たぶん誤解している
武智倫太郎さんは「コニシ木の子さんの活動を目立たせるためには、どうしたらよいか?」にて、 note公式の『マイナビ×noteで、投稿コンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!』に対し、「論理的能力と日本語能力に重大な問題があり、審査員としての資質に欠けている」と指摘しています。
厳しいことを述べており、別の捉え方もあることを伝えたいと思いました。
私にとって武智倫太郎さんは、これまで何のかかわりのない人です。 許可なく引用したことを不快に思ったなら、ごめんなさい。しかしながら公開した以上、関係者は多数の不明者です。 皆さんにも伝える必要があり、引用させていただきました。
そこで上げた指摘の一部には誤解があると思われます。 原因はおそらく、結果から物事を見ていためでしょう。
状況
事実は必ず「同じものとして見れば同じになり、異なるものとして見れば異なる」状況になります。 例えば、数えるためには「区別できる同じ物」を選ぶことになります。 単一の視点では問題になるため、私はこれを「同異の問題」と呼んでいます。 そして何かしら基準が必要になるため、選ぶ際の目的は重要です。
しかし結果から物事を見る必要も多々あり、その目的もあります。 当初の目的と異なるため、忘れてしまうと、適切な選択ができません。 誤解が生じることになります。
当初の目的は「テーマに沿う記事を募集すること」であり、その読者の目的は「投稿したい募集要項を理解し、応募すること」です。
結果から見た目的は「note運営者の日本語能力の問題を解決すること」です。 流れが繋がっていません。 その理由はおそらく、以前の募集に問題があったからでしょう。 以前からの流れから、今回の結果を想定したと思われます。
目的が異なっているため、想定することも異なる事態になっています。
そうして、「言葉の正確性と一貫性の欠如」や「例示における論理的矛盾」などに分類し、指摘しています。
「言葉の正確性と一貫性の欠如」において
たとえば「延長線上にあります」や「未来を実現した方もいるのではありませんか?」という表現は不明確と指摘しています。 そして「曖昧さを排除せずに文章を発信することは、審査員としての信頼性を大きく損なう行為」と述べています。
しかしながら、まだここでは明確にする必要はないでしょう。 未来に関わることですが、募集する記事は結末のある過去の出来事です。 現在から見たことではないため、まず過去を振り返ってイメージしてもらう必要があります。 1行目の「いまの自分は、過去の自分の延長線上にあります」は、その導入です。 「…未来を実現した方もいるのではありませんか?」はそれを広げるための文です。イメージすることを明確にしたら、先入観を与えてしまうため適切ではないでしょう。
最初に明言すると分り易い一方で、リスクもあります。
今回の募集「#想像していなかった未来」において、もちろんテーマは「想像していなかった未来」であり、「予期しなかった未来」です。 しかし、テーマは「予期しない未来」と述べています。 つまり内容がそう読みとれる、ということでしょう。 異なる目的で読み取るため視点が現在になり、折角の配慮が台無しになったと考えます。
「例示における論理的矛盾」において
その例示は「ランニングを続けていたらマラソンを完走できるようになった」と「学生時代には考えられなかった仕事に就いた」です。 それらは予測可能な変化や成長であり「予期しない未来」ではないため「一貫性を欠き、読者を混乱させる原因となる」と指摘しています。 確かにその通りではあり、間違いではありません。
しかしながら、予期しようと思うから予測可能になるのであり、予期する気がなければ予測不能になります。 変化の瞬間には同異の問題があり、直前を捉えると同じ、直後を捉えると異なるからです。 直前を捉えることは、そこで留まることを意味し、直後を捉えることは、先へ進むことを意味します。 先へ進むための動機、必要性や目的がなければ、留まることになり、予測不能になるでしょう。
ランニングする目的はあっても、マラソンを完走する必要性がなければ動機がなく、予測しません。 リハビリや健康維持のためのランニングなら、おそらくマラソンについて考えません。 その場合、予測不能です。 そしてテーマを考えると、あえて予測可能な場合を選択するのは不適切です。
