町のパソコン先生は、今日もだいたい予想外。 第1話 送信済みアイテムが見つからない朝
地方でパソコン教室をしながら、出張サポートもしている“みずやん”のもとには、今日も誰かの「困った」が舞い込んでくる。送信済みアイテムが見つからない、変な警告が消えない、パスワードが合わない。けれど、その向こうにあるのは機械の問題だけではない。不安、焦り、思い込み、そして「ちゃんとやったはずなのに、なぜかうまくいかない」という戸惑いだ。これは、町のパソコン先生が、予想外だらけの日々をなんとか乗り切っていく、少しおかしくて少しあたたかい仕事の物語。操作方法を教えるだけではなく、相手の不安をほどき、仕事が止まらないように支える。小さなトラブルの積み重ねから、町のパソコン先生という仕事の意味が少しずつ見えてくる。
朝九時前、電話はだいたいこちらの都合がいい時間には鳴らない。
その日もそうだった。
お茶を入れて、パソコンを立ち上げて、さて今日は少しは落ち着いて事務作業ができるかもしれない、と一瞬だけ思った、その直後である。
電話が鳴った。
ああ、終わった、と思った。
静かな朝というものは、だいたいこうして短命である。
「先生、すみません!」
受話器の向こうから飛んできたのは、申し訳なさと切迫感がきれいに混ざった声だった。
朝の空気を遠慮なく蹴飛ばしてくる、仕事の声である。
「メールが、ちょっと大変で……」
私はまだお茶を一口も飲んでいなかったが、その時点で今日が穏やかな一日ではないことだけは理解した。
「どうされました?」
すると相手は、少し言いにくそうに、それでもかなり困った様子で言った。
「送ったメールを確認したいんですけど、どのパソコンから送ったのかわからなくなってしまって……」
なるほど、と思った。
いや、正確には、
そっちか。
である。
メールが送れないわけではない。
届かないわけでもない。
もっと地味で、もっと面倒で、そして日々じわじわ効いてくるやつだ。
「送信済みアイテムを見ても、こっちにはなくて、別のパソコンを見ると入っていたり、入っていなかったりで……毎回、何台も見てるんです」
それはもう、朝からやるにはだいぶしんどい。
つまりこれは、故障というより、
送信済みアイテム探しの旅である。
しかも困ることに、この旅には地図がない。
昨日は一号機にあった。今日は二号機かもしれない。いや三号機か。
そんなことを毎回やっていたら、そりゃ朝から疲れる。
「わかりました。今から伺います」
そう答えながら、私は頭の中で状況を並べていた。
複数のパソコン。
同じメールアドレス。
送信済みアイテムはバラバラ。
そして、おそらく昔から“なんとなく回ってしまっていた運用”。
こういうのは派手ではない。
派手ではないが、静かに、しかし確実に人を消耗させる。
電話を切って、私は冷めかけたお茶を一口飲んだ。
こういうとき、お茶は味ではない。儀式である。
一口飲んで、「よし」と言う。
それでなんとかなる気がする。
実際には、なんとかするのは結局こっちなのだが、気分は大事だ。
車に乗り込み、訪問先へ向かう。
朝の道は思ったより混んでいた。信号で止まるたびに、「私は今、送信済みアイテムのために走っているのか」と思う。
子どもの頃に聞いたら、たぶん少し笑う仕事である。
この町では、私はだいたい“みずやん”で通っている。
現場に着くと、すでに空気が少しドタバタしていた。
「先生、おはようございます。すみません、朝から」
「いえいえ、大丈夫です。朝からよくあります」
本当によくある。
できれば、もう少し爽やかな用事で呼ばれたい。
季節の花がきれいです、とか。
今日は風が気持ちいいですね、とか。
だが現実はたいてい、送信済みアイテムか警告画面である。
中に入ると、何台かのパソコンが立ち上がっていた。
それぞれのメール画面が開いていて、机の上には「さっきまで必死に探していました」という空気がそのまま残っていた。
「これにはないんです」
「でも、こっちには別の送信メールがあって」
「で、あれはどれで送ったんだっけってなって……」
「毎回、順番に見てるんです」
私はうなずいた。
たしかにこれは面倒だった。
かなり面倒だった。
しかも、一回だけの面倒ではない。
確認するたびに発生する、反復型の面倒である。
地味なのに削ってくる。こういうのが一番たちが悪い。
私は順番に画面を見ていった。
一台目の送信済みアイテム。
二台目の送信済みアイテム。
三台目の送信済みアイテム。
同じメールアドレスのはずなのに、入っている履歴が少しずつ違う。
まるで、同じ会社の出来事をそれぞれ別のノートに書いていて、肝心なときだけ「さて、どのノートでしたっけ」となっているようなものだった。
しかも、そのノートは全部開いてみるまで当たりかどうかわからない。
宝探しにしては、あまりにも実務的である。
「先生、これどうにかなりませんか?」
困ったようにそう聞かれて、私はもう一度画面を見直した。
「大丈夫です。送ったメールの記録が、パソコンごとに少しずつ別れてるみたいですね」
相手は一瞬ぽかんとして、それから少し笑った。
この反応があると助かる。
少しでも笑えるうちは、だいたい何とかなる。
「それって楽になりますか」
