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色を失った世界で 【#灯火物語杯・ショートショート】

 下ろしたてのフレアコート、床に散らばった洋服、編みかけのマフラー、窓の向こうに粉雪。全部見ているだけ。ベッドに横たわり、左手で頭を押さえ、右手でお腹を抱え、血の生臭さを感じながらやっとの思いで目を開いているだけ。頬にローズピンクのチークを入れたかった。瞼に金色のラメを塗したかった。髪はボサボサのまま。ジェルネイルキットも未開封。

 私は二日目と三日目の症状が一番重い。その二日目がよりにもよってクリスマスイブである今日に回ってきてしまった。しまったとは言うものの、ルナルナで生理周期の目途は当然立っていた。本来ならピルを飲んで早めたり遅らせたりできるのだが、元より片頭痛持ちの私はそれすらも処方してもらえない。毎月この日に来ると分かっていながらも抗う術の無いもどかしさ。

 見なくても良いのに、見ないほうが良いと分かっているのに、右手が勝手にインスタのアイコンをタップしてしまう。夜景、雪、クリスマスツリー、イルミネーション、豪華なディナー、素敵なプレゼント、赤いニット、緑のマフラー、差し色の手袋、白い吐息、そして寄り添う二人の笑顔。本来はそういう日なのだ。

『今日は人生初のクリスマスデートだ。ヒャッハー!』

 フォロワーのストーリーズを巡回し、最後に辿り着いたアカウントが彼だった。ときめきとワクワクに満ちた23文字からは、呑気で気楽そうな顔が浮かび上がる。お互い20年生きて初めて恋人の居るクリスマスだ。行かなきゃ。休むわけにはいかない。浮かれる彼の為にも、この日を心待ちにしていた自分の為にも。

 頭とお腹の痛みを堪え、ゆっくりと起き上がる。白湯を飲んでから洗顔とスキンケア。超極暖ヒートテックと毛糸のパンツで身体を暖める。コーデは……この日の為に購入した水色のジャンスカがあるが、ミニ丈と締め付けが懸念となり、ふわりとした黒のロングスカートに変更。更に黒タイツでガード。髪型を作る余裕も無い為、ストレート。メイクは5分で終わる簡易版。チークもラメも、そしてネイルも断念。どんどん地味になっていくが、これが今の私に出来る精一杯。

 カイロを4枚貼り、フレアコートを羽織り、マフラーはバラクラバ巻き。防寒対策はバッチリ。鞄にはバファリンと常温の水、そしてナプキンを5枚入れている。大丈夫。行ける。

(ズキン)

 もこもこのムートンブーツも履き、完全防備で玄関のドアを開けようとした時だった。強めの頭痛と腹痛が再び襲い掛かる。取次に尻を付き、そのまま後ろに倒れる。最早これまでなのか。ゆっくりと頬を伝う涙が限界を示唆している気がした。

 生理中はいつも、世界が色を失ったように見える。今日も例外ではなかった。インスタの写真の何もかもがキラキラ輝いて見える反面、スマホの外の世界は灰色だった。今の私は真っ暗な部屋で灰色の天井をただひたすら見上げることしか、色の無い世界を見ることしか出来ない。私は弱い。一ヶ月の中のたかが5日程度の痛みで、絶望と自己嫌悪に苛まれるほど弱い人間だ。可能ならば、叶うならば、誰とも会いたくない。それが家族、友達、あるいは最愛の恋人だとしても――。


 ***


 夢を見ていた。半年前の誕生日デートの夢。白いレースのテーブルクロス、お皿の上に三角に折り畳まれたナプキン、6~7本はあるカトラリー、そして胡蝶蘭にシャンデリア。お店の雰囲気に呑まれてしまう私。緊張はピークに達していた。

「ここはまだリーズナブルな方だって。リラックス、リラックス」

 何度も来店しているらしい彼はアラビアータを勧めてくる。私が辛い物苦手なの知っているくせに。そう言うと「ここのは辛くないから大丈夫」と笑顔で返してくる。

「あ、美味しい! そんなに辛くない」「だから言ったろ」

 不思議だった。唐辛子が2,3本は見えるのに、辛さは抑えられている。飴色の玉ねぎとパルメザンチーズがたっぷり入っているからだろうか。ベーコンとマッシュルームも良いアクセントになっている。その後に食べた白身魚のポアレも、外はカリッと中はふっくら、レモンとバターをベースにしたソースとの相性も抜群。

「とても美味しかった。またこのお店に来たい!」


 ***


(ピンポーン)

 チャイムの音で目を覚ます。受け取り予定の荷物は無い。営業マンだろうか。居留守を使おうとしたその時、

「メリークリスマス!」

 扉の向こうから元気な声が聞こえた。彼だ。文字通り耳を疑った。待ち合わせはイタリアンの最寄り駅だったはず。そう思いながら再び立ち上がり、ドアノブを左に押し回すと、彼は左手にリボンでラッピングされた真っ黒な箱、右手にビニール袋を持っていた。

「どうして来てくれたの?」

「LINEの返信が来ないから来てみた。そもそも毎月24日だけは会うのを避けていたから、察してはいたけどね」

 ビニール袋には半年前に食べたアラビアータと白身魚のポアレ、そしてケーキまで入っていた。わざわざテイクアウトしてくれたのだ。かくして私たちは、私の自宅でクリスマスパーティーを開くことになった。

「嬉しいけど、お店は大丈夫? せっかく予約してくれたのに」

「ああ、俺の両親に譲ったよ。同じ苗字だから行けるっしょ」

 彼からのプレゼントはコーチのミニショルダーバッグだった。私は……手編みのマフラーがもう少しのところで止まっており、用意できなかったことを正直に伝えた。

「いつでも良いから今はゆっくり休みなよ。あ、でも、一箇所だけ付き合ってくれないか?」

 パーティーも終わりに差し掛かる頃、彼の提案でドライブすることに。事前に15分ほど暖房を効かせてくれた助手席に座るや否や、横からさりげなくブランケットをかけてくれる運転手。

「座っているだけなら大丈夫だよね?」「……うん」

 車に揺られること一時間。否、言うほど揺られてはおらず、心地よささえも感じる。それはスズキのハスラーのお陰か、それとも彼の運転が上手いからなのか。いずれにせよ私への労りを感じずにはいられない。そして。

「あ……光の世界……」

 車はお台場海浜公園に停車した。下りずとも、車窓からはレインボーブリッジの夜景が見える。聖なる夜、せめてこれだけでも見せたかったのだと彼は言う。

 私の中の灰色の世界が色を取り戻す瞬間だった。一ヶ月の中のたかが5日の痛みも、されど5日の苦しみも、彼と一緒ならこの先もずっと乗り越えられるかもしれない。でも今は何も考えずこの光景を見ていたい。彼にごめんなさいとありがとうを言うのは、それからでも遅くないだろう。

(2628字)

#灯火物語杯


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