創作小説|神さびた黴(かび)|後編
こんばんは。
今日はクリスマスですが皆さん楽しく過ごされているでしょうか。
さて、今宵は前々回に投稿した短編小説、『神さびた黴』の後編をお届けします。
平安時代を舞台とした歴史改変SFというニッチ過ぎるテーマのせいで、敷居が高いなぁと思われている方もたくさんいらっしゃるかもしれません…。
それでも、こうしたテーマをエンタメとしていかに面白く書くことができるのか、この辺りは今後の課題になりそうです。
なお、前編をまだお読みでない方は以下のリンクからお読みいただけます。
では、早速いってみましょう!
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悠々たり悠々たり 太だ悠々たり
内外の縑緗 千万の軸あり
杳杳たり杳杳たり 甚だ杳杳たり
道をいい道をいうに百種の道あり
書死え諷死えなましかば本何がなさん
知らじ知らじ吾も知らじ……(欠文)……
思い思い思い思うとも聖も心ることなけん
牛頭草を甞めて病者を悲しみ
断菑車を機って迷方を愍む
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥し
──
遠方の山間で鳶が群れをなして飛んでいる。
日輪に燃え立つ紅橙色の空を背に景色は四方八方遥か先まで伸び、それぞれの道筋の先には古から栄枯盛衰を重ねてきた数多の京の霊魂が明滅し自らの痕跡を証立てているかのようだった。
それからふと遠い視線を近くの事物に向けてみれば、そこかしこに焚かれ始めた松明の明りを縫うようにしてそこら一体ものものしい鎧を着込んだ屈強なる武者どもが屯しているばかりである。
すると突然その中でも一際図体の大きい男が近づいてきた。
男は乱暴に言葉を放った。
「いやはや、まさか再び田村麻呂殿と兵を率いて出陣することになるとは思わなんだ!思い出しますなぁ。蝦夷※21との血湧き肉躍る戦いを!」
男の高揚し切った様子を眺めるや、坂上田村麻呂は窘めるように言葉を返した。
「綿麻呂殿、これは戦ではありませぬぞ。我らの目的は太上皇※22の暴挙を諫め平城の地へとお戻りいただくこと。友敵共々血を流さず終えるに越したことはありますまい。」
田村麻呂の言葉に文屋綿麻呂は周りを憚ることなく高笑いするのだった。
「相変わらず生真面目な男よ。無論冗談だわい!それに今我がここに居られるのは貴殿が我を戦力として認め陛下へ同行を奏請してくれたからに他ならぬ。その恩義には報いなければ……おや?どうやらお出でなすったようで。」
対面に伸びる山道の方から無数の人馬が隊列を組んで行進する際に立てられる類の種々雑多な物音が少しずつ近づいてきた。
程なくして彼方も負けじとものものしく武装した近衛どもが先頭に現れた。
さらにそのすぐ後ろには豪奢な作りの御輿を持ち上げて運ぶ臣下どもの姿が見て取れる。
綿麻呂は目の前までやって来て号令とともに一斉に立ち留まった敵の一向に一瞥くれると、田村麻呂に視線を向けた。
田村麻呂は黙ったままだった。
しばしの沈黙の後、先頭に立った近衛大将らしき者が声高に叫んだ。
「陛下の御路を塞ぎあまつさえ居直ろうというその態度、万死に値しようぞ。」
近衛大将の発する圧に対し全く怯む様子もなく、田村麻呂はゆっくりと応える。
「これはこれは滅相もございませぬ。太上皇におかれましては御身を煩わせた悪病から見事御快癒せられたこと心よりお慶び申し上げる所存です。しかし此度の件につきましては看過することなど出来ますまい。太上皇の御行に対し、陛下は深く御心を痛めております。どうか御再考を。」
直本の諫言を聞くや、近衛大将は怒気を含んだ調子で吠えるように言葉を放った。
