恋愛不適合者、恋をする。
恋愛不適合者
僕は今まで本気で人を好きになったことがないのかもしれない。そんな、なにに対してかもわからない漠然とした不安を抱えて生きてきた。
自分と同性が好きということで学生時代の恋は想いを告げることもないままことごとく片思いで終わってきた。
過去に唯一付き合った人とも友達として好きなのか恋人として好きなのかわからず次第に連絡が途絶え自然消滅してしまっていた。
そんな状況に疲れ自分は恋愛不適合者だと、そう言い聞かせて数年間恋とは無縁で生きてきた。
27歳の冬、祖母を亡くした。90歳で大往生だったが、いつも自分を心配してくれていた祖母の少ししわがれた、優しさのこもった柔らかい声が聞こえない日々に心にぽっかりと穴が空いたようだった。
それから2週間ほど経った頃、1人の男性と出会った。
彼は僕が見たことのない世界を知っている人だった。この出会いが元来頑固な僕のそれまでの価値観、生き方にまで影響して僕の人生をモノクロからカラフルなものへと変化させるとはこの時の僕は考えてもいなかった。
自分を変えてくれた出会い
「ご飯できたでー」
母のいつもの声に生返事を返しながら、今しがたSNSアプリから発せられたフォローと自分の投稿に対するリアクション通知に目線が落ちていた。
Shinという名前のアカウントには目元が隠された40代と思われる男性の顔が覗いていた。短く整えられた髪に