時代と共に変わる言葉

使用障害(use disorder)とは、
アメリカの医学会で使用される「依存症」に代わる語

依存症の本質は、「安心して人に依存できない」ことというのは、
精神科医松本俊彦氏の言葉

たかが呼称、されど呼称
その呼び名が広まるまでには、知見者の声だけではなく、
当事者やその家族の悲痛な叫びがある

依存をやさしい日本語に直すと
甘え

でも少し違う
英語の依存は、dependence
反対語は、independence

独立の反対語が
甘え
ではないだろう

甘えるな! 甘ったれたことをいうんじゃない! 甘えすぎやろ。
甘えてばっかりですみません……
たいがい否定的に使われるけれど
でも
わたしたちは知っている
甘えていい みな多かれ少なかれ甘えている 
お互いさまの甘えがある世の中の方が
楽に生きられる

その許容範囲が狭まってきている昨今
なのに対象を人以外に頼った途端
非難の目が向けられる

アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存……

言葉が変わればイメージも変わる

アルコール使用障害、薬物使用障害、ギャンブル使用障害……

専門家の治療の領域に変わる

それでも
「安心して人に依存できない」ことの根っこは
治療だけでは解決できない
個人の努力にかかっているのでもない

やはり伴走者の存在が不可欠なのだろう

「依存症」と日本でいま呼ばれてしまっている人たちへの
社会の落伍者であるかのような厳しい眼差し
そのなかで踏ん張っていくのは
並大抵のことではない

甘えさせてあげられなかった後悔が
わたしには
ある

そして
わたし自身が
甘えられないときも
ある

時代と共に変わる言葉の誕生は
にわとりが先か
卵が先か

認識が変わったから言葉が変わるのか
言葉が変わったから認識が変わるのか

過ぎてしまえば
いま使用している言葉が
ふつーに
なる

わたしの子どものころ学校の授業を親が見学することを
父兄参観
といった
ムーのころは
保護者参観
になった
これもまた時代とともに変わりゆくのだろう

主人、の返り咲きは何を意味しているのか

定着する前の
変遷の渦中にあるとき
こそ
実態がよく見えるものだ

まずは「依存症」の指す意味を
頭のなかを整理して問うてみるのも
いい
かもしれない






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