「貴様、この逆賊風情が!此処におわします御方こそ今上の真帝であるぞ!このっ…。」
その時、御輿の内より突如御声が生まれ近衛大将を強制的に押し黙らせた。
その御声は非常に幽かなものであったにもかかわらず、田村麻呂はもとより綿麻呂や他の友軍の耳にもはっきりと聞き取られたようであった。
田村麻呂の位置からではその龍顔を見定めることは叶わなかったが、意外なことに今しがた聞こえてきた御声は幼い童のそれのように思われた。
いずれにせよこうなってしまえば、友敵問わず誰もが息を呑んで次の御言を待つ他はない。
すると再び幽かな御声が全ての耳を一斉に震わせた。
「よいよい。して其方は何者ぞ?朕はこれより東国に住まう武者どもの力を手中に収め、愚弟の敷いた歪んだ政道を正さなければならぬ。これは歴代の高貴なる御霊が朕に示した偉大なる“さだめ”であるのだから。」
太上皇の言に田村麻呂は応えて返す。
「御冗談はよしてくだされ。まさか我が名をお忘れになられたのですか?しかし全ては御身のためなれば、名乗らぬわけには参りませぬ。我が名は坂上田村麻呂。かつて時の朝廷の危急に馳せ参じ蝦夷の英傑たる阿弖流為を降すも、今となってはすっかり老いさらばえ戦場の音を聞くこともままならなくなってしまったしがない老兵で御座いまする。」
「そうか、知らぬ名だ。」
太上皇はさも詰まらなそうな口調で呟くと、続けざまに田村麻呂へ問うた。
「ところで、田村麻呂とやら。一つ聞いてもよいか?」
「何なりと。」
「其方は朕が知るある者にとてもよく似ておる。その者は然る京で造酒を司る官司の家系に生まれ、朝廷に仕える由緒正しき“正“としての責務を果たしておった。だが、ある時朝廷へ献上するための御酒が残らず火落ちに見舞われ長として窮地に立たされたその時、この世のものとは思えぬ美貌を備えた女子が現れその者の窮乏を救った。実のところ、その女子の正体は人心を操り手籠めにしてしまう悪鬼羅刹の類であったのだが、凡庸な人の子には気づく術もなかった。やがて件の女子の術中によって為すすべもなく朝廷は傾き、その者は家族部下らも含めて死罪となった。さて、田村麻呂とやら。もう一度申すが、其方はその者によく似ておる。知っておったかな?」
田村麻呂はきょとんとした表情を浮かべ、どこか熱に浮かされた様子で言葉を紡いだ。
「かような者を我は知りませぬし、今しがたお話し下すった出来事に関しても聞き及んだことはございませぬ。」
それを聞いた太上皇は思わず高らかな笑い声を挙げた。
田村麻呂は果たしてあの御輿に乗っていると思しき玉体が本当に太上皇その人であったものか、あるいはあの御輿に乗っている存在こそ今しがた語られた悪鬼羅刹の類なのではないかと、不敬にもそう思われて仕方がなかった。
田村麻呂の疑り深い恐れを感じ取ったのか、太上皇は明らかにわざとらしく声の質を変じて応えた。
「それはそうであろう。今朕が語り聞かせた物語は、全て其方自身がこれより再び体験することになる未来の出来事であるのだから。」
次の瞬間、田村麻呂は戦闘態勢のまま待機していた武者どもに鋭く号令をかけ皆殺しにせよと命じた。
綿麻呂を含め一斉に動いた武者どもは次々と太上皇の近衛や御輿を担いでいた無抵抗の雑役夫らをも容赦なく切り捨てていった。
先に田村麻呂への強い怒りを露にしていた近衛大将も馬から引きずり降ろされ、無残にも身体中を切り刻まれ断末魔を挙げるばかりである。
支えを失った御輿は為すすべもなく硬い地面へと叩きつけられその構造に深い亀裂が走った。
近くにいた友軍の武者の一人が御輿の中を覗き込むと、しかしそこには哀れにも身を震わせ命乞いをする一人の女官が蹲るばかりである。
そのことを聞きつけた田村麻呂は訝しんだが、間髪入れず背にぞわりと悪寒が走り田村麻呂は反射的に後ろを振り向いた。
