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「宿命」

『砂の器』という映画がある。

野村芳太郎が監督をした、松本清張原作の作品である。もう何十年も前の映画だが、これが全く色褪せない文字通りの名作であり、その評価が高いことは松本清張本人が「原作を超えた」と発言していることからもうかがい知れることだ。

私の、死んだ父親が一番好きな映画だった。

完全に個人的な『砂の器』の話……というか、父親の話をしようと思う。映画レビューなどという大層なものではなく、あまりに個人の内面に寄った話になる。それから、この話をするにあたって映画の内容に触れることは避けられない。内容には触れるが、説明が本当に大変な作品なのと、作中の題材が今の時代的にはとてもセンシティブなので詳しい説明は省くが、もう何十年も前の映画とはいえ、ネタバレというものを気にする場合は閲覧を控えていただけると嬉しい。また、父親の話の内容がショッキングかもしれない。メンタルに余裕のない方は、あんまり見ないほうがいいかと思う。


それでは、私の父の話をしよう。

父は本当に私が好きな人で、とことん私を甘やかしてやまない人だった。寡黙でものを多くは語らず、一緒に写真を撮ってもにこりともしないのだが、頭を撫でたり、すぐに私を抱っこしたがったり、仕事の最中に私を膝に乗せっぱなしにするわ、果ては休日出勤で会社には誰もいないからと私を会社にまで連れて行ったりするわ、本当に甘やかしまくる人だった。
私もそんな父のことが大好きだった。会話はせずとも、抱っこしてくれといえば問答無用で抱き上げる父。膝の上に乗っていられれば幸せだったから、父の仕事の邪魔も自然としなかった。行きたいと言ったところはどこでも連れて行って、あれがほしいといえばすぐに買ってしまう。小学生には高級な画材、たとえばコピックなんかも山ほど買ってくれるものだから、友人から「お父さんに買ってもらったって自慢ばかりしてきてうざいんだよ」と言われたこともあった。

そう、小学生の頃だった。
小学校を卒業して、あとは中学に行こうと、制服を作ったばかりの冬だった。
自殺だった。何を苦にしてかは、今でもわかっていない。

父は問題もそれなりにある人で、母に暴力なんか振るっていた。その頃の世相的に、現代みたいに「子どもの前で暴力を振るうのも虐待だ」なんて言われる前の時代だったし、私自身も幼かったから怖いとは思えど何かすることはできなかった。それに、どんなに怖くなったとしても普段の父は本当に優しく、母以上に私に愛情を注いでくれていた。何より、実際母と二人になった今、母の態度に私が頭に来てしまうこともめずらしくはなく、どうやら母は世間で言うことの「毒親」であるということにも気付かされてしまった。母の事情は割愛するが、父の暴力は絶対に許せず、あんなふうになるものか、としつつも、父の怒りには悲しいことになんとなく同調してしまう自分がいるのを不思議には思わないくらいの母親であることはあったのである。

しかし、こうなってしまうと、母は当然父のことが大嫌いで、それゆえに父が自殺したというのにケロッとしていた。実際、母に父のことを話せるようになったのは今年くらいからの話で、それまではなんとなく父の話は私も避けていた。幼くとも誰だって自分に暴力を振るってくる相手が嫌いなんてことはわかっていたし、うっかり母の前で父の話をしてとても常識では口にできないような父への罵詈雑言なんかも聞かされたりした。父親っ子だった私にとって、思えばそれは精神的な苦痛が強いものであったのだが、父がいなくなってから鬱になった私にそれを意識させないくらい母は私にいろいろと強いたので、なんと父が死んで十八年経つ今日まで、私は父が死んだことと向き合えないままであったのだ。

こんなことを言ったが、一応勘違いしないでほしいのは、私はこれで母のことも嫌いになれていない、ということである。母は母で、父とは違う優しさを私にくれていたのはわかっている。わかっているからつらいのだが、まあそれは、今する話ではないので置いておこう。

これを読んでいる人にわかっていてほしいのは、父も母も、私にとっては変わらず、欠点こそ大きいが大切な親だということ。ただ相性のようなものと、死んでしまって過去の人になってしまったゆえの美化もあってか、私は父が存命の頃から今になっても父親っ子だということ、本当にそれだけだ。エピソードの濃さではなく、私の匙加減の問題だ。匙加減の問題で、悪い意味など微塵もなく、父親のことが今日まで大好きな娘なのである。


