陶芸をいろいろ
奈良市在住の定年退職教員で、やぶき ひでお と申します。
観て感銘を受けた陶芸を幾つか挙げて参ります。
なお、見出し画は拙作の「ひつじ草」です。ひつじ草は睡
蓮の原種との説があります。嘗てはよく見かけましたが、
現在では稀少になっています。

1.珠洲焼(石川県・能登半島・珠洲市)
12世紀中葉(平安時代末)から15世紀末(室町時代後期)にかけて栄えましたが、急に姿を消しました。その理由は不明だそうです。しかし、珠洲市の支援で昭和51年に復興しました。市内18か所に窯元があるそうです。 が、大地震&豪雨のため現在(2026/03/24)も被災中です。

珠洲焼資料館 - 珠洲市ホームページ
【珠洲焼とは】復興への希望を紡ぐ~能登で歩む人々にインタビュー~(珠洲焼職人 折坂理恵さん)|特集|【公式】石川県の観光/旅行サイト「ほっと石川旅ねっと」

2.大樋焼(金沢市)
茶人に愛でられています。


3.九谷焼(金沢市、小松市、加賀市、能美市)
古九谷は、江戸初期、前田利治が、領内九谷で陶石の発見を機に後藤才次郎に命じ、肥前有田から製陶技術を導入し、陶工を招き、築窯させたものとされている。古九谷は、釉薬の種類と文様によって二種に分類される。
赤、青、紫、黄、緑などの上絵の具で文様を描いたのが五彩手。これには、山水、花鳥、動物、魚、人物などを描いた絵画的なものと、丸文や菱形の中に細かな文様を描き込んだ幾何学的なものとがある。
五彩手に対して、もうひとつが、青手古九谷で、これは緑釉の地に黄、緑、紫、青などで文様をつけた濃厚な趣味のものである。
現代の九谷焼は、個人作家も多く、海外にも名を馳せている。


4.伊賀焼(伊賀市・丸柱)
伊賀焼の歴史は奈良時代からとも。が、桃山時代以前の伊賀焼は山ひとつ隔てた信楽焼と手法・様式ともひとつだったと言われている。茶陶伊賀として個性ある焼き物がつくられるようになったのは桃山時代から。
私個人が焼き物開眼といえば大袈裟だが、銘「破れ袋」という水指を見た時、「こんな焼き物が・・・」と驚いた。
日常つかう土鍋などもユニークではある。


5.信楽焼(滋賀県甲賀市信楽町)
信楽焼は13世紀半ばに始まったと言われています。伝統に培われた信楽焼は、地場産業として地域の経済を支えてきました。昭和49年に制定された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づき、昭和50年に信楽焼は伝統工芸品として指定されました。
また、六古窯(瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前)のひとつです。


▲私の好きな作家・上田直方氏
上田直方 信楽焼 - 検索

6.丹波焼(丹波立杭焼)・兵庫県丹波篠山市
六古窯のひとつです。
須恵器から脱して丹波焼としての個性を持ちはじめたのは。鎌倉時代の初期とされています。穴窯から登り窯に脱したのが慶長年間で、窯は山麓の立杭に移されました。釉薬は灰など簡単なものでしたが、焼成によって変化もつけられ、丹波焼の特徴が漸くはっきり表れました。製品は鉢のほか、僅かながら茶陶も作られ始めました。
宝暦から幕末へ。手法も多彩になり、篠山藩が立杭焼御用徳利を焼いたのが文政年間です。登り窯で逸品が焼成されるようになりました。良質の土と釉薬によって質量ともに大きく成長しました。

日本六古窯「丹波焼」の魅力・焼物の郷めぐり | 丹波篠山市公式観光サイト『ぐるり!丹波篠山』丹波篠山市公式観光サイト『ぐるり!丹波篠山』
丹波焼の概要と歴史 - 旅する、千年、六古窯 - 日本六古窯 公式Webサイト [日本遺産] -