するとそこには全身がぬらぬらと湿り光り輝く一人の童が突っ立っていた。
初め田村麻呂もその姿が男児のそれであると確信したが、次第にそれが童であるのか老体であるのか、女であるのか男であるのか、分からなくなった。
「こんにちは、この姿ではお初にお目にかかります。朕はこの地球文明で分かりやすく言い表すのであれば〈高次存在〉と呼ばれ得るものでして、こうして遥々地球という星に赴いたのには深い訳があるのです。」
「訳だと!?」
「そう、朕の種族は他の星々の知的生命が築き上げる文明の命脈を喰らい命を繋いでいるのです。しかしながら、最近になってめっきり飯にありつくことの出来る狩場は少なくなってしまいました。今ではこんな辺境の星の辺境の文明にまで手を出さなければならない有様なのです。朕は見ての通りこの種族の中でも未だ幼体でして詰まるところ育ち盛りなわけです。」
そう言うと、〈高次存在〉はお腹の辺りを両手で押さえ空腹を示す身振りを返した。
どうやらこのふざけた態度の異星人は、事もあろうに我らが日出処の神国を狩場にせんと何よりも侵さざるべき文明の叡智を喰らいに来たということらしい。
田村麻呂はそのことを察すると途端に怒りに震え、腰元の柄に手をかけた。
それから後ろ手にまだ控えているであろう友軍に目の前の化物を討つよう力強く命じた。
しかしいつまで経っても背後はしんと静まっているばかりで動きらしい動きはない。
嫌な予感に襲われ恐る恐る後ろを振り返ると、友軍の武者どもは先に切り捨てた敵軍も含め残らずもこもことした白い花のようなものに覆われていた。
今ではかろうじてそれらがかつて人であったことを示す形が保たれているに過ぎないのであった。
「奇怪な!貴様、何をした!?」
田村麻呂が即座に目の前の異形異類を見返すと、見た目にもそれの腹は幾らか膨れている。
「ごちそうさま。おっとそうだ、此処を離れる前にこうして其方の許に朕が現わされた理由をお話ししなければなりませんでした。あぶないあぶない。」
およそ化物には似つかわしくないある種の茶目っ気を覗かせながら、〈高次存在〉は不気味に微笑んだ。
先から田村麻呂は現実離れした超常現象を前にして身震いするばかりとなり、柄に手をかけたままその場を一歩も動けないでいた。
あの誇り高き蝦夷の英傑阿弖流為との死闘の最中であってもここまでの恐怖を感じたことはなかった。
「もう少しこの素晴らしき辺境の星に留まり心行くまで蝕みたい気持ちはやまやまなのですが、これ以上ここに留まり続けては色々と厄介なのです。」
〈高次存在〉は天空へと顔を向け、空をまるごと覆わんとする巨大で複雑な立体曼荼羅を恍惚な表情を浮かべながら眺めた。
「あれはまずい。まさかかように野蛮な世界にあってあれ程美しくも強大な力を行使し得る方途があろうとは夢にも思わなかった。文明識閾下の配列操作を目的とした数理術式、多次元にわたる情報圧縮結合技術。もう一度じっくりと狩場の選定を行い直さなければ、もたもたしていると逆にこちらが喰われてしまいかねない。」
田村麻呂は相変わらず恐ろしさに身を竦ませ口を開くことすらままならなかったが、それでもこの人類では如何ともし難い格別の力を持った異星人がこの星から去ってくれることだけははっきりと理解した。
安堵が全身に張り巡らされていた緊張の糸を幾らか緩ませた。
「そこで其方に相談があります。其方にはこれから朕ら種族のために永遠に生き永らえてもらい、朕らの蝕の安全と保障を図るため文明を管理し導いてもらいたいのです。朕は仲間とともにいつの日にか再び地球を訪れるでしょう。それまでこの豊かで快活な文明の命脈を保っていてもらいたい。」
〈高次存在〉が語るあまりに突拍子もない相談を受けて、田村麻呂は再び強い戦慄を強いられた。
