オフィスサンサーラとの25年 14 「PS FEEL」印刷ミス発生、大阪へ行ってくれ IBMと松下電器(パナソニック)
今でも不思議でしょうがない事件がありました。雑誌作りをしていて避けられない「誤植」事件。「PS FEEL」でも発生しました。
「PS FEEL」も1993年に創刊して、IBMの企業ユーザーに郵送された。ありがたいことに、内外各方面に好評で、それによって制作体制も固まった。
だいたい大きなミスは、そんな安心した頃に、人間をあざ笑って、起こります。
電話番号の誤植でした。
それも単純な数字の誤植ではなく、そっくり電話番号が入れ替わっていて、しかも、それがライバルメーカーのお客様問い合わせ番号になっていました。
IBMの担当者からの緊急電。まさかと思って、その誤植の番号にかけたら、某メーカーの担当者がでました。さあ大変だ。
幸いまだ発送する前だったのが、不幸中の幸いで、損害に眼をつぶって刷り直しをすれば対応できます。しかし、それでもすまないことがありました。
「大阪の松下電器の工場に行って、現地に発送した分は、誤植訂正シール張りをしてください」と言われた。
なんでIBMのPR誌が松下電器産業(現パナソニック)に?
IBMの担当者はなんとなく、言いずらそうに、
「実は、松下のPCはうちが製造しているんです。それでうちからのサービスで、そのPCに「PS FEEL」を同梱してもらっているんです」
それは納得、というよりも、彼らの製品発送作業の前に、誤植修正シール張りをしなくてはならない。こりゃ大変なことになった。たった一つの電話番号の誤植が、松下電器にも迷惑をおかけしているわけです。
私と河津君と2人、翌日の一番で大阪の門真にある松下電器の工場へ、誤植修正シールを持って飛行機で飛びました。
松下電器の工場に昭和があつた
私たち日本人が「工場」の姿を思い浮かべるのは、たいてい、波形の屋根が延々と続き、そこから煙突が伸びている、そんな姿です。大阪の松下電器の工場こそ、それでした。
灰色の大きな建物、その下にベルトコンベア、作業服のまさに「工員」さんという人々。
そんな工場を抜けて、事務所にその日の作業の指揮をとる部署があり、そこの課長さんに挨拶。河津君が、ご迷惑をおかけしましたと菓子折りをさしだし、2人で頭を下げると、その課長さん、猛烈に困って、いやいや、こんなことせんでください、困りますとうけとらない。うちら、迷惑です、と。その態度が、建前ではなくて、本当に困っているのが伝わる。松下電器は、こんなちょっとした付け届けも、禁止なんだと知りました。
でも、東京まで持って帰るのもなんですからと、拝み倒して受け取ってもらった。
案内された暗い工場の片隅に、ありました「PS FEEL」が。そのわきで、梱包をまつ製品が。もう時効でしょうから言いますと、それは「パナソニックAVパソコンWOODY」
が並んでいました。

河津君が誤植ページを開き、大嶋がシールから訂正した電話番号を剥がして、河津君に渡し、河津君が修正箇所にそのシールを貼る。この作業を3000部、つまり3000回くりかえす。
そのうちに工場中でサイレンが鳴る。昼食の時間です。課長さんがきて、食堂で食べていってくださいと。ありがたく作業を中断して歩いていると、工場の中庭で工員の皆さんが整列してラジオ体操をしている。なんと昭和の風景。
食堂に行きました。なんの飾りもない、シンプルな部屋。アルマイト製のトレーを受け取り、並びます。アルマイトのお椀にご飯と味噌汁、小皿に煮物のおかず、そして漬物。これだけ。昭和の簡素な昼ごはん。工員さんたちは、文字通り「黙食」。河津くんも私も、あまりの昭和に、なんだか笑いそう。
でもこれが、松下電器の工場。
実直、簡素、効率そのもの世界。そんな工場のお昼ご飯は、当然おいしかった。
夜の8時近くなって、やっと作業が終了。まだ明かりの点いている事務所に終了の報告にいくと、課長さん1人残っていて、
「ほんと、ご苦労さんでした」と、労ってくれた。
明かりの消えた工場の中を抜けて、出口の警備室の窓からも、連絡がいっているのだろうか、「ご苦労様」の挨拶が。
河津くんと2人、なんだか私たちも、労働者諸君の1人になった気分で、
「お疲れ様でした」と深々と挨拶していました。
とはいえ「PS FEEL」の、この誤植事件。振り返ってみると、疑問が残る。誤植で数字が違ってしまうのは、いい。でもなぜ、電話番号がそっくり、ライバル企業のお客様センターの番号にすり替わったのだろう。偶然起こることだろうか。DTPの現場に、誰か愉快犯でもいたのだろうか?