「はい。毎回あちこち探す手間は、かなり減らせると思います」
少し笑いが起きた。
よかった。
この空気なら、説明は入る。
私は設定画面を順番に開いていった。
送信済みアイテムの保存先。
アカウントの種類。
同期の状態。
慣れている人間にはいつもの確認だが、隣で見ている人にとっては、だいたい呪文である。
「先生、それ、何を見てるんですか」
「送ったメールが、どこに保存されるかです」
「送信済みって、同じ場所に入るんじゃないんですか」
「人間としては、そう思いたいですよね」
「はい」
「でも、パソコンは時々、そういう素直な期待を裏切ってきます」
「困りますね」
「かなり困ります」
私は画面を指しながら説明した。
片方は、そのパソコンの中に送信記録を持つやり方。
もう片方は、どのパソコンでも同じように見やすい形にしやすいやり方。
つまり、同じメールアドレスを使っているつもりでも、実際には送信済みアイテムの置き場所がそろっていなかったのだ。
これでは、送るたびに問題が起きるわけではない。
だが、あとで確認するときに毎回つまずく。
地味だが、仕事の流れをじわじわ壊すタイプの不便である。
「じゃあ、送ったメールが消えたわけじゃないんですね」
「はい。消えたわけじゃなくて、いる場所がバラバラなんです」
「そんなことあるんですね……」
「あります。機械って、使えてる間は黙ってるんですけど、確認したいときに急に面倒くささを主張してきますからね」
相手は苦笑いしていたが、さっきより表情がやわらいでいた。
私はさらに確認を進めた。
どのパソコンをよく使うのか。
今後はどう見えると一番楽か。
過去の送信済みアイテムをどう扱いたいか。
少しずつ全体像が見えてきた。
複数のパソコンで同じメールアドレスを使っていても、実際には送信記録の保存先がバラバラだった。
そのため、「このメール送ったっけ」「どれで送ったっけ」となるたびに、各パソコンの送信済みアイテムを見比べる運用になっていたのだ。
仕事というのは、不便でも回ってしまうと、そのまま続いてしまう。
そして、長く続いた不便ほど、「今さら変えて大丈夫かな」と少し怖い物。
「先生、どうしたらいいですか」
私は椅子に座り直した。
「今後を楽にするなら、送信済みアイテムをどのパソコンでも同じように見られる形にそろえたほうがいいです」
「それができるんですね」
「はい。今のままだと、送る作業じゃなくて、送ったあとに探す作業が増えていきます」
「それです。まさにそれなんです」
「ですよね。送るのは一瞬でも、探すのが毎回だと、じわじわ効きますから」
私は作業の段取りを説明した。
まず、今どこに何があるのかを整理する。
どのパソコンでどの履歴が見えているかを確認する。
今後は、送信記録が共通で見える形に寄せる。
ただし、過去の送信済みアイテムは慎重に扱う。
ここで雑に触ると、「前の記録が見えない」という新しい事件が始まる。
それは避けたい。
朝から一件で十分である。
パソコンのトラブル対応は、修理というより片づけに近い。
何が必要で、どこにあって、どうすれば次から探しやすくなるかを見る。
メールも同じだ。
ただ違うのは、散らかした本人に悪気がまったくないことである。
一通り確認を終えると、原因の説明はついた。
そして、対処の方針も決まった。
「じゃあ、毎回あちこちのパソコンを見なくてよくなるんですね」
「はい。少なくとも、朝から送信済みアイテム探しの旅に出る回数は減らせます」
「それだけでもだいぶ助かります」
「旅は、年に一回くらいで十分ですからね」
「仕事中に毎回は困ります」
「本当にそうです」
少し笑いが起きた。
朝のぴりついた空気が、ようやくほどける。
たぶん私は、パソコンを直しているだけではない。
「ちゃんとやっているはずなのに、なんでこんなに面倒なんだろう」という部分を、少しずつ言葉にして、ほどいているのだと思う。
もちろん、現実にはそんなに格好いいものでもない。
実際のところは、設定を見て、画面を開いて、地味な確認を積み重ねているだけだ。
でも、相手にとっては、その地味さが救いになることがある。
帰る前に、簡単なメモを残した。
今の状態。
今後そろえる方向。
過去の送信記録の扱い。
そして、わからなくなったらまた呼んでください、という一言。
「先生、助かりました」
「いえ。送ることより、送ったあとに探すほうが大変、というのはなかなか厄介ですからね」
「本当にそうなんです」
「次からは、少し楽になるはずです」
「それだけで気持ちが全然違います」
その言葉を聞いて、私は少しだけ安心した。
車に戻り、エンジンをかけたところで、スマホが震えた。
画面には別のお客様の名前が表示されていた。
私は一度だけ空を見た。
春の空は妙にのどかで、こちらの事情など知ったことではない顔をしていた。
こんな穏やかな天気の日に、なぜ人のパソコンは穏やかでいてくれないのか。
毎回思うが、答えは出ない。
電話に出る。
「はい、みずやんです」
すると、受話器の向こうから、今度はもっと不安そうな声がした。
「先生、変な警告が出ました」
私は静かに目を閉じた。
やはり今日は、そういう日らしい。
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