目の前に佇む化物が何を口にしているのかさえすぐには呑み込むことが出来なかった。
「馬鹿な…。我に人の世を裏切れと言うのか。それに、かような…永遠に生きることなどかような人の身で叶うべくもないではないか!」
「いえ、心配には及びません。朕らにはそれが可能なのです。今より目覚めた後外へ出てみれば分かります。先に朕は“相談”という言葉を使いましたが、あれは不適切でした。さりとて朕が下した命令や強制という類のものでもない。強いて言えばこれは其方自身の“さだめ”なのです。」
「どういうことかっ!?」
田村麻呂はほとんど悲鳴に近い声音で叫んだ。
もはや〈高次存在〉が何処にいて何処から言葉を発しているのかさえ曖昧模糊としている。
「其方はすでに人の世を裏切っているのです。其方は、そう…贖わなければならない。安心なさい。其方が人の道から外れ朕らの盟友として尽くしてくれさえすれば、朕らによって損なわれた文明の篝火は、文明の熱は、絶えることなく燃え盛り続けることでしょう。其方は文明の火が消え入りそうになった時、そっと薪を足し息を吹きかけそれの火の番を行う役目を背負ってくれるだけでよいのです。」
田村麻呂は耐え難い苦痛に顔を歪め、闇雲に絶叫した。
「滅茶苦茶ではないか!かようなことを我一人に背負わせるのか!?」
「子を多く生しなさい。其方の撒いた種子が芽吹き、また新たな種子を撒くことを通じて朕らの飽食のために文明を整えるという栄誉はやがて人類全体の総意となることでしょう。黴や家畜といった人類以外の生命が人類に恩恵を与え人類がそれらに応えて畏敬の念を捧げるように、人類という生命全体が朕ら〈高次存在〉に恩恵を与え朕らがそれらに応えて畏敬の念を捧げる、それは“共生”という文明的叡智の結晶ではありませんか?いつかそうなる日が来ることを心より願っています。」
〈高次存在〉の声は遥か彼方まで遠のき、田村麻呂を囲む大地や山野といった情景は残らず形を崩していった。
それに代えて田村麻呂が立つ場所はいつの間にか過去現在未来にわたる全ての生命の屍によって支えられているのだった。
田村麻呂がふと自身の身体を見やると赤く強い熱を伴って燃えていることに気がついた。
まるで田村麻呂自身が人類文明を只管に回し続ける地獄の業火となって生まれ変わったかのようだった。
4(註)
※21〔アイヌ語のエンジュ・エンチウ(人、の意)からという〕古代に、北関東から東北・北海道にかけて住み、朝廷の支配に抵抗し服属しなかった人々。
※22天皇の譲位後の尊称。
5
直本がはっと目を覚ますと全身から汗が止めどなく噴き出し、身に付けていた衣はすっかり濡れそぼっていた。
ゆっくりと起き上がり辺りを見回すが人の気配はない。
直本の周りには高位の加持祈祷に用いると思しき儀式具が散乱し、暗がりの中で鈍く金色の光沢を帯びているものもあった。
ぼんやりとした頭を振りつつ、少しずつ己を取り戻していった直本はもはや己が造酒正酒部公直本ではないことを自覚せざるを得なかった。
大同五年(八一〇年)九月十二日、嵯峨天皇の勅命により大納言坂上田村麻呂は文屋綿麻呂らとともに挙兵のため河口道を通って東国へ向かっていた平城太上天皇と藤原薬子一向の前に対峙しこれを阻む。
それが田村麻呂に課されていた本来の“さだめ”であったが、結局その“さだめ”は頓挫し、〈高次存在〉なる異形に文明を捻じ曲げられた帰結として、仮初の“さだめ”を背負うこととなった。
その結果田村麻呂という標を消され、全くの別人としての生を歩まされるに至る。
田村麻呂は歯噛みし思わず己の惨めな身の上を儚まずにはいられなかった。
田村麻呂が直本としての日々を送っていた間に手にした全ては泡沫の夢幻であったのだ…。
