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感想『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は『超かぐや姫!』だった!

3連休、家族3人で『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を観てきました。


あらすじ、解説
太陽のエネルギーが奪われるという原因不明の異常現象が発生。このままでは地球は冷却し、人類は滅亡してしまう。同じ現象が太陽だけでなく宇宙に散らばる無数の恒星で起こっていることが判明し、11.9光年先に唯一無事な星が発見される。人類に残された策は、宇宙船でその星に向かい、太陽と人類を救うための謎を解くことだった。この“ヘイル・メアリー(イチかバチか)”プロジェクトのため宇宙に送り込まれたのは、優秀な科学者でありながら学会を去り、いまはしがない中学教師をしていたグレースだった。彼は地球から遠く離れた宇宙でたったひとり、自らの科学知識を頼りにミッションに臨み、そこで同じく母星を救おうと奮闘していた異星人ロッキーと出会う。姿かたちも言葉も違う2人は、科学を共通の言語にして難題に立ち向かい、その過程で友情を育んでいくが……。

2026年製作/156分/G/アメリカ
原題または英題:Project Hail Mary
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
劇場公開日:2026年3月20日

映画.comより引用


私と妻は原作既読でしたが、10歳の娘は予備知識なし。子供には少し難しいのではないかと心配していたのですが、鑑賞後には

「お父さん、幸せ?質問!」
「よいよいよい」
「幸せ幸せ幸せ」

とロッキーの口癖を真似し始めて、ひと安心。きちんと物語が届いていたようで、嬉しくなりました。

ーーーーここから映画版のネタバレーーーー












原作既読者の目で見ると、映画版はヘイル・メアリー号建造までの科学的プロセスは大幅に省略され、グレースの成長とロッキーとの関係に焦点が絞られています。この再構成は、「映画」というフォーマットの中で物語を成立させるための適切な判断だと感じました。(原作に忠実なドラマ版も観てみたい気はしますが…)

このアレンジによって本作は明確に「グレースの成長の物語」が軸として立ち上がっています。その結果、私にはある感想が浮かびました。

この映画、『超かぐや姫!』と同じ話じゃない?

本稿では、その相似点を語る前に、前提として『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の主人公像の「新しさ」について整理していきたいと思います。


■父性が支えてきたヒーローの系譜


本作は、地球滅亡の危機に立ち向かう科学者の物語です。科学的知識と試行錯誤で問題を解決していく展開は、いわゆる王道SFの型に収まっており、それだけでも十分に楽しめるのですが、革新的な新しさがある作品とは感じませんでした。

むしろ本作の「新しさ」は「主人公の在り方」にあります。

グレースは優秀な科学者でありながら、責任を引き受けることから逃げて、逃げて、逃げ続ける人物です。頭が良く、能力もある。しかし決定的に覚悟がない。

この一点において、グレースは従来のSF映画のヒーロー像とは決定的に異なります。

これまでの「地球を救う物語」では、主人公が行動する理由は家族、国家、子供たちの未来――守るべき対象が、当然のものとして存在し、観客と共有されていました。

この構造を支える考え方を、一つの言葉で言い表すことができます。
それは「父性」です。

ここでいう父性とは、

「強い者が弱き者を守る責任を引き受けるべきだ」という倫理です。

この視点から過去の作品を見ていくと、その特徴はよりはっきりします。


■地球滅亡SF映画が描き続けてきた「父性」

『地球最後の日(1951)』では、人類は選別され、新たな惑星へと移住します。そこにあるのは文明を存続させるための合理的判断です。国家やプロジェクトそのものが“父”として機能し、人類はそれに従うことで生き延びる。脱出ロケットは「ノアの箱舟」であり、この構造にはキリスト教的な救済観も色濃く反映されています。

『アルマゲドン(1998)』では、ブルース・ウィリス演じる父親が娘を守るために命を投げ出し、地球を救います。個人的な愛情が、そのまま人類全体の救済へと接続される。ここでは父性が、個人の倫理と世界の命運を結びつける装置として機能しています。

『インターステラー(2014)』では、その父性がさらに拡張されます。娘への愛情は時空を超えて作用する力として描かれ、物語の原理そのものへと昇格し、人類の絶滅を阻止します、パパパワー凄すぎる。

一方、『バトルシップ(2012)』の主人公アレックスは、無責任で未成熟な若者として登場します。しかし物語が進むにつれ、軍隊という制度や、兄という父親的存在を通じて、責任を引き受ける側へと変化していきます。

兄の死は父性の継承を意味し、軍の規律は彼に行動原理を与える。彼は、自ら選んで変わるのではなく、導かれることで英雄になってゆきます。つまり『バトルシップ』は、未熟な個人が父性によって教育され、英雄へと成長してゆく物語です。

