『羅小黒戦記2』公開に際して。良いものは良いの精神で行きたいですね。
1・日本のメディアが見落としている“隣の世界”
日本のニュースを見ていると、あらためて「海外=アメリカ」という認識が、いまだに私たちの中に根強く残っていると感じます。
テレビもネットも、「海外で話題」と言えば、ほとんどがアメリカの映画やドラマ、アメリカのテクノロジーや事件です。
ヨーロッパの話題が紹介されることはあっても、それも西欧的な規範の中で語られることが多く、アジアや中東、アフリカなど、私たちのすぐ隣の世界の動きが大きく取り上げられることはほとんどありません。
たとえば、2025年11月4日に中国で有人宇宙船の打ち上げが成功したというニュースは、人類の歴史的な出来事と言っていいはずです。
けれど、日本では大きく報じられることは無く、詳しく知らない人のほうが多いのではないでしょうか。
宇宙開発やAI、ロボット技術などの最先端分野において、中国はいまや世界をリードする存在になっています。文化や芸術の領域でも、中国の作品は独自の美意識と技術を融合させて急速に成長しています。気づけば、日本はそうした変化をほとんど報じず、結果として「日本スゴイ!」と自国の優位を信じ込む構図を、いまだに引きずっているように思えてなりません。
2・オタクが見た“逆転の瞬間”『アズールレーン』と『羅小黒戦記』
私がその現実をオタクとして実感したのは、2017年のスマートフォンゲーム『アズールレーン』と、2019年のアニメ映画『羅小黒戦記』を観たときでした。どちらも中国発の作品ですが、そこには「日本的な文法を学び尽くした上で、それを自国の感性で再構築している」という明確な意志が感じられました。
『アズールレーン』は、一見すると日本の“萌えゲーム”の延長線上に見えます。しかし実際にプレイすると、UI設計やキャラクターデザイン、物語構成、演出テンポのすべてが洗練され、“日本の二番煎じ”ではない完成度に驚かされました。 キャラクターには中華的な美意識(+エロス)もあり、世界観の作り込みには文化的な厚みを感じます。
この作品をきっかけに、私は「メイド・イン・チャイナ=安っぽいパチもの」という固定観念を完全に改めました。その後も『原神』や『崩壊』シリーズなど、世界市場を意識したメイドインチャイナのゲームが次々と成功し、アジア発スマホゲームコンテンツの主流を築いていきました。
そして、『羅小黒戦記』です。
黒猫の妖精・羅小黒(ロシャオヘイ)と、人間の武術使い・無限の交流を描くこの映画は、人と自然、秩序と自由、共存の可能性といったテーマを、やさしいタッチで、けれど深い思想をもって描いていました。
ジブリ作品のような叙情性と、現代中国社会が抱える現実的な問題意識が、美しいアニメーションの中に共存しています。私はこの映画を観て、「もはや日本アニメの模倣下にある作品ではない。日本アニメを継承しながら、中国が独自の地平を切り開いた」と感じました。
3・“趣味”を超えた表現文化――中国コスプレの驚異
もう一つ、私が象徴的に感じたのが、中国のコスプレ文化の進歩です。
ここ数年、中国のSNSを覗くと、コスプレイヤーの完成度がまるで違うことに気づきます。メイク、スタリング、衣装、撮影環境、レタッチ技術――どれも桁違いにクオリティが高い。撮影スタジオは映画のワンシーンのようで、光や色の設計まで綿密にコントロールされています。
こうした進歩を見ると、“日本発のオタク文化”という言葉そのものが、もはや意味を持たなくなっていると感じます。日本が築いたオタク文化を、いまやアジアの隣人たちが更新し、それを世界に発信している時代を実感します。
4・「先行者」から25年――笑い話が最前線に立つまで
思い返せば、2000年ごろにインターネットで話題になった中華ロボット「先行者」を日本人が笑いものにしていた時代がありました。
ぎこちない動きと無骨な外見が「これが中国のロボットか」と揶揄され、ネットミームのように広がったのを覚えている方も多いでしょう。
しかし、あれから25年。いまや中国のロボット技術は世界の最前線に立ち、人型ロボットの半数が中国製と言われるほどに成長しました。複雑な動作をこなし、人と自然に対話できるような高性能機も次々と登場しています。
No Person Inside IRON Robot, Says Xpeng's He Xiaopeng in Response to Speculation#XPeng https://t.co/ZsFNaVwM8B pic.twitter.com/j2CVEpkzFB
— ThinkerCar (@thinkercar) November 6, 2025