妻も子も、部下らも……。
一刹那、腰に手を回し太刀を引き抜くと己の首に当てた。
そして躊躇なく首に太刀を突き立て深々と刺し貫いた…つもりだった。
キィンという甲高い音とともに刃が宙へ舞う。
田村麻呂には一体何が起こったのか分からなかったが、気がついた時には手に握っていたはずの太刀が天上に突き刺さり田村麻呂の首には僅かの傷も刻まれていなかった。
茫然とその場に固まる田村麻呂。
いよいよ己が自刃することも叶わぬ身の上と知るや目には止めどなく絶望の涙が溢れ、やがてそれは今はまだ田村麻呂一人のものであるところの決意の涙へと変わっていった。
──
田村麻呂はゆっくりとした足取りで自邸の外へ出た。
京は異様な蒸し暑さに包まれ方々を見渡せば青々とした葦の群生が天高く伸びている。
地上は生命に満たされ氾濫し皮肉にもかつて“葦原中国“と呼ばれた本来の姿を取り戻したかのようだった。
その時、田村麻呂は辺り一面にこれまで嗅いだこともない恍惚へと誘う香りが満ち始めていることに気がついた。
香りが強くなる方へと歩いていくと、ちょうど窪地になっているところに陽の光に透けて光り輝く液体が溜まっていた。
田村麻呂は窪地の前まで進むとその場にしゃがみ込み両手を差し入れようとした。
「お飲みになるのですか?」
後方で穏やかな声がし、田村麻呂は振り返ることなく応えた。
「教海…いや空海殿、国を守護する法師たる貴殿ほどの力を持ってしてもあれは倒せなんだ…。」
「仰る通りです。これも拙僧の未熟たるが故。だがそれを口にするのだけはおよしなさい。それは人の身には過ぎる猛毒の類、無事では済みますまい。」
空海の言は飽くまで優しく包み込むように田村麻呂の心に響いた。
しかし田村麻呂の決意を曲げるには及ばない。
「空海殿、一度目の酒殿にて“あれ”は何故貴殿に察知される危険を冒してまで我と接触したのでしょう?否、それ以前にそもそも何故陛下でも貴殿でもなく我でなければならなかったのか…。」
空海は田村麻呂の言わんとしていることを悟り、静かに答えを返す。
「文明を貪り喰らう悪鬼にとって貴方様の存在自体全く想定外の未知なる毒物に他ならなかった。それが彼奴らにとって単なる雑味に過ぎぬものか否かは判然とせぬ。だが悪鬼が畏れる何らかの脅威であるには違いない。一度目の接触の際に毒物を取り除かんとしたが、この筋道では拙僧の介在が障りとなって上手くいかず、その後高次元からの俯瞰視によりあり得べき全ての筋道を仮定演算し貴方様を屠らんとするも全て不首尾に終わったのでしょう。未熟たる拙僧はずっと自らの意志において貴方様を出しに悪鬼をおびき寄せたと思い込んでおりましたが、その実全ての縁起は坂上様を介して繋がっていたのですね。そしてそれを悪鬼にまんまと利用された。」
「あろうことか、“あれ”は我を毒から薬にせんと欲した。滅することが叶わぬなら飼い慣らせばよいのだから。ちょうど人が長い時間をかけて毒たる黴を薬たる酒に変えて文明の一部としてしまったかのように、“あれ”らは我らの文明を搾取するためだけに我らとの“共生”を望んだのです。」
田村麻呂の言葉を引き継いで空海は続けた。
「悪鬼らは実際拙僧ら密教者の事など毛ほども脅威には思っておらん。毒にもならなければ薬にもならないのと同じです。それに比べて貴方様は……。生命とはかくも互いが互いを喰らい喰らわされ続けることを“さだめ”とする哀れな存在なのでしょうな。」
「……“共生”の眼目は毒を薬へと変じること、そして飼い慣らされていないその他の毒が猛威を振るう可能性を潰すことにある。故に“あれ”らは我が死んだ後で別の機を狙って狩をすることを選ばず、逆に我を薬として利用せんとした。“あれ”らはこの地球文明をまるごと自身の好みに合わせ捻じ曲げようというのだ。なればこそ…我は今この酒を飲まなければならぬ。」
