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余分の話

最近ショックなことがあった。自分の書いた文書のレビューで表現が使われない言い回しというのだ。それは「余分の○○」という表現。「余分な○○」と書くべきだと指摘された。違国日記じゃないが何を言われているか分からなかった。まあ、どちらもおかしい表現ではないし「の」の方が若干雅風の気があると思う。(これも「雅風な気」が正しいというのかな)ものは文学作品ではないが不特定多数の比較的若い方が目にするものだったし、レビューアも私より若いので若い方が違和感あるならと修正はしたけどどうもすっきりしない。

そこでAIである。まあ、chatGPTは

「余分」は普通 ナ形容詞として使われます。
一方「余分の」は、構造としては名詞+の の形です。
しかし実際の日本語ではこの形はあまり使われません。

ChatGPT

名詞として使う場合:「余分(名詞)」+「の(助詞)」
形容動詞として使う場合:「余分だ(形容動詞)」+「な(連体形)」
現代の日常的な日本語では「余分な」の方が圧倒的に多く使われています。

gemini

「余分」はナ形容詞(形容動詞)です。名詞を修飾するときは原則として「余分な」を使います。「の」で名詞を修飾できるのは主に名詞です。ナ形容詞に「の」をつけるのは文法的にグレーゾーンです。

Claude

みなさん、どっちもおかしくないが今は「な」を使うべきという意見でだいたい一致している。Claudeに至ってはグレーゾーンと言ってる。(去年の流行語大賞でこの新作を作った講談師が体制に媚びるので嫌いになった)
まあ、みなさんの意見に従ってレビューは受け入れたのだが納得がいかないので深堀する。しつこく聞くと合わせてくれる特性があるので信用ならないけど、将棋AIだって考慮時間を延ばすと指し手が変わるので致し方なし。スコープに入ってくる情報が違うのだからエンジンのせいじゃないよね。
で昔はどうだった?ときくと明治の文豪漱石鴎外や諭吉は「余分の」を使っていて普通の表現だったって言う。1970ー80年代に「な」が多く使われるようになったとのこと。言語の変化を体験していたのだなあと思ったし言われるまで気が付かないとは自分もロートルだなあ。(これも現代では使わないよね。言うなら老害か。でもニュアンス違うんだよね)まあ「余分」自体新しい明治期の言葉だろうと聞いてみたら江戸期だという。

用例も教わろうと再度聞くと

コトバンク(デジタル大辞泉)によると、初出の用例は菅原道真の漢詩文集『菅家文草』(900年頃成立)で、「况年之閏月、一歳余分之春」という漢文の中に使われています。
その後、江戸時代の山鹿素行の著作『配所残筆』(1675年)にも「文章も学の余分なれば是を嫌ふには非ず」

Claude

学問の神様として有名な**菅原道真(すがわらのみちざね)**が書いた漢詩文集『菅家文草(かんけぶんそう)』の中に、次のような一節が登場します「况年之閏月、一歳余分之春」

gemini

『太平記』(14世紀)其の兵粮に余分あり
中世文書には次のような形がよく出ます。年貢の内、余分一石これあり
『蔭凉軒日録』(相国寺の日記 15世紀)米銭余分有之
『看聞日記』(15世紀)余分の銭を蔵に納む
武家文書 余分三斗
『日葡辞書』(1603)Yobun(余分)

ChatGPT

できるだけ多く用例を教えてと聞いたのでChatGPTが一番すなおである。
中国にも由来がありそうなのでさらに聞くと
『説文解字(せつもんかいじ)』(紀元100年頃・後漢の漢字辞典)「閏、餘分之月」(太陰暦の余りの日のことらしい)
『漢書(かんじょ)』王莽伝(紀元1世紀・後漢の歴史書)「紫色鼃聲、餘分閏位」(悪口でうるう月のように正統でない位についてるということらしい)

「余」が正字「餘」だけど「余分」の歴史は意外に長かった。それを最近の変化に照らしてこなれないなどとは浅学なとは思わないが、暦という厳密なシステム用語として現れた「余分」は形容動詞化という主観的な用法を行うべきではないということは2000年前に日本に伝わっていれば常識だったろう。

品詞の変化について「余分」は名詞であったものが形容動詞化(ナ形容詞)(ちなみにナ形容詞でないものはイ形容詞。「赤い」とか)したもの。一方の「余分の」はノ形容詞と言われるそう。ほかに連体詞とタル形容詞(堂々たるなど古語の生き残り)があるとか。形容詞の概念が崩壊しはじめたのでやめ。
AIが出してきた中に「自然」という言葉があり、これも「の」も「な」も取れる。ふと、「自然の驚異」は言えるが「自然な驚異」は言えないと気付く。「自然の驚異」は「驚異の自然」の倒置?と聞いたらそうではないという。「自然」は二つの言葉が一つの表示をもったものであり、一方はナ形容詞になれない「山や川、環境」といった大自然やその一部を示すものであり、もう一方は「あたりまえや作為的でない」という意味を示す。まあ、言われてみれば。辞書引いたらさらに副詞としても「ひとりでに」という意味の言葉も表記併用。

言葉の変遷に立ち会っていたのに気が付かなかったというショックとなんか掘っていくと色々でてきて面白かった。「余分の」散歩はここまで

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