木曽五木~島崎藤村
奈良市在住の定年退職教員で、やぶきひでお と申します。

明治以降の作家で最も大きな作家は島崎藤村だと思う。私の好みも入っているが、これはかねてよりの私の持論だ。抒情(『若菜集』)から社会問題(『破壊』『夜明け前』)まで、その各々の作品において完成度が高い。
どういう意味で高いのか。他の作家との比較は措く。思うに、詩、小説、随筆、紀行にいたるまで、藤村文学の底を流れるのは、回想という方法で人生を歴史の流れにおいて反芻し、凝集している点である。その事が、一方では自我の浪漫的な凝視と顕現となり、他方では自我の求道的な充実と社会的実現となっている。
この二つの特色が藤村を、山また山の木曽に生いたった農山村の民として生活を営む、腰の坐った実生活者たらしめ、かつ理想主義者たらしめているのだと思う。昨日一日、藤村をあれこれ読んだ。実生活者を彷彿とさせる短文をひとつ。
「檜木、椹(さはら)、明檜(あすひ)、槇、ねず---を木曽の方では五木といひまして、さういふ木の生えた森や林があの深い谷間(たにあい)に茂って居るのです。五木とは、五つの主な木を指して言ふのですが、まだその他に栗の木、杉の木、松の木、桂の木、欅の木なぞが生えて居ります。樅の木、栂の木も生えて居ます。それから栃の木も生えています。」(『ふるさと』「五木の林」より

明治新政府は、藤村も書いているように木曽山林三十八万町歩の十分の九までを官有地として、人々の立入りを禁じた。従来の明山(あきやま)でも木曽五木の生えているところはすべて官有地とした。山国の暮らしを無視した無茶苦茶な山林囲いこみ政策であった。
「・・・暗いと言わるる過去ですら、明山は五木の伐採を禁じられていたにとどまる。その厳禁を犯さないかぎり、村民は意のままに山中を跋渉して、雑木を伐採したり薪炭の材料を集めたりすることが出来た。今になってみると、御停止木の解禁はおろか、尾州藩時代に許されたほどの自由もない。家を出ればすぐ官有林のあるような村もある。寒い地方に必要な薪炭や痩せた土地を培うための芝草を得たいにも、近傍付近は皆官営地であるような場所もある。木曽谷の人民は最初から嘆願を中止したわけでは、もとよりない。いかに本山盛徳の鼻息が荒くとも、こんな苛酷な山林規則の御請は出来かねるというのが人民一同の言い分であった。耕地も少なく、農業も難渋で、生活の資本(もとで)を森林に仰ぎ、檜木笠、めんば(割籠)、お六櫛の類を造って渡世とするより外に今日暮しようのない山村なぞは、殆ど毎戸かわるがわる腰縄つきで引き立てられて行く怪我人を出すようなありさまになって来た。(『夜明け前』第二部第八巻)
「御一新がこんなことでいいのか」と、藤村の呟きが聞こえてくる。

島崎藤村が生活していた所から遠くない所、木曽福島の一つ手前の駅がJR上松である。木曽福島では毎年音楽祭があったり、先輩が居たりして、出かけることがあった。上松は木曽の樹木の寄せ場で賑わった所である。その近くに赤沢自然休養林がある。第一回森林浴大会が行われた所でもある。パンフレットを探し出し、木曽・赤沢の歴史を復習した。
天正18年(1590)秀吉、木曽氏領有地を直轄領とする。
慶弔 5年(1600)家康の直轄領となる。強度伐採始まる。
天和 元年(1615)尾張徳川領となる。築城、造船、土木用材伐採。
明暦 3年(1657)江戸大火。復興材伐出。
寛文 5年(1665)留山、巣山を設ける。赤沢檜木林留山。(当時は小川村小川入南山と称す。)
元禄年間(1688-1703)小川入り赤沢留山檜木林の強度伐採。
宝永 6年(1708)檜木、さわら、あすなろ、こうやまきの四木、停止木となる。後にねずこも停止木となる(木曽五木)。
元文 3年(1738)かつら、けやきが留木となる。
明治12年(1738)山林局設置。(官林)
明治22年(1889)帝室林野局御料林となる。
明治39年(1906)神宮備林設置。
明治44年(1911)中央本線開通。
大正 5年(1916)小川森林鉄道完成。神宮備林施設開始。(太平洋戦争後の経済成長により樹木が大量に伐採。しかし、「檜木大径保存林」「学術保存林」に指定)。
昭和22年(1947)林政統一。国有林となる。
昭和44年(1969)全国初の自然保養林に指定される。
昭和50年(1975)森林鉄道廃止。全線自動車輸送となる。
昭和57年(1982)第一回森林浴大会開催。
昭和58年(1983)「21世紀に残したい自然100選」に選ばれる。
昭和62年(1987)森林鉄道復活(森林浴用)。
何故こういう歴史を辿ったかというと、森林の重要性が焦眉の的であり、この歴史を踏まえて「森林文化」という発想を木曾・赤沢の人々が改めて強く考えて、訴えたからである。しかし、この訴えが全国的に広がることなく、現在に至っている。
ただ、2016年に林野庁「木曽悠久の森」に指定され、200年後の森林形成を目指した保護管理が開始されている。
