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「雨にぬれても」はなぜ響くのか『明日に向かって撃て』と自由の終焉

 「明日に向かって撃て」は、1969年のアメリカ映画の西部劇。1890年代の実在した銀行強盗団のボス、ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)と早撃ちのサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)の逃避行の物語。
 監督はジョージ・ロイ・ヒル、他に「スローターハウス5」「スティング」「リトル・ロマンス」「ガープの世界」等どれも好きで何度も見た。
 ブッチとサンダンスは銀行強盗だが、ルパン三世のようにヒーローとしてユーモアを持って描かれていた。時代に反抗する自由と解放のヒーローが、見えない敵に追われて逃亡生活を続ける物語。
 映画評論家の川本三郎さんは、この映画を次のように紹介していた。

従来のガンプレイ中心のマッチョ的西部劇と違ってしゃれっ気と軽みを持った心やさしい西部劇として、ビートルズ革命以後の若い世代に圧倒的に支持された。

出典:「映画監督ベスト101」川本三郎編 新書館

 ベトナム反戦運動、人種差別等様々な差別、若者たちが自由、平等、平和を唱えた学生運動が世界中で盛んに行われた時代。
 60年代後半から70年代前半のアメリカン・ニューシネマでは、社会の問題を体現するかのような犯罪者のアンチヒーローこそが腐敗したシステムを壊し時代を変えるヒーロ―だった。
 1890年代、ブッチとサンダンスは西部の開拓時代の終わりに登場した。彼らは元々牧場労働者だった。自由と解放のフロンティア精神は、開拓地がなくなり消滅した。定住と支配の権力構造に変化し、鉱山の価格低下や鉱脈の枯渇、鉄道のルート変更で町は衰退し、ゴーストタウン化する。
 牧場とカウボーイの古き良き生活は失われ、広大な土地を持つ富裕層に銀行が投資をして大規模な牧場経営が生まれ、食肉ビジネスが展開する。
 彼らはそんな大牧場から馬や牛を奪い、銀行を襲い、町をゴーストタウン化した列車を襲い金貨を奪う。単なる犯罪者には違いないが、時代の変化と共に生活を壊され仕事を奪われた庶民の無意識が求めるヒーロー像として、どこか軽やかに描かれていた。
 しかしその幻想は、やがて時代の現実の重さに押しつぶされていく。
 娯楽西部劇のように思えた映画は、西部劇の終焉と過酷な現実の狭間で追い込まれていく無法者たちの悲痛な物語だった。
 それゆえラストの音だけで、映像がストップモーションになり、彼らの最期を見せない演出が心に響いた。当時小学生の私は、TVの洋画劇場で初めて見て、この映画に夢中になった。

 「雨にぬれても」が主題歌だが、映画の中で雨が降る場面はない。
 主題歌が最も印象的なのは、ブッチがサンダンスの恋人でもあるエッタ(キャサリン・ロス)と夕暮れの草原で自転車の曲乗りをしたり、二人乗りをするつかの間の幸せな場面に流れる。バート・バカラックの曲調は、明るく柔らかく、幸せな気持ちにしてくれる。
 私の記憶の中では「雨にぬれても」の曲が流れる場面は、いつも天気雨のような細かな雨が降っていた。その中でブッチ(ポール・ニューマン)とエッタ(キャサリン・ロス)が幸せそうに笑っている。
 恋人であるサンダンス(ロバート・レッドフォード)の事は気になったが、私は圧倒的に知的でユーモアのあるブッチ(ポール・ニューマン)の方が好きだった。伝説の銀行強盗団のボスにして土壇場で「銃を使った事がない」と告白する人間性にも魅かれていた。
 何度も見返し劇場でも見た。私はいつも「あの場面、雨降ってなかった…」と落胆する。この映画で雨のシーンはどこにもない。
 ではなぜ主題歌が「雨にぬれても」なのだろう。歌詞を見ると

Raindrops keep falling on my head
But that doesn't mean my eyes will soon be turning red
Crying's not for me
'Cause I'm never gonna stop the rain by complaining
Because I'm free
Nothing's worrying me
It won't be long 'til happiness steps up to greet me

出典:「雨にぬれても」作詞:ハル・デイヴィッド 作曲:バート・バカラック

 自分なりに簡単に訳してみた。
 「(意訳)僕の頭の上に雨が降り続けても
   僕は目を真っ赤にして、泣いたりしない
   文句を言っても仕方ない
   雨はけっして降り止まない
   僕は自由だから、何も気にしない
   きっともうすぐ幸せは、やってくる…」

 歌詞を知るとこの曲が「明日に向かって撃て」のテーマ曲である事に納得する。フロンティア時代が終わり、牧場を巨大資本が支配し、ブッチとサンダンスは銀行強盗として生きていた。犯罪者になる前から彼らの頭の上はいつも黒い大きな雲に覆われていた。いつ豪雨が襲いかかり心も体もズタズタにされるかわからない。
 それゆえ、エッタと別れ、追っ手に追い詰められ、ストップモーションになり銃声だけの場面で終わってしまった事が衝撃だった。

 監督はサンダンスとブッチの最後を見せなかったのと同様に「雨にぬれても」を流しながら雨を見せなかった。
 映画では天気の良い夕暮れのブッチとエッタの自転車の二人乗り場面では、私の頭の中ではいつも二人を祝福する天気雨がキラキラと降っている。「雨にぬれても」彼らの笑顔が輝く。
 見せない余白のある演出こそ、観客は自分自身の想像力をプラスして、それぞれの心の中で自分の映画を完成させる。
 曇天の不安と恐怖に追われる日常の中にも幸せな瞬間はあり、悲惨なラストの間際まで次の夢を見続ける。
 最初は、見えない敵に追われ、心の中に見えない雨は降り続き、最後、見えない銃弾の中で彼らは消え、物語はセピア色の伝説になる。
 本当に大切な事は目に見えない。 

 

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