「見てほしい映画があるんだけど」

ようやっと前置きが終わって、『砂の器』の話である。

「映画の内容は、難しくてわからないかもしれない。けど、映画にうつる景色が本当に綺麗なんだ。それだけでも、わかってほしいんだ」

父がある日そんなふうに言ったのが、私とこの作品の出会いだった。
父は映画と小説を愛してやまない人だった。それは見事に私に遺伝して、私も映画や小説が大好きになり、それはその枠を越えて音楽、漫画、アニメ……などなど創作物全般に渡るようになった。母も漫画が好きな人で、その結果自然と私は作り手になり、自覚がないくらい幼い頃から私は絵を描くのが好きだった。
創作物を愛して空想を愛してやまない私に、父の映画の誘いを断る理由などは初めから存在しておらず、そのうえ大好きな父の大好きな映画となれば、どんなものだって見たかった。

初めて見たときは十歳になっていたかも怪しい年齢だったように思う。当然、『砂の器』のストーリーを理解することは叶わなかった。
不治の病に侵された父親と、その父親から引き剥がされた息子。自分の過去を全て捨て、別人として生きていた頃、現れた一人の、過去を知る人物。
推理ものなのだろうか、とか、この人なんの話しているんだ、とかそんなことを思うこともできないくらい、当時に私には物語自体はわからなかった。作中の病気の恐ろしさもわからなければ、登場人物たちが何をどう捜査しているのかもわからなかった。

けれど、映像が鮮烈だったのだ。

父の千代吉と、後の和賀こと秀夫のふたりが旅をする景色。
緑の山々、夕焼けの海、白んだ中の焚き火、咲き誇る桜並木。

綺麗だった。
父の言葉通り、それはそれは、「美しい」としか言い表せないほどの綺麗な景色だった。

そして、幼心に伝わった、和賀の父親への強い感情。
愛していた、なんて言葉では収まらないほどの激情。苦しみも、痛みも、孤独も、呪いも、それすらも全てなくてはならないと感じるほどの思い。

和賀の父親への感情は、唯一無二のものだった。それは言葉にはできない特別なものだったに違いない。愛しているという言葉で片付いたほうがマシなくらいだろう。きっとそんなものではなかったのだ。それを超えて、人ひとりを手にかけて、たとえそれで二度と会えなくなっても構わないと思うほどの意識。
それは裏を返せば、本当の意味で、絶対に父親は自分と魂の奥では離れることはないのだ、という、ある種の絶対的な信頼だったように思う。

きっと父親は、自分のことを知らない人だと言うだろう。自分も、父親のことを知らない人だと言うだろう。それでもう構わないのだ。あの日にお互いそう決めたのだ。二度と会えない、けれど魂は繋がっている。どんなに遠く離れて、他人にわかられずとも、お互いだけが、離れないことを知っている。

それを和賀は、生まれてきたことだと、「宿命」だと、そう言ったのだ。

それを私は、心で感じ取ったように思う。幼い私はひどく悲しかった。けれどそれを父に伝えたかは、よく覚えていない。ただ、ラストの「宿命」が流れていたあの場面で父の顔を見たときに、父がとても感慨深そうにしていたのは、今でもよく覚えている。私を膝に乗せて、真剣な眼差しで画面の和賀を見ていた。つられて私も和賀を見た。きっと、和賀を通して、私と父の感情は重なっていたのだろう。
父は、景色ではなくこれを私に見せたかったのだ。そのときに、それはやはりわかっていた。

今、私の隣に父はいない。優しく抱いてくれた腕も、写真では絶対に見せない笑顔も、男の割に柔らかかった声も、もうぼんやりとしていて思い出せない。

それでも、なぜだかわからないが突然思い出すものもある。

パソコンを触れば父の言っていたショートカットを覚えていて、本屋に行けば父の好きだった作家の名前を自然と探し、ご飯を食べようと飯屋を探せば父と毎週カレーを食べていたからとカレー屋に入ったり、映画を見に行って予告を見れば「この映画はお父さんはつまらないって切り捨てるだろうな」なんて笑ってしまったりする。

そうすると、父の幻が見える。
私の隣で、心底嬉しそうにしながら、いつも通り私の頭を撫で、「今日も元気そうで良かった」なんて、当たり前のことを言う。

もう三十になっちゃうよ、お父さんが生きていた頃より死んだ頃のほうがながくなっちゃったよ、そんな子ども扱いしないでよ、なんて言えば、「父親にとって子どもはいつでも子どもなんだよ」なんて、私の前でだけ見せるちょっと小馬鹿にしたような笑みを見せる。

そうして、幻はすっと消えて、幻のはずなのに、そこに暖かさを残していく。

和賀にもそんな毎日があったのだろう。あの曲を作りながら、いろんな父とのことを思い出したに違いない。私が作品の中でどうしても父親に似た男を描いてしまうように、作品の中で父親とたくさん話したのだろう。そうでなければ、演奏しきったあとにあんなふうに笑ったりしないだろう。そうでなければ、「宿命」という曲が、あんなに美しいものにならないだろう。

親子の旅の回想のシーンで、父親の千代吉と若き頃の和賀……秀夫が、凍えるような寒さの中で焚き火にあたりながら、貧相な飯を炊き、二人で食べるシーンがある。
病気が病気だから、千代吉は体中を布で覆っている。秀夫が食べさせてやろうとして、熱かったのだろうか、千代吉が驚いて跳ねる。秀夫はそれに笑って、千代吉に抱きつく。千代吉はそれに、嬉しそうに笑って抱き返すのだ。
極寒の、焚き火しかない屋外。貧相な飯はきっと美味しくもないだろう。着ている服なんて服であって服でないようなものだし、千代吉は病気だ、痛みや苦しみもあったに違いない。世間からは差別を受け、金もなく、どこにも居場所もなく、あるものといえば、お互いの存在だけだった。

それでも、笑って二人は抱き合っている。
お互いがいればそれだけで他の何にも代えがたいものになっていたことが、そんな細やかなことでわかってしまうのが、この物語を通して見たときにこんなにも寂しい気持ちになる。

けれど、「宿命」を作り上げ、あの場所で賞賛の山をもらい、それを超えたその向こう、父親に届いたと確信したあの一瞬の静寂。
そのあとの和賀の笑顔は、きっとあのとき千代吉に見せたものと同じだったのだ。

そして、それが大勢の人間に伝わったからこそ、『砂の器』は名作とされるのであると私は思っているし、父もこの映画が大好きだったのだろうと思う。

本当は、父も私とこういう会話がしたかったのだと思う。こんな電子の海に投げる文章ではなく、肉体を持って二人で話したかったはずだ。少なくとも私はそうだ。
でもだからこそ、私はこれを電子の海に放り投げる。

和賀が「宿命」という名の音楽にしたように。

それはそれとして、私もちまちま漫画を描いている。ときには小説を書いたりもするし、最近は「創作」と名の付くものならなんだってやりたい。『砂の器』ほど大層なものは作れると思わないし、作る能力も才能もない。別に漫画がめちゃくちゃ伸びているわけでもないし、SNSのフォロワーがとんでもなく多い有名人とかそういうわけでもない。ちまちま描いて、ちまちま同人誌にして、ちまちまイベントに出ている。
でもそうするとときどき、「あなたの作品いいですね……」と立ち止まってくれる人がいる。立ち止まってくれるだけでなく、感想をくれたり応援をしてくれたり、好きだと言ってくれる人すらいる。私はそれがやっぱり嬉しくて、また創作物を作り出して広げだす。

そしてその創作物には、恥ずかしながら父の分身がどうしても現れるのである。
それを誰かが「いいね!」と言うと、父親っ子の私は、なんだか父のことを素敵だと言われているみたいで、心底嬉しかったりする。もうここにいない父が、作品の中で生きているような感覚。
空想だから可能にできることだと思う。そしてやはり、私はそんな空想が好きで、そこから生まれた父の分身が、やっぱり変わらず大好きなのだ。

『砂の器』で、父が綺麗だといった景色の場所は島根県である。そして、父の出身も島根県だ。
6月に開催される一次創作イベントのコミティアが終わって一段落ついたら、聖地巡礼というやつをしに行こうと思う。そしてそのときは、ときどき現れる幻の父を連れていくつもりだ。もっとも、連れていこうとしなくても、父なら勝手に連いてくるだろうが。

映画で親子が別れたあの駅で、きっと私は父と再会する。

これもまた、宿命なのかもしれない。


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