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"永遠の0"を読んで

 今年、2025年は、戦後80年にあたる節目の年だ。戦争を経験した世代はどんどん減り、少しずつではあるが、その惨禍は人々の記憶から薄れている。戦争の歴史や被害など概要については、本や史料からよみとることで知ることができるが、人々の戦争へ参加する姿勢や心情など、文字資料からでは断片的にしか読み取れないものは、直接戦争を経験した人から聴くことでしか知ることができない。僕自身、戦争を体験された方から直接話を聴く機会は小学校の頃にあったが、ほとんど忘れてしまった。その時は戦争についての知識がほとんどないため、自分の中でしっかり理解ができておらず、ただ「怖いもの」としてしか認識できなかったからだと思う。今回、本屋大賞を受賞している有名作品を読みたかったからという理由だけで、”永遠の0”を手に取ったのだが、この作品を読み終わった後、自分も太平洋戦争を経験したような気分になって、その戦争を生き抜けなかった多くの人のために、戦争のない平和な日本を維持し続ける努力をしなければならないと強く感じた。この作品はフィクションではあるが、実在する複数の戦争を経験された方々の人生を自分が体験している気分になり、非常に悲しくなると同時に平和な世界への強い願いが胸に迫ってきた。

 百田尚樹作の「永遠の0」は、主人公の佐伯健太郎が、姉の慶子と共に、実の祖父で、太平洋戦争時に特攻で戦死した宮部久蔵がどのような人であったかを、久蔵の軍人時代の同僚から話を聴きながら調べていく物語である。調べていくうちに、久蔵は、国のために命を捨てるのが当たり前な当時の軍人では考えられない、臆病で命をとても大事にする軍人であったことや、腕の良いパイロットであったことなどが明らかになる。なぜ臆病で、腕の良いパイロットであった久蔵が特攻で亡くなってしまうのか、読み進めていくうちにその謎が深まっていき、読者は引き込まれていく。そして、明らかになる真実が、戦争の残酷さと人間の複雑さを鮮烈に描き出す。

 僕が一番印象に残った場面は、『第九章 カミカゼアタック』において、慶子の仕事仲間で新聞記者の高山と、久蔵の戦友である武田が言い争う場面である。高山は、特攻隊員は狂信的な愛国者であり、特攻は殉教的であるため、現代でいうテロリストである、という主張をする。その主張の根拠として、高山は、特攻隊員が出撃前に書いた遺書には「奉告」や「忠孝」などの文字が並んでいるということを挙げた。そして続けて、高山の所属しているところをはじめとする新聞社は、その狂信的な愛国者たちを正し、戦後の日本の民主化を進めたのだという主張を展開した。武田はそれに対し、遺書は上官の検閲があり、軍部や戦争に批判的な文章は許されなかったこと、遺族に苦しい思いをして死んだと思われたくなかったことを主張した。また、戦前、世論をあおって戦争への道へ突き進めた張本人は新聞社であり、戦後は一転して愛国心を持つのは罪であるような主張を始めたが、戦前戦後通じて、自分たちは正義だと信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は全く同じだと新聞社を批判し、新聞記者は嫌いだと高山を部屋から追い出した。ここを読み、僕は行間を読むことの重要性を再認識した。武田が高山に対し、「死を決意し、我が身なき後の家族と国を思い、残るものの心を思いやって書いた特攻隊員たちの遺書の行間も読み取れない男をジャーナリストは呼べない」と言ったように、行間が読めなければ、物事の真意を理解することは難しい。今回の特攻隊員の遺書においては、特攻隊員の心情を想像したり、時代背景を知っていたりしなければ、行間は読めないだろう。ただ高山のように、自分の考えが正しいと信じてやまず、固定観念にとらわれた人は、特攻隊員の行間など読むこともできず、ジャーナリストを名乗る資格はないだろう。
 ここには、作者の現代ジャーナリズムへの批判が現れていると思う。最近でも、時事通信の記者が自民党の高市早苗総裁の取材時に「支持率下げてやるぞ」「支持率が下がるような写真しか出さねえぞ」と雑談したことが話題になっているが、このように、メディアは自分たちのしていることが正しいと信じてやまず、愚かな市民にメディアの考える「正しさ」を押し付けて、世論を扇動しようとする姿勢が見受けられる。その結果、先述した雑談はもちろん、偏向報道やデマ記事、過剰な取材などにつながり、世間から「マスゴミ」と揶揄されるようになるのだ。
 マスコミは本来、正しい情報を伝え、世論の形成を促すものだ。しかし、世論の形成を促すという役割をはき違え、世論を自分たちの良いように直接形成しようとしてしまうと、先の大戦のような惨禍を生むだけではなく、メディアへの信用は失われて、人々は誰が書いたか分からず、嘘か本当かわからないネットの情報を信じるようになり、さらに世論が正しくない方向へと進んでしまう。このようなことは絶対にあってはならない。そのためにも、マスコミは公正中立な報道姿勢を守り続けるべきだ。

 「永遠の0」を通して、僕は戦争の悲惨さを追体験し、現代ジャーナリズムの偏向報道や世論誘導の危険性を強く認識した。過去の戦争を煽ったメディアの過ちを繰り返さぬよう、マスコミは公正中立な報道姿勢を堅持するという役割を果たすべきである。それこそが、戦争の記憶を風化させず、平和な日本を維持するための不可欠な努力だと僕は考える。


参考文献
百田尚樹『永遠の0』講談社文庫、2013年(初版発行年2009年)


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