この作品には、父性が揺らぎながらも、なお有効に機能していた時代の空気が色濃く表れています。


■動けない主人公という現代性

それに対して『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のグレースは、決定的に異なります。

彼は正しい観察力を持ち、プロジェクトにも全力で協力する。しかし英雄にはなりたくない。この姿勢は、物語の序盤から一貫しています。

それを象徴するのが、乗船メンバーであるヤオ船長とのやり取りです。

グレースは、片道切符の任務に挑むパイロットたちを「勇気のDNAをお持ちだ」と称賛します、しかしヤオは、それを即座に否定します。

「DNAは関係ない、本当に守りたいものがあるかどうかだ」

この一言によって、物語の軸は「資質」から「対象」へと切り替わります。

しかしグレースには、命を賭けるべき対象が存在しない。だから、彼は動けない。

ここで重要なのは、彼が特別、臆病者ではないという点です。

現代を生きる私たちもまた、彼と同じ立場にあります。世界で起きている紛争を知っている。戦争反対の意思を示すこともできる。
それでも、自らが当事者として関わることはできない。

知っているが、引き受けない。
正しいと思うが、動けない。

グレースは、そんな我々の現実を体現した存在なのです。


■ヘイル・メアリーは何に賭けたのか?

では、グレースはなぜ変わるのでしょうか。

その契機となるのが、異星人であるロッキーとの出会いです。

最初は利害関係から始まった協力が、やがて理解と信頼へと変わっていく。その過程で、彼の中に初めて「命を賭けて守りたい存在」が立ち上がります。

それは国家でも人類でもない。
ただ一人の、相棒です。

グレースは、人類のためには命を賭けられなかった。しかしロッキーのためには、それができる。

この逆転こそが、本作の核心です。

人を動かすのは、大義ではなく関係性である。

もし、グレースがロッキーと出会わなかったとしたら、彼は能力を発揮することもなく、ストラットを恨みながら孤独の中で死を迎えていたはずです。

そう、本作が掲げる「ヘイル・メアリー(いちかばちかの賭け)」とは、単なるプロジェクトの成否を指しているのではありません。

グレースが、本気になれるかどうか。

その一点に賭けられたギャンブルだったのです。


■本作が描くロマン

この作品が投げかける問いはシンプルです。

私たちは、何のためなら命を懸けられるのか?

かつては、大義のために命を捨てるという価値観が社会に共有されていました。しかしその前提が揺らいだ今、行動の理由はもはや自明ではありません。

そうであっても、理念ではなく、同じ目的を共有した他者との関係であれば、人は命を懸けられるのではないか。

「正しさ」のためではなく、目の前の誰かのためなら、本気になれるのではないか。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、そんなロマンを描いた物語です。

私たちは、その可能性を信じたい。
だからこそ、この映画に心を動かされるのです。

そして、ここまで述べてきたことを踏まえると、ひとつの見方が浮かび上がります。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、『超かぐや姫!』と同じ構造を持った物語なのではないか。


■変われることを信じたい

両作品のエッセンスを抽出すると、次のように整理できます。

頭が良く、能力も高く、社会にも適応している。
しかしその内面には、「自分を愛することができない」という欠落を抱えています。そのため彼/彼女は「主役」になることを避け、あくまで裏方にとどまろうとします。

そこに現れるのが、可愛らしくも手に負えない、ワガママな異星人です。
その存在は日常に入り込み、半ば強引に関係を結びます。

やがて二人は同じ目的に向かい、協力する中で絆を深めていきます。
その過程で主人公は、初めて他者を「受け入れ、受け入れられる」関係を手に入れます。

※私は、グレースとロッキーの「カプセル越しのハグ」彩葉とかぐやの「なかよしのヤツ」で涙してしまいました。

しかし二人には別れが訪れます。
そして、予期せぬ再会。

窮地に陥った相手のために、主人公は自らの人生を決定的に変える選択をします。

グレースは地球への帰還を捨て、ロッキーの星を救うことを選びました。
彩葉は研究者の道を選び、かぐやと共に生きる未来を選び取ります。

日米、同時期に公開された二つのSF映画が、同じ場所にたどり着いています。

それは偶然ではないでしょう。
私たちが、同じ時代を生きているからです。

かつて人は、「正しさ」のために動くことができました。
しかし今、その拠り所は失われています。

父性なき時代。
私たちは、別の理由を探しています。

何のためなら、本気で人生を賭けられるのでしょうか。
誰のためなら、その生涯を引き受けられるのでしょうか。

その答えは、大義の中にはもうありません。

ただ一つ、残されているのは――

誰と、つながっているか。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』と『超かぐや姫!』は、
そのことを、別々の場所から同じように語っています。

私たちはきっと、信じたいのです。

関係があるなら、人は変われるのだと。






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