7.越前焼(福井県丹生郡越前町)
六古窯の内、北陸にある唯一の窯場。常滑古窯の技術を入れて作られたと思われる独特の個性が認められるようになったのは鎌倉中期以降である。
がっしりした木造の『水野古陶磁館』には、建物の外にまで大甕が並び、中には破片にいたるまでの古陶磁が陳列されて、郷土の焼き物に懸ける水野氏の情熱を知ることができる。
水野古陶器 越前焼 - 検索 画像
越前陶芸村とは | 福井県陶芸館
【越前焼公式】日本六古窯・国指定伝統的工芸品・日本遺産認定 越前焼の専用サイト|トップページ
平安時代末期、それまでの須恵器にかわって、大型の甕や壺、すり鉢などが焼かれるようになったのが、越前焼の始まりと言われる。愛知県猿投窯から技術導入して作陶されたらしい。甕は飲料水の容器で、すり鉢は万能調理器具であった。中世の越前は北陸最大の窯業地だった。
Bing 動画


8.常滑焼(愛知県常滑市を中心に知多半島) 六古窯のひとつ。 平安末期の製品は素朴な中にも王朝文化の名残を感じさせる優美さをもち、また奥州平泉の遺跡群で大量に使われていたことが判明している。その数数千基とも言われる中世窯は、広く知多半島の丘陵部傾斜面に掘られた地下式穴窯で、その大半は平安時代末期から南北朝期までに造られている。室町時代になると半島全域に広く分布していた窯は旧常滑町周辺に集まり、しかも集落に近接した丘陵斜面に築かれるようになる。この段階では碗・皿類の生産は行わず、壺・甕・鉢の生産に特化している。また、室町期のある段階で半地上式の大窯に窯の構造が転換している。そして、その大窯は江戸時代の常滑焼を焼いた窯でもあり、別に鉄砲窯とも呼ばれた。古常滑と呼ばれるものはこれらの窯で焼成された。

近現代の常滑焼では、土管と急須、その他日用品が名を馳せている。


9. 瀬戸焼(愛知県瀬戸市とその周辺)
六古窯のひとつ。
瀬戸焼の歴史は非常に古く、平安時代にまで遡るが、本格的に生産が始まったのは16世紀(安土桃山時代)から。瀬戸市は、粘土や良質な土が豊富に採れるため、焼き物に適した地域だった。日本国内で広く流通するようになったのは、特に江戸時代からで、さまざまな種類の陶器が作られた。
日常、私どもが焼き物を瀬戸物と言っているぐらいに普及している陶磁器であろう。形も色合いも様々。珍しく陶器と磁器の両方がつくられる。
例示するのも難しく、私の好みで「馬の目皿」を。


10. 備前焼(岡山県備前市)
日本で最も古い焼き物の町として知られ、六古窯の中でも最古とされているのが備前。須恵器から起こった備前焼は、無釉焼き締めの技法を守り続け、窯の煙は一千間、絶えたことがない。備前焼は伊部焼とも称されるが、伊部の町は文字通り焼き物の町。焼き物店が軒を連ねショウウィンドウに飾られた焼き物の火襷や火牡丹、胡麻などが私どもを魅了する。
日本にはまだ弥生式土器の流れをくむ土師器しかなかった時代に朝鮮から須恵器が伝えられ、各地で作陶されるようになった。備前には至る所にこの時代の窯跡がある。
備前焼は、釉薬を一切使用せず、絵付けもしないというシンプルな焼き物。1200~1300の高温で焼き、土の性質や、窯への詰め方、窯の温度の変化、焼成時の灰や炭化などによって模様が生み出される。手造りの味わい深さで、使うほどに味わいが増す。


備前焼とは|岡山観光WEB【公式】- 岡山県の観光・旅行情報ならココ!
▲備前焼の人間国宝・藤原 啓の作陶について。
FAN美術館(藤原啓記念館)|営業再開!備前焼カフェ併設【備前市】 | 岡山スタイル
▲備前焼の人間国宝・金重陶陽の作陶について。
金重 陶陽の作品一覧-公益社団法人日本工芸会
▲備前焼の人間国宝・山本陶秀の作陶について。
山本陶秀 | 陶酔庵 -tousuian-

11. 相馬焼(正しくは大堀相馬焼)(福島県相双地域浪江町)
略称・大堀焼。2011年(平成23年)に発生した東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故により20軒以上あった窯元は町外へ移ったり、廃業したりしている。何とかならないのか !! !! !!
大堀相馬焼協同組合
大堀相馬焼 - Wikipedia
大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN(コウゲイジャパン)

