JW891 笄と冠と着物
【東征激戦編】エピソード32 笄と冠と着物
第十二代天皇、景行天皇の御世。
西暦111年、皇紀771年(景行天皇41)。
ここは、黒戸の海岸(千葉県木更津市畔戸)。




日本武尊(以下、タケル)一行は、発見された、弟橘媛(以下、タッチ)の形見の品について、穂積の臣の建忍山(以下、おしやん)の家来「カタスケ」より、報告を受けていた。
そして、吾妻神社(千葉県木更津市吾妻)の解説をおこなっていたのであったが・・・。







カタスケ「周りの海岸も、袖が流れ着いたことから、袖ケ浦と呼ばれるようになりもうした。」
タケル(30)「袖ケ浦? それならば、エピソード875で解説したぞ?」
カタスケ「えっ?」
ナッカ「いくつものバージョンが有るんすよ。わかりやすく言えば、ロマンっすね。」
わかたけ「出たっ。ロマン!」
カタスケ「そ・・・それから、笄も見つかっておりもうす。」
わかたけ「笄?」
たけし「後の世の言い方をすれば、簪ですね。髪飾りです。髪を纏める為の道具でもありますよ。」

カタスケ「その通りにござりまする。して、東京都江東区亀戸に鎮座する、亀戸浅間神社には、笄塚が有りまする。姫の笄が、近くの海岸に流れ着いたので、皇子が、姫の陵として、塚を造ったと伝わっておりまする。二千年後は、亀戸の富士塚となっておりまするぞ。」









タケル(30)「富士塚? なにゆえ、名が変わったのだ?」
カタスケ「江戸時代に、富士の山に直に登らずとも、御利益を受けることが出来るとして、富士の山に見立てた、富士塚が流行ったそうでして・・・。」

タケル(30)「笄塚も、富士塚にされてしまったと?」
カタスケ「有体に申せば、そうなりまする。」
タケル(30)「そ・・・そうか。木花開耶姫を祀る社ゆえ、致し方ないな・・・。」
長広「と・・・ところで、着物と冠も、流れ着いていたと聞いたが?」
カタスケ「左様。姫の墓として、着物と冠を埋め、傍に、社を建てもうした。それが、神奈川県川崎市高津区の子母口に鎮座する、橘樹神社にござる。姫と皇子が祀られておりまするぞ。」







タケル(30)「俺と『タッチ』が・・・。夫婦の社というわけか?」
カタスケ「御意。」
長広「して、その近くに有る、富士見台古墳が、姫の墓と言われているようじゃな?」
カタスケ「左様。そのような説も有りまする。」




ルフィ「姫の形見は、それだけでやんすか?」
カタスケ「船の一部も流れ着いておるぞ。」
ルフィ「船の?」
カタスケ「嵐の中、沈んだ船もあったようでな・・・。それらの船の一部が、流れ着いたのじゃ。して、これを『寄木明神』として祀ったのが、東京都品川区東品川に鎮座する、寄木神社じゃ。祭神は、姫と皇子ですぞ。」






タケル(30)「『タッチ』と共に・・・。快なり!」
カタスケ「そして、姫の御陵についても、語っておきましょう。」
タケル(30)「ん? これより『タッチ』を葬るのだぞ? 今、語らずとも良かろう?」
カタスケ「そうは、参りませぬ。こちらの御陵は、静岡県に有りますので・・・。」
タケル(30)「なにゆえ、そんなところに?」
カタスケ「ロマンですな。」
わかたけ「出たっ。ロマン!」
カタスケ「それが、静岡県沼津市戸田に鎮座する、諸口神社にござりまする。祭神は姫ですぞ。」









タケル(30)「よもや、よもや・・・だ。」
たけし「形見の品々については、以上ですか?」
カタスケ「御意。」
タケル(30)「では『タッチ』を葬らねば・・・。」
つづく
