硝子窓の中
硝子窓はデニムとコットンのジャケット、その後ろの本、おそらく昔Y‐3でもらったYohji Yamamotoのポスターの入った額に遮られている。
そのために、光は上部の細長い窓からうっすら差すのみで、電気を付けなくては昼でも薄暗い。視線を落とすと細長いテーブルの上にテレビがあり、その横には31冊の文庫本が収まる本棚。
その横、壁にぴったりつく形でベッドがある。万年床状態で、愛用のガラステーブルにノートパソコンを置いている。
反対側の壁に小学一年で買ってもらった学習机があり、その上には五段の、文庫本用の本棚が三つある。一つは右の壁に、一つは奥の壁に、一つは学習机からはみ出すように置かれている(その下に、床との間を埋めるように本棚がある)。
そして、その横に服のラックがある。数年かけて買った、10万円から20万の服が、奥のパーカーやジャケットを塞ぐようにかかっている。
その横には、七段の単行本用の本棚、漫画用の棚、さらに六段分の単行本用の本棚(ここにはトマス・ピンチョン全小説がコンプリート)。ドアの横に書類用の棚があり、その上に銀行の通帳や印鑑がはいった箱が乗せられ、さらにその上に本棚がある(三体が揃っていたり)。
ドアの横にはさらにY‐3のシャツやなんかがあり、ベッドがぴったりついた壁には二着のレザージャケットがかかっている。
以上が、
私の部屋の全てと言える。
趣味と趣味とに囲まれた、全身全霊の子供部屋おじさんであり、何者も入れることのない聖域と化している。換気扇を回し、真っ白な画面に文字をうちこみ、別ウィンドゥでVチューバ―の配信をラジオ感覚で流して、テレビではホークスと日ハムの試合がやっている。
あまりにもマイペース。独身の自由を謳歌している、と言えば聞こえはいいが、食い潰しているとも言える。
この家の中、硝子窓の中で人知れず、蓑虫のようにして生きている。
休日、這い出たかと思えば、バスに揺られて日高屋で、野菜たっぷりタンメンと炒飯を双方大盛で喰い、書店へ行く。帰ってくる。酒をのんだり、読書したりで、時が過ぎる。人生の残り時間が減っていく。
世界が狭い。
狭いようで、読書によって広がっているとも言えるから、それでいいと開き直るのか。孤独について、現状について、ここ最近考えるようになった。
これは、
ミドルエイジクライシスなのか?
十代のころからずっとクライシスだが?
その中で、文学とファッション(哲学は少し)という救いを得ただけ。
何が悪いのか。人生はずっとクライシスである。中年だから特別に意識することではない。若いからこそ、道を逸らしやすく、気が付けば大変なことになっている人間もいる。
人間はいつでも今日が、一番若い日。
ということにしておく。
このところやはり、季節なのか、もやもやしている。
しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変わる。目まぐるしく回る世の中は、次々と追いきれないほどに出来事がおこり、私の周りを土石流のように流れ暴れる。その、粒子の一点を捉えることができれば、もっと楽に良い記事が書けるはずだ。
それにしても蒙古タンメン中本の、北極やさい(麺大盛)とライス(大盛)、北極煮卵と背脂が胃袋で、存在感を放っている。
まだ、
こういったガッツリ飯には負けないことにしている。
明日は休みなので、朝と昼飯をかねて、日高屋で野菜たっぷりタンメン&炒飯を大盛で喰らう。
本も買う。
noteも書く。
酒も飲む。
野球も、たぶん観る。
そしてそれらすべて、硝子窓の中でおこる。
誰とも個人的な会話をすることなく、厭世的に孤高でいくしかない。
そうして時間は過ぎ去っていくわけだが、少しでも有意義に過ごす。
もうすぐ四月。
始まりの季節です。