このヒビと馬の絵が特徴です。

12 . 会津本郷焼(福島県会津美里町)
400年以上受け継がれてきた伝統工芸。はじまりは、名城・鶴ヶ城の改修に使われた「赤瓦」づくり。厳しい冬に耐える瓦を焼く技術は、やがて陶器や磁器へと広がりました。大きな特徴は、陶器と磁器が同じ土地で焼かれてきたことにあります。土の温もりを感じる陶器と、鮮やかで洗練された磁器。素材も製法も異なる二つが、江戸時代から並び立ってきた歴史は、全国でもめずらしいものです。
会津本郷焼の里をめぐる – 磁器と陶器がともに息づく会津本郷。 窯元を巡り、作り手と出会う。
福島県・会津本郷焼 |東北の伝統的工芸品ホームページ


13. 志野焼(岐阜県多治見市周辺)
室町時代後期から桃山時代にかけて誕生し、日本で初めて本格的な白い釉薬を使用した焼き物として知られています。この釉薬により生み出される乳白色の美しさと、火によって生じる自然な景色が、他の焼き物にはない独特の魅力を作り出しています。茶道の発展とともに茶器として重宝され、現在でも茶人や陶芸愛好家から高い評価を受けています。
志野焼には「火色(ひいろ)」と呼ばれる独特の景色が現れることがあります。これは焼成時の炎の影響により釉薬の一部が赤やオレンジ色に発色する現象で、偶然性によって生まれる自然な美しさとして高く評価されています。この火色の現れ方は一つとして同じものがなく、それぞれの作品に個性を与える重要な要素となっています。
志野焼とは?その魅力と歴史、特徴など詳しく解説 – わのっとメディア


▲しっくりと手に馴染む ” ゆがみ ” の感覚が快い志野茶碗

14. 織部焼(岐阜県土岐市とその付近)
桃山時代の慶長10年(1605年)頃に始まった。織部とは、戦国武将で茶人であった古田織部正重然のこと。織部は武人らしく豪快で斬新で変化に富んだ器を愛でた。「織部好み」と言う。織部は千利休の弟子。
織部焼 - Wikipedia
織部焼(おりべやき)とは|古田織部が創始した緑釉陶磁器の歴史や特徴を解説



15. 黒瀬戸(岐阜県)
瀬戸黒は、16世紀後半桃山時代に美濃の国(現在の岐阜県)で焼かれた黒釉(鉄釉陶器)の一種で、主に茶陶としてつくられた。当時は瀬戸・美濃を区別せず「瀬戸」と呼んでおり、黒い茶碗の総称として瀬戸黒と呼ばれるようになった。室町時代末期には天目茶碗の技法を応用し、引き出し黒の技法が確立された。瀬戸黒茶碗の魅力は、その黒にあるが、造形も無造作なようで神経が行き届いている。茶人や骨董好きの終着点が瀬戸黒と言われるのも頷ける。
美濃焼伝統工芸品協同組合 | 瀬戸黒・引出黒


16. 黄瀬戸(岐阜県)
黄瀬戸 は、美濃の窯(岐阜県東濃地方)で焼かれた古瀬戸の流れをくむ淡黄色に発色した灰釉の陶器です。
黄瀬戸の技法 文化遺産オンライン
美濃焼伝統工芸品協同組合 | 黄瀬戸


17. 壼屋焼(沖縄県壼屋地区および読谷村その他)
1875(明治12)年、廃藩置県が行われるまで琉球と呼ばれる独立王国であった沖縄は、工芸品も本土のそれとは全く異なる特色をもっている。五百余年の伝統ある沖縄の陶芸は、琉球王国内の需要のほか当時の実質的統治者であった薩摩藩や、将軍家、諸大名への献上品として発展してきた。
廃藩置県後は民窯。戦後は27年間、本土と隔絶された中で、住民たちは古くからの技法を伝承し、今も新しい伝統の創造に努力している。
中国、南方諸国、朝鮮、薩摩などの影響を受けながら、高温多湿の沖縄の風土から生まれたのが独特の沖縄陶芸である。
また、柳宗悦らによる民藝運動に触発されたことが大きい。
壺屋焼とは | 壺屋陶器事業協同組合
壺屋焼 - Wikipedia
壺屋焼(つぼややき)とは?産地のルーツから制作技法、選び方・手入れまで徹底解説 | 工芸ジャポニカ



