識とは解離したところにいるのがほとんどだと思う。
アサヒは、自分のことを2.5次元的な人間だと表現することがある。そして、奥さんとの生活が決定的に破綻してしまったとき、2.5は3になっちゃいけなかった、としみじみと言うのが、とても切なかった。
アサヒは由嘉里に愛のなんたるかを懇切丁寧に語ってくれる。セックスは気持ちの悪いことだし、その気持ちの悪い行為をどうしてもしたいと思える人間とだけすればいいこと。気持ちの悪い行為を気持ちの悪い人とは行わないほうがいいこと。由嘉里は恋愛をしたことがないだけで、推しへの愛、ライへの愛は十分に愛であることを語り聞かせてくれる。
わたしも、愛や、対人感情を細かくカテゴライズする必要はないと、大切な人に言われたことがある。
わたしはセクシャルマイノリティだから、自分を理解してもらうために、つい自分のことをカテゴライズして説明しようとしてしまうことがある。これが愛なのか、恋なのか、憧れなのか、どうして特別に感じるのか、つい追求しそうになって感情を見失い、認めたくない結論に至ったときは、その感情ごとはじめからなかったことにしたこともあった。確かに抱いたはずの感情をまるごと殺したときは、すっきりはするが、やはり虚しい。そして特別だったはずの人との関わりが希薄になり、孤立していく。いつもそんな調子で、わたしはここまで孤独に生きてきた。
自分がセクシャルマイノリティだとわかるまでに、気持ちの悪いことを気持ちの悪い人と何度も繰り返し、いつか気持ちいいと思えるときが来ると言い聞かせ、無数の傷を心に刻んだ。
どうしてこの本に十代のときに出会えなかったのだろう。まあそれは金原先生がまだ書いていなかったからといえばそこまでなのだが、きっとあのときにこれを読んでいたら、いまの苦しみを知らずに済んだ。
ライが消えたいというのを、由嘉里なりに解釈するとき、性別違和の人間が性別適合手術を受けたいと思うのと同じだろうか、と考えるときがある。わたしも性別に違和感を持っているので、そう言われると確かにそんな気もする。ライが消えたいなら、わたしは性別をなくしたい。どちらも簡単には叶わない。ライはたしかに死んでしまえば叶うかもしれない分、わたしのほうが難しい欲求と向き合っていることになる。由嘉里の解釈が正しいなら、なるほどたしかに苦しい。ただ、ライのほうが切実だった。いつでも消えてしまいそうだった。
結論として、ライは失踪してしまう。由嘉里に三百万円の現金を残し、霞のようにどこかへ行ってしまった。由嘉里は当然ぼろぼろになる。しかし事件は立て続けに起こるもので、アサヒが刺されたと連絡が入る。ライを失って、アサヒまでをも失ったら、由嘉里はさらに憔悴する。
「アサヒは死んでも死なない」
みんなで通っていたバーのママであるオシンの胸で号泣しながら、アサヒの手術終了を待つシーンはこちらもハラハラした。結局アサヒは元気になって、ライの部屋だった由嘉里のマンションで、みんなで飲み会をするくらいになる。
それでも、由嘉里の悲しみは簡単には癒えない。一緒にいた時間は、長い人生で考えれば一瞬だったかもしれない。それでも、ライにとっては幸せな時間だったのではないかと、周りのみんなが由嘉里に言い聞かせる。由嘉里はどこか納得できないながらも、心の中に生きているライを大切にすることで共に生きていこうという結論に至る。
そして感想冒頭に戻るのだが、わたしの中では、「もっと早くこの本に出会っていたかった」「いまは苦しい」「ライのように消えられたら」という悲劇的な感情がドロドロに煮詰まってしまい、一時間くらい泣き続けた。
それでもいつまでも泣いてはいられない。わたしにはこのサークルがある。仕事がある。新鮮なうちに感想もまとめておきたい。
落ち着くために三十分だけ眠ったら、いつの間にか冷静になって、泣き止んだ。
もっと詳細なあらすじを知っていたら、この本を避け、泣かないで済んだかと言われると、それは怪しい。知ってなお気になって手を出して、すごい濃度の話に殴られてまた泣いただろう。わたしとこの本が出会ってわたしが泣くほど情緒を揺さぶられるのは、もはや運命だったのだ。
わたしは読んで良かったと感じている。
これから何度も再読して何度も涙を流すだろう。
しかし再読するたびに違う発見があるだろうという予感をはらんでいるこの本。また開くときが楽しみである。
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