問いのままで星に願いを
七夕の願いごとを何にするか、思い巡らすのが好き。
振り返ってみると、子どもの頃の願いごとは、わかりやすいものだったように思う。「字がきれいになりますように」とか「成績が上がりますように」とか、シンプルでストレートだったかな。
けれど大人になってからは、願う内容が少しずつ変わってきたみたい。どちらかというと、状態とか、心のあり方の方へシフトしてきたように思う。
たとえば「家族みんなが元気で暮らせますように」とか「平和でありますように」とか。ちょっと漠然としていて、願いごとというより祈りに近い。けれども、不思議なことに少し「物足りなさを感じる」のはどうしてだろう。本質的な願いのはずなのに、どこか「わたし自身」が抜け落ちているような気がする。
模範解答みたいな願いごとに、どこかで「安心」しようとしまっていたのかもしれない。当たり障りがなくて、誰の気分も害さない。いい人でいられる願いごと。
でもそれだけじゃ、「わたし」が置き去りになる。
願っているようでいて、いつも願えてないのかもしれない。
それに気づいたのが、今年の七夕だった。

だから今年は、今のわたしが一番気になっていることを、そのまま短冊に書いてみることにした。
許す/許されるって、こういうことかも‥と実感してみたい
何があったわけじゃないけれど、ふとした瞬間に考えることがある。
「許す/許されるって、どういうことなんだろう……?」って。
過去の小さな後悔。
いろんな人に感じる「圧」。
気づかぬうちに傷つけてしまったかもしれない出来事。
あるいは、自分を責めてしまう癖。
許すことは、「忘れる」ことだと思っていた。
でも、本当にそうだろうか?
思い出せなくなるほどに遠ざけることと、
思い出しても大丈夫になることは、全然違うように思う。
「もう、いいよ(ブチギレ)!」と誰かに言うことでも、
「わたしは悪くない!!」と開き直ることでもなくて。
もっと地味で、もっと静かで、じんわりあたたかいような感覚。
出来事を思い出しても、もう心がざわつかなくなっていることに気づく。ずっと張りつめていた神経が、あるときふっとほどけるような感覚なのかしら。
ああ、許す/許されるって、こういうことかもしれない——
そんなふうに感じられる瞬間が、この先どこかで、訪れたらいいなぁ。
2025年。そんな願いごとを、問いのまま結んでおくことにした。
おしまい
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