18. 薩摩焼・沈壽官窯(鹿児島県日置市)
薩摩の勇将島津義弘によって連行された朝鮮人技術者達(製陶、樟脳製造、養蜂、土木測量、医学、刺繍、瓦製造、木綿栽培等)は、見知らぬ薩摩(現在の鹿児島)の地で、祖国を偲びながら、その技術を活きる糧として生きていかねばならなかった。 陶工達は、陶器の原料を薩摩の山野に求め、やがて薩摩の国名を冠した美しい焼物「薩摩焼」を造り出したのである。それらの焼物は、薩摩産出の土を用い、薩摩土着の人々の暮らしのために作られた地産地消のものであり、それらを『国焼』(くにやき)と呼ぶ。
江戸時代、薩摩藩主であった島津家は朝鮮人技術者達を手厚くもてなし、士分を与え、門を構え、塀をめぐらす事を許すかわりに、その姓を変えることを禁じ、また言葉や習俗も朝鮮のそれを維持する様に命じる独特の統治システムを創った。
沈家は代々、薩摩藩焼物製造細工人としての家系をたどり三代 陶一は藩主より陶一の名を賜わり、幕末期には天才 十二代 壽官を輩出した。沈壽官窯は慶長3年より420年余り続く薩摩焼の窯元です。
沈壽官窯 – 美しき薩摩焼の世界
【沈家伝世品収蔵庫】 沈壽官窯 || Chin Jukan



19. 小鹿田焼(おんた焼)(大分県日田市)
江戸時代中期に始まり、現在も機械を使わない手仕事を保っている。小石原焼の分流。「日田もの」と呼ばれていたこの地の陶器を「小鹿田焼」と呼ぶよう薦めたのは、民藝運動を提唱した柳宗悦である。柳は世界一の民窯と呼んだ。
小鹿田焼 - Wikipedia


20. 小石原焼(福岡県朝倉郡東峰村)
江戸時代前期の1662(寛文2)年、福岡藩3代藩主・黒田光行が肥前国伊万里から陶工を招いて窯場を開いたのが始まりである。1669(寛文9)年から同地で茶陶を手がけていた高取焼との交流により発展し、陶器が作られるようになった。
柳宗悦によって提唱された民藝運動の中で小鹿田焼が脚光を浴びた後、そのルーツである小石原も注目されるようになり、1954(昭和29)年、柳やバーナード・リーチらが小石原を訪れ、「用の美の極致である」と絶賛したことで全国的に知られるようになった。
福岡県 観光 陶器 体験 小石原焼伝統産業会館 - 福岡観光・体験 小石原焼伝統産業会館
太田哲三窯



21. 高取焼(福岡県朝倉郡東峰村、福岡市早良市高取など)
朝鮮出兵の際に黒田長政が陶工、八山(日本名・八蔵重貞)を連れ帰って焼かせたのが始まり。開窯は1600年と言われている。江戸時代には黒田藩の御用窯として繁栄、元和年間には肥前国から唐津焼の陶工を招き、技術を向上させている。
黒田藩御用窯、茶陶高取焼400年の歴史と百花繚乱の世界 - 筑 豊 百 景
髙取焼の歴史 – 高取焼宗家
筑前黒田藩御用窯 高取焼 味楽窯


22. 波佐見焼(長崎県彼杵郡波佐見町)
やきもの好きには知られるが、一般的な知名度は高いとは言い難い。
波佐見陶磁器工業協同組合(公式ホームページ)


23. 唐津焼(現在の佐賀県東部・長崎県北部にて製造された陶器の総称)
桃山時代から遡り、古い歴史を誇る伝統工芸「唐津焼」。諸説ありますが、近年の研究によると、1580年代頃、岸岳城城主波多氏の領地で焼かれたのが始まりとされています。その後、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、朝鮮陶工を連れて帰り、その技術を取り入れたことで唐津焼は生産量を増していきます。
唐津港から積み出される唐津焼は京都・大阪をはじめとする西日本に広がり、焼き物のことを総称して「からつもの」と呼ぶほどに。また、茶道の世界では古くから「一井戸二楽三唐津」と言われるように、茶人たちから愛される茶陶としてその地位を確立していました。
旅Karatsu 唐津観光協会|唐津焼
種類としては絵唐津、斑唐津、黒唐津、朝鮮唐津、三島、粉引。


