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働く人の余白。休んでいる人の余白。



最近、「余白」について考えています。

働いている人にとっての余白と、

休んでいる人にとっての余白は、

少し違うのかもしれません。

働いている人にとっての余白は、

忙しい毎日の中に、何もしない時間をつくること。

仕事から離れること。

考え続けている頭を、一度止めること。

そんなものなのだと思います。



では、休んでいる人の余白とは何でしょうか。

私は現在、療養中です。

時間だけを見れば、以前よりずっと余裕があります。

仕事へ行く必要もありません。

一日中、何も予定がない日もあります。

それなら、余白は十分にあるはずです。

でも最近まで、私はほとんど休めていなかったのだと思います。

身体は仕事を休んでいても、頭の中ではずっと何かを考えていました。

これからどうするのか。

生活をどう立て直すのか。

提出しなければならない書類。

家族のこと。

仕事に関する問題。

勉強のこと。

これから始めたい活動のこと。

時間が空けば、

「この時間を有効に使わなければ」

と思いました。

横になっていると、

掃除をしなければ。

洗濯をしなければ。

何か一つでも進めなければ。

そんな焦りが出てきました。

動いていないと、頭の中がおかしくなりそうでした。

今思えば、私は仕事を休んでも、

「自分がやらなければならない」

という役割からは、少しも降りていなかったのだと思います。



働いていた頃も同じでした。

休日でも職場の様子が気になり、見に行くことがありました。

連絡が来れば対応しました。

私が休んでいても、分からないことがあれば連絡が来る。

休職してからも、その連絡に答えていました。

家族からは、

「それは会社がやることだ」

と言われたこともありました。

今なら、その通りだったと思います。

でも当時の私は、

私が答えなければ困る。

私がやらなければ止まる。

私が気づいているのに放っておいてはいけない。

そう思っていました。

任せることができませんでした。


職場だけではありません。
家庭でも、人に任せることが苦手でした。

相手が何も言わない。

動いているように見えない。

何を考えているのか分からない。

そうすると、自分が動かなければいけないと思ってしまう。

私はいつでも、誰かの沈黙や、物事の空白を埋めようとしていました。

ただ、頑張って動き続けても、

「私も苦労している」

「みんな大変だけれど頑張っている」

と言われることがありました。

その言葉を聞くたびに、

私は頑張っていない。

休んではいけない。

まだ足りない。

そう言われたような気持ちになりました。

仕事を休んでも、

生活の不安や手続きが続きました。

復帰を待っていると言われた数日後に、生活に関わる大きな変更を告げられたこともありました。

とても安心して休める状況ではありませんでした。

休んでいるはずなのに、

次に何が起きるか分からない。

何か起きた時に、自分で対応しなければならない。

ずっとそんな緊張が残っていました。


少し前に大きな行政手続きの書類を提出しました。

書類を出したから、すべてが終わったわけではありません。

今後も手続きは続きます。

でも私は、その対応の最前線から少し降りることにしました。

今後のやり取りは、支援してくれている人たちに任せる。

私は必要な時だけ関わる。

つらくなったら途中で席を外してもよい。

最後までその場にいなくてもよい。

そういう形を認めてもらいました。

すると、少しだけ気持ちが楽になりました。


先日私はソファに座り、そのまま居眠りをしていました。

以前の私なら、

掃除をしなければ。

洗濯をしなければ。

せっかくのこの時間があるのだから何かしなければ。

そう考えて、無理にでも身体を動かしていたと思います。

でも、その日は眠りました。

ソファで、ただ眠っていました。

何もしていません。

何も片づけていません。

何も前へ進めていません。

それでも、以前ほど自分を責めませんでした。

その時、ようやく少し、

「休んでいる」

という感覚がありました。



余白とは、空いている時間のことだと思っていました。

でも、本当は違うのかもしれません。

時間が空いていても、

その時間を何かで埋めなければならないと思っていたら、余白ではない。

横になっていても、

頭の中で責任や不安を抱え続けていたら、休息ではない。

働いている人に必要なのは、

忙しさの中に、何もしない時間をつくること。

休んでいる人に必要なのは、

空いた時間を、成果や回復の課題で埋めないこと。

そして、

「今は自分がやらなくてもいい」

と思えることなのかもしれません。

誰かに任せること。

途中で降りること。

最後まで責任を負わないこと。

何もしない自分を、すぐに否定しないこと。

私にとっての余白は、

予定表の空白ではありませんでした。

何もしなくても、ここにいてよい。

何かが起きても、すべて自分で何とかしなくてよい。

そう思える、心の中の安全な場所だったのかもしれません。

私はまだ、十分に休めているわけではありません。

頭の中はすぐに動き始めます。

何かを思いつけば、やりたくなります。

困っている人や問題に気づけば、動こうとしてしまいます。

それでも以前より少しだけ、

「今日は何もしなくてもいい」

と思える時間が出てきました。

ソファで眠っていた、あの時間。

何も生み出していなかったけれど、

あれは私にとって、

久しぶりに生まれた余白だったのだと思います。


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