そう言うが早いか田村麻呂は両手を液体の中に入れた。
そして両手を椀の代わりとしてその液体を掬うと口を近づけ一気に飲み干した。
「我らは誓おう。我ら自身永劫の時をもってあの悪鬼羅刹らにとっての毒となり呪いとならんことを。決して飼い慣らされてなるものか。我らは“あれ”らにとっての荒ぶる神仏となりていつの日か必ずや跡形も残らず滅してみせようぞ!」
その直後、田村麻呂の宣言に応えるかのように京中の窪地に溜まった液体が宙へと伸び、一斉に天へと降り注ぎ始めた。
田村麻呂はその光景を憎悪の炎と共にその眼にしっかと焼き付け、やがて田村麻呂とともに子孫らに背負わせることになるであろう責苦を想い悲嘆にくれるのであった。
6
千数百年後、とある名も知れない歴史家は高野山のとある寺の倉庫に眠っていた古文書を紐解き、そこに記されていたある文言に興味を惹かれた。
曰く“神さびぬ黴 糀うつし(〈高次存在〉)といへども…(欠文)…”
4冒頭の引用(訳)
4の冒頭は宮坂宥勝監修『空海コレクション1』(2004)筑摩書房,p.16-p.17、「秘蔵宝鑰 巻上
序を幷せたり」から序論〔(1)序詩〕の引用。以下に要約(同書,p.18-p.19)を引用する。
限りなく限りなく、きわめて限りないことよ、ああ
仏典と仏典以外の書物とは千万巻もある
広く深く広く深くして、きわめて広く深いことよ、ああ
さまざまな道を説くのに百種の道がある
それらを書くこともなく暗記することもなければ、教えの根本をどうして伝えることができようか
もしも、そうしなければ、誰ひとりとして教えを知る者もなく、もちろん、わたしもそれを知らないであろう……(欠文)……
どんな教えのことを考えてみても、たとえ聖者だって、それを知ることはないであろう
神農氏は病める者をあわれんで草木をなめてみて薬草をつくった
周公旦は方角の分からぬ者に指南車をつかって教えてやった
迷いの世界の狂えるひとは狂っていることを知らない
眼の見えない者にもひとしい生きとし生けるものは、自分が眼の見えない者であることに気づかない
われわれは生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥い
参照・参考資料
註は適宜、荻生待也編著『日本の酒文化総合辞典』(2005年)柏書房、新村出編『広辞苑 第七版』(2018年)岩波書店、松村明編『大辞林 第三版』(2006年)三省堂、松村明監修『デジタル大辞泉』小学館を参考にした。
参考資料
小倉ヒラク『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』(2017)木楽舎
齋藤孝訳『論語』(2016)筑摩書房
坂口謹一郎『日本の酒』(2007)岩波書店
高橋崇『坂上田村麻呂 新稿版』(1986)吉川弘文館
戸川点『平安時代の死刑 なぜ避けられたのか』(2015)吉川弘文館
福嶋亮大『復興文化論 日本的創造の系譜』(2013)青土社
堀江修二『日本酒の来た道 歴史から見た日本酒製造法の変遷【新装版】』(2012)今井出版
松岡正剛『新版 空海の夢』(2005)春秋社
宮坂宥勝監修『空海コレクション1』(2004)筑摩書房
桃崎有一郎『平安京はいらなかった 古代の夢を喰らう中世』(2016)吉川弘文館
和田英松『新訂 官職要解』(1983)講談社
以上になります!
おそらく今年はこれが最後の投稿となりますが、楽しんでいただけましたでしょうか。
よろしければ、フォロー・スキ・感想等よろしくお願いいたします。
では、また次の記事でお会いしましょう!
さようなら〜。
