JW889 流れ着いた櫛
【東征激戦編】エピソード30 流れ着いた櫛
第十二代天皇、景行天皇の御世。
西暦111年、皇紀771年(景行天皇41)。
ここは、黒戸の海岸(千葉県木更津市畔戸)。




日本武尊(以下、タケル)一行と、穂積の臣の建忍山(以下、おしやん)の家来「カタスケ」は、弟橘媛(以下、タッチ)の亡骸と対面したのであった。

タケル(30)「タ・・・タッチ・・・。」
わかたけ「母上ぇぇ!」
ダータケ「は・・・母上・・・(´;ω;`)ウゥゥ。」
おしやん「タッチ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
たっちゃん「海神も、気を利かせたのであろうか・・・。」
タケル(30)「ん?」
たっちゃん「溺れ死んだ者は、鞠のように膨らむモノじゃが、『タッチ』殿は、生きていた頃のままじゃ。再びの出会いに、水を差さぬよう、海神が取り計らったのやもしれぬな・・・。」
タケル(30)「全ては、俺の所為で・・・。義父上(おしやんのこと)、申し訳ござらぬ。」
おしやん「もう、己を責めないでくれ・・・。『タッチ』が悲しむ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
武日「じゃが。それよりも、形見を取っておくべきっちゃ。」
タケル(30)「そうだな・・・。『タッチ』の髪の毛を形見として、切り取ろうぞ。」
わかたけ「はっ。」
ダータケ「我も、切り取りまする。」
おしやん「俺も、そうするってばよ。」
カタスケ「ところで、今日までの調べの中で、他にも、いろいろと、姫の形見が見つかっておりまする。」
たけし「どんなモノが見つかっているんですか?」
カタスケ「まず『古事記』によると、海に身を投げられてから、七日が経った頃、姫の櫛が、海辺に流れ着きもうした。その櫛を取り上げ、御陵を造り、収め置いたそうです。」
八腹「それが、橘神社にござりまする。」
タケル(30)「その社は、二千年後も鎮座しておるのか?」
八腹「いいえ。明治時代に、御所ヶ崎が軍用地となったため、橘神社は、神奈川県横須賀市走水に鎮座する、走水神社に合祀されもうした。」








タケル(30)「御所ヶ崎の方に流れ着いておったのか?」
カタスケ「御意。また、姫の櫛は、他にも見つかっておりまする。」
わかたけ「母上は、櫛を集めておられたからな・・・。」
長広「して、どのようにして、見つかったのじゃ?」
カタスケ「姫が、海に身を投げられてから、七日が経った頃、櫛が流れ着いたゆえ、これを埋めて、御陵を造りもうした。また、翌日には、小袖も流れ着いたので、山の頂に埋めたと伝わっておりまする。」
ダータケ「さきほどの橘神社と、似たような話じゃな?」
カタスケ「伝承にござりますれば・・・。」
オクタン「して、何処に御陵を築いたのじゃ?」
カタスケ「神奈川県二宮町山西にござりまする。標高136mの吾妻山の展望台近くで、吾妻神社となっておりまする。姫と共に、皇子も祀られておりまするぞ。」








タケル(30)「そうか・・・。」
カタスケ「愛知県東浦町緒川屋敷壱区に鎮座する、入海神社にも、社の前にある、紅葉川に、櫛が流れ着いたとの伝承がござりまする。ちなみに、祭神は『タッチ』姫ですぞ。」









ダータケ「そんなところにも、母上の櫛が?」
カタスケ「はっ。されど、二千年後は、川が見当たりませぬ。社の近くを流れる、岡田川のことかもしれませぬが、作者曰く、詳しくは、わからなかったとの由。」

解説はつづく