当時は“笑い話”だった存在が、いつのまにか世界最強のロボット大国へと変貌していたのです。文化も技術も、静かに、しかし確実に日本を凌駕する進化を遂げました。かつての「日本スゴイ!」という自己肯定の延長で他国を見下していた態度が、いかに視野の狭いものだったか――今となっては恥ずかしく感じます。
日本のメディアが依然として「海外=アメリカ」という構図を手放せない中で、アジアの隣国たちはものづくりや表現の力を着実に積み上げています。
私たちはいつのまにか、西欧中心の情報空間の中で、身近なアジアの変化を見落としているのではないでしょうか。 それは単なる報道の偏りではなく、「日本文化がまだアジアの中心にある」と信じたい無意識の防衛でもあるのかもしれません。 けれど、現実にはアニメもゲームも、コスプレも、すでに多極的な時代に入っています。アジア各国がそれぞれの美学を発信し、互いに刺激を与え合っている。そんな時代に、日本人の意識だけが「ガラパゴス化」してしまうのはもったいないことです。
5・オタクの未来――“良いものは良い”の精神で
だからこそ、オタクである私たちは、政治的なイデオロギーや国籍の壁をいったん脇に置き、「良いものは良い」と素直に認め、吸収していく姿勢を取り戻すべきだと思います。
文化は本来、国を越えて循環し、そこから新しい価値が生まれるものです。日本もかつて、手塚治虫らオタク文化の先人が欧米から映画やアニメーション、テクノロジーを学び、それらを自分たちの文化として昇華してきました。ならば、今度は私たちがアジアの隣人たちからも学ぶ番ではないでしょうか。「競う」よりも「共に進化する」――その視点が必要なのだと思います。
実際、クリエイターの世界ではすでにそうした動きが広がっています。
中国資本のもとで日本のアニメーターが制作に参加したり、海外のクリエイターが日本のスタジオと共同で作品を手がけたりと、国境を越えた協働は日常的になりました。いまではアニメもゲームも、制作段階からグローバルに展開する時代です。アジアの技術と感性が混ざり合うことで、これまでにない表現が次々と生まれています。
しかし一方で、日本のオタク層の中には、そうしたグローバルな展開を試みた作品を拒む層も少なくありません。「日本的萌えアニメの作法」から外れる作品に対して、必要以上に排他的な反応を示す声がしばしば見られます。
最近で言えば、映画『ChaO』への過剰な酷評や、劇場アニメ『ALL YOU NEED IS KILL』への理不尽なバッシングなどがその典型です。
作品そのものを観もしないうちに、「ポリコレ」などという曖昧な言葉で一括りに否定してしまう。その姿は、正直言って少し子どもっぽく、もったいないと感じます。
もちろん、自分の好みに合わない作品を観ないこと自体は悪いことではありません。誰にでも好き嫌いはあります。
けれど、作り手が真剣に取り組んだ作品を、観てもいない段階で集団で叩くような態度には、「本来のオタク精神」が欠けているように思うのです。
もともとオタクとは、メインストリームにないマイナーな表現や価値観に面白さを見出し、世間の評価に関係なく愛することができる存在でした。
「自分の好きなものだけが正義」「自分の知っている型から外れたものは悪」と決めつけるのは、まるで“ママの作ったごはんしか食べたくない”と駄々をこねる子どものようです。それでは成熟した文化の担い手とは言えませんよね。
結び アジアの想像力に触れてほしい
文化を愛する者であるなら、自分の知らない表現や新しい試みにも、少しだけ心を開いてみること。そこから世界がぐっと広がることがあります。
その第一歩として、(多少、強引ですが)今週末に公開される『羅小黒戦記2』を観てみるのはいかがでしょうか。この作品は、中国産アニメでありながら、日本のアニメファンにもなじみやすいテンポやキャラクターデザインを持っています。
前作『羅小黒戦記』で見せた作画厨も唸らせるハイスピードなバトルシーンや、繊細なキャラ感情の機微を受け継ぎ、さらにグレードアップしている予感がします。(私も未見で、今週末に娘と観に行きます)
「日本産アニメ」と「海外製アニメ」のあいだに、明確な境界はありません。あるのは、創り手の情熱と、観る側の好奇心だけです。
まずは「中国製アニメ」というラベルを少し脇に置いて、スクリーンの向こうに広がるアジアの想像力に触れてみる――それが、これからのオタクにとって、きっと豊かな体験になるのではないでしょうか。
そんな「ぼくらが望む未来」が、ほんの少しでも近づいているのだとしたらうれしい。つまり、私が今、心から「羅小黒戦記2」を観るのを楽しみにしているというお話でした!