24. 有田焼(佐賀県有田町周辺)
明治以降に広く用いられるようになりました。江戸時代は伊万里焼もしくは肥前焼と呼ばれていました。
16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮出兵を命じた際、派兵された鍋島氏は、朝鮮人陶工:金ケ江三兵衛(いわゆる李参平)らを連れて帰りました。のちに金ヶ江三兵衛は、17世紀初頭、有田に移住し、泉山で磁器の原料となる陶石を発見したと考えられています。日本で初めて磁器が焼かれた産地として、それから400年間、食器や美術工芸品を中心としたものづくりを続けています。
有田焼(ありたやき)とは|有田観光協会 ありたさんぽ
有田焼 - Wikipedia
素敵な磁器があり過ぎて、選ぶのに迷います。



25. 砥部焼(愛媛県砥部町)
やや厚手の白磁に、呉須と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が一般的な砥部焼の特徴で、他産地の磁器と比較して頑丈で重量感があり、ひびや欠けが入りにくいため道具としての評価が高い。
砥部焼協同組合 - 砥部焼協同組合
砥部焼 - Wikipedia


26. 萩焼(山口県萩市)
一部、長門市・山口市にも窯元がある。長門市で焼かれる萩焼は、特に深川萩(ふかわはぎ)と呼ばれる。
古くから「一楽二萩三唐津」と謳われるほど、茶人好みの器を焼いてきたことで知られる焼き物。
萩焼の特徴は、陶土と釉薬の具合で生じる「貫入」と使い込むことによって生じる「七化け」。
萩焼は慶長9(1604)年に藩主毛利輝元の命によって、慶長の役の際、朝鮮人陶工・李勺光(山村家、後の坂倉家)李敬(坂家)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりとされる。
萩焼 - Wikipedia
萩焼(はぎやき)の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN(コウゲイジャパン)



27. 布志名焼(島根県松江市)
江戸中期、舩木与次兵衛村政が開窯。藩命で楽山窯より移住した土屋善四郎の指導で布志名焼の品質は向上し、松平不昧公の指導を受けた土屋、原の藩窯と舩木系子孫らの民窯が共栄した。昭和に入ってからは柳宗悦や河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチらの民芸運動にいちはやく共鳴。
島根県:布志名焼(トップ / しごと・産業 / 商工業 / 産業振興 / しまねの伝統工芸 / 工芸品一覧)
布志名舩木窯 — Google Arts & Culture
布志名焼 | いいものしまね しまねの伝統工芸と食品


28. 出西窯(出雲市斐川町)
出西窯の器は飾り気のないシンプルなものが多く見られます。用の美を模範にしています。
出西窯|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】


29. 益子焼(栃木県益子町とその周辺)
古くから窯が開かれ、江戸時代終盤に大塚啓三郎により窯業が始まり、陶製日用品を作る陶器生産地として栄えた。大正に入り濱田庄司が「民芸」を持ち込み「民芸の町・益子」と謳われるようになり、その後、数多くの陶芸家志望の人々が移住し「陶芸の町・益子」を築き上げ、現在の「益子焼」を作り上げていった。
1959年には、加守田章二が開いた窯により民芸一辺倒だった益子の作陶に現代的な独創性が加えられた。
益子焼 - Wikipedia



30. 笠間焼(茨城県笠間市)
笠間焼の歴史は江戸時代中期、安永年間(1772~1781年)から始まります。箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長右衛門の指導で焼き物を始め、窯を築いたとされています。その後発展しましたが、戦後プラスチック製品に圧され、危機に陥りました。そのような中、県立窯業指導所や窯業団地、笠間焼協同組合などが設立され、官民一体となり試行錯誤の末、厨房用粗陶品から工芸陶器への転換を図りました。現在では、約300人の陶芸家や窯元がいる窯業産地となっています。
笠間焼 - Wikipedia
笠間焼(かさまやき)とは?自由な発想が息づく伝統陶芸の魅力と特徴 | 工芸ジャポニカ


31. 萬古焼(四日市市・桑名市その他)
萬古焼は、江戸時代中期に桑名の豪商・沼波弄山(ぬなみろうざん)が現在の三重県三重郡朝日町小向(おぶけ)に窯を開いたことに始まります。
弄山は自身の作品がいつまでも変わらず残るようにと「萬古」または「萬古不易」の印を押しました。それが萬古焼の名前の由来といわれています。
萬古焼とは | ばんこの里会館 – ばんこの里会館
四日市萬古焼 | 認定品 | 【公式】 三重ブランド
ついでに、古萬古から分岐した「射沢萬古」とは明治の昔、私の祖先と縁戚関係にありました。さらに「松阪萬古」も分岐しています。


32. 京焼・清水焼(京都市)
歴史的には清水焼のほか、粟田口焼(粟田焼)、音羽焼、八坂焼、御菩薩池焼、修学院焼、清閑寺焼、御室焼などが含まれる。
一度焼成した後に上絵付けを施す上絵付けの技法を用いた陶器が多く、作家ごとの個性が強いのが特徴。 また、「乾山写し」「仁清写し」など、他窯のデザインを本歌取りした写しものを得意とする。江戸時代、京焼の陶工は他の陶磁器産地に招かれて、その作風や技術は全国に影響を与えた。
京焼 - Wikipedia
京焼とは?歴史と文化が育んだ雅の焼き物|特徴・作家・価値を徹底解説



33. さて、これまで窯元で「陶芸のいろいろ」を記してきましたが、これからは代表作家の名陶を順不同で記して参ります。尚、作品は一品に限らせて頂きます。
近藤悠三(京都市1902~1985. 人間国宝)
トップ・近藤悠三記念館 - Kondo Museum
近藤悠三 作品 - Kondo Museum


34. 中里無庵(唐津市1895~1985. 人間国宝)
実父の歿後、12代中里太郎右衛門を襲名する。
中里無庵 - Wikipedia


35. 十三代柿右衛門(佐賀県有田市1906~1982.人間国宝)
元禄時代に確立された柿右衛門様式は今日もその伝統を貫いている。その色絵磁器は日本の陶磁器の中で最も海外に知られている。


36. 三輪休和(萩市1895~1981. 人間国宝)
三輪休雪(十代) 三輪休和 | 陶酔庵 -tousuian-
作風は高麗茶碗に和風を調和させた温和な作風が特徴で、萩焼特有の藁灰釉を工夫することによって春雪のような温味のある白を完成し、1955年前後から「休雪白」の名で呼ばれるようになった。


37. 樂吉左衛門(京都市.人間国宝)
樂吉左衛門は安土桃山時代、1500年代より一子相伝で続く樂焼を制作する京都の陶工。代々吉左衛門を襲名しており、2019年に十六代吉左衛門が襲名。
樂焼の創始者・長次郎が、千利休が大成させた「侘茶」の精神を汲み取り、一碗の赤樂茶碗を制作する、それが樂焼の始まりとされている。
樂吉左衛門 - Wikipedia


38. 清水卯一(京都市 1926~2004・人間国宝)
清水卯一 - Wikipedia


39. 濱田庄司(栃木県益子町 1894~1978・人間国宝)
柳宗悦、バーナード・リーチらとともに民藝運動を推進。
濱田庄司 - Wikipedia
濱田庄司(1894-1978) – 濱田窯
濱田庄司作品 - 所蔵品|日本民藝館


40. 荒川豊蔵(岐阜県多治見市 1894~1985 ・人間国宝)
古志野の再現を目指して作陶を重ねた。終には「荒川志野」と呼ばれる独自の境地を確立した。北大路魯山人と親交。
荒川豊蔵 - Wikipedia
荒川豊蔵資料館|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」


41. 藤原 啓(岡山県備前市 1899~1983・人間国宝)
桃山古備前の技法に基づきながらも、窯の中での自然の変容を活かした。
備前 藤原啓 - 検索


42 . 上田直方(滋賀県信楽 1928~2016.日本工芸会正会員 )
無骨なまでの土色。
用と美を兼ね備えた逸品「陶芸家 五代 上田直方」/滋賀県甲賀市 - NIHONMONO


43. 田原陶兵衛(山口県長門市・1925~1991)
萩焼の第一人者
田原陶兵衛 - Wikipedia


44. 加守田章二(益子. 1932~1983)
加守田章二 - Wikipedia
伝統にとらわれていない。


45. 田村耕一(佐野市1918~1987・人間国宝)
田村耕一 - Wikipedia


46. 加藤藤九郎(愛知県東春日井郡. 1897~1985)
加藤唐九郎 - Wikipedia
1960年に「永仁の壺」事件。


47. 楠部彌弌(1897~1984, 京都市・文化勲章)
楠部彌弌 - Wikipedia
釉薬を磁土に混ぜて何度も塗り重ね、独特の深い色あいを生む「彩埏」の技法で知られる 。


48. 十三代今泉今右衛門(1926~2001)江戸時代からの伝統を受け継いでいる名跡。人間国宝。佐賀県。色鍋島。
今泉今右衛門 - Wikipedia


49. 十一代坂高麗左衛門(萩市・人間国宝・1912~1981)
十四代のホームページ坂髙麗左衛門窯公式ホームページ


50. 川喜多半泥子(三重県津市 1878~1963)
川喜田半泥子 - Wikipedia
川喜田半泥子|津市公式ウェブサイト-Official Website of Tsu City
究極の素人とも。


51. 濱田庄司(栃木県益子町・1894~1978・人間国宝)
河合寛治郎とともに釉薬を研究する。柳宗悦、富本憲吉、バーナード・リーチなどの知遇を得る。
濱田庄司 - Wikipedia
益子参考館 - Wikipedia
濱田庄司作品 - 所蔵品|日本民藝館


52. 島岡達三(栃木県益子町 1919~2007 人間国宝)
島岡達三 - Wikipedia
文化財詳細 | 益子町公式ホームページ


53. 藤本能道(東京都新宿区 1919~1992 人間国宝)
藤本能道 - Wikipedia


54. 清水六兵衛 6代(京都市 1901~1980 文化功労者)
清水六兵衞(六代) : 作者データ&資料一覧 | 愛陶オンラインミュージアム | 愛知県陶磁美術館


55. 鈴木 蔵(おさむ)(岐阜県土岐市・1934~. 人間国宝)
卒寿記念 人間国宝 鈴木藏の志野展 - 国立工芸館


56. 高鶴 元(福岡県 上野(あがの)焼)
高鶴 元 : 作家データ&作品一覧 | 収蔵品検索 | 福岡県立美術館


57. 山本陶秀(備前市名誉市民・人間国宝・1994年没)
備州窯:備州窯について Bisyugama:About Bisyugama


58. 田村耕一(栃木県佐野市・1918~1987・人間国宝)
㈶人間国宝 田村耕一美術館 - 展示作品


59. 塚本快示(岐阜県・1912~1990・人間国宝)
塚本快示 - Wikipedia
塚本快示 の作品一覧-公益社団法人日本工芸会


60. 十二代中里太郎右衛門(唐津・人間国宝・1895~1985)
中里太郎右衛門窯


61. 富本憲吉(奈良県生駒郡安堵村・1886~1963・人間国宝)
富本憲吉 - Wikipedia


62. バーナード・リーチ(英国・1887~1979)
バーナード・リーチ - Wikipedia
柳宗悦、濱田庄司らと交友。
バーナード・リーチ作品 - 所蔵品|日本民藝館


63. 河合寛治郎(京都市・1890~1966)
民藝運動に深く関わる。
河井寛次郎 - Wikipedia
河井寬次郎記念館 公式ホームページ


64. 北大路魯山人(1883~1959)
北大路魯山人 - Wikipedia
【開館55周年記念】 北大路魯山人 | 足立美術館|ADACHI MUSEUM OF ART


65. 加藤土師萌(瀬戸市・1900~1968・人間国宝)
加藤土師萌 - Wikipedia
加藤土師萌展 色絵磁器を極めた人間国宝 その技とデザイン | 見どころ・チケット・口コミ | アイエム[インターネットミュージアム]


66. 石黒宗麿(富山県射水市1893~1968人間国宝)
京都市八瀬に築窯
石黒宗麿 - Wikipedia
石黒宗麿 - 国立工芸館


67. 金重陶陽(備前・1896~1967・人間国宝・備前の中興の祖)
金重陶陽 - Wikipedia


68. 小野珀子(佐賀県指定重要無形文化財「陶芸釉裏金彩」の技術者)
平成8年没
Japan Pottery Net / 作家プロフィール_小野珀子


69. 辻協(東京都・1930~2008)
辻協 - Wikipedia


70. 辻 清明(東京都・1927~2008・名誉都民)
辻清明 (陶芸家) - Wikipedia