一方、マラソンを完走したなら、ほぼ確実にランニングをしていたでしょう。 結末のある現在から考えれば、予測可能になります。
もう一つも同様です。 したがって、結果から物事を考えたから、論理的矛盾があると感じたと思われます。
誤解は誰にでもある
同じ文章でも異なる意味にとれることはあります。 この様な誤解は誰にでもあるでしょう。 私も気付かないで誤解してしまうことが多々あります。 ですから、ここで述べたことにも誤解があるかもしれません。 私の発言は感じたことを述べただけです。 「こうあるべきだ」という主張ではなく、「こういう解釈もできますよ」ということです。
他者の記事について述べることは、リスクがあります。 公開してまで述べるのは、強い思いがあるからでしょう。 コニシ木の子さんの活動を支援したい思いは理解できます。
私も「誤解することの背景には同異の問題があり、それを意識してもらいたい」という思いがあります。 怖くて記事を公開するか迷い、遅くなってしましましたが、それでも公開することにしました。
決して批判ではありません。 武智倫太郎さんは他者の活動を支援しており、困っている人を助けてあげられる人です。 気付いたときには、助けるでしょう。
そうした時の適切な対処が重要と思っています。
そして、もちろん意識して理解している方が問題を起こし難いはずです。 この機会に知っていただきたいです。
力があれば押し通せる
私たちは、とにかく事実を信じなければ何も進められません。 にも関わらず、事前に状況を誰もが知れるわけではありません。 同異の問題は時間と空間に関わることであるため、常に生じています。
実際に起きた出来事の話を聞き、現場を目の当たりにしても、背景にある状況や経緯を知らなければ意味がわかりません。 「なんのはなしですか」となるでしょう。
そして、感覚的に知っているだけでは適切な対処ができません。 1つの捉え方しか見つけられなければ、決め付けることになるからです。
同異の問題があることは、「あると思えば問題があり、ないと思えば問題がない」ということです。 「いい加減」と思われてもしかたありません。 この問題を意識して理解している人は極めて少ないでしょう。 つまり「そんな問題はない」とできます。
もし「そんな問題はない」とされたら、私は困るでしょう。 どんなに頑張って述べても、聞く気がなければ、理解されません。「なんのはなしですか」と突き返されます。
つまり力があれば、流れを無視して押し通せることを意味します。
一方で救いもあります。 それが同異の問題であるからこそ「ない」とできたのです。 つまり、その逆「ある」もできるはずです。 力ずくが通用しないようにできるでしょう。
必ず流れを考慮し、できるかぎり適切な判断ができる状況にしたいと思っています。 ですから、まず意識して知っていただきたいのです。
気付いた時には
賢い人は、結果を予測して逆から考えることも多く、そして何かしら力も持つ立場にいるでしょう。 現実が不可逆であることを忘れ、押し通してしまったことはあると思います。
気付かなければ、問題と思いません。 気付いているなら、不適切な方を選ばないでしょう。 なかなか問題として現れません。
力のない被害者だけが、よく分からず苦しみ、密かな問題になります。 たいてい誰にも分かってもらえません。
おそらく誰もが、苦しませたことはあるでしょう。 私もあると思っています。 もし心当たりがあるなら、これからを考えてください。
傷付けてしまう一方で、助けられる人もいます。 気付いたときには、助けてあげてください。
同異の問題があることは、厳密に正しさを求めると、問題を起こします。 必要なことが適切になるよう、できる限り調整するしかありません。 落とし所なら見つけられるでしょう。
あなたはどう思う
昔に比べて社会の変化が激しくなり、対処が遅れれば、崩壊する恐れを感じる様になったと思います。 ちょっとした小競り合いが、世界規模になってもおかしくありません。 昔のままの意識ではいられないと感じます。
火種のうちに解消できる仕組みが必要と私は考えます。
ですからまず、火種の背景にある「同異の問題」を知って欲しいのです。
他人ごとと思わず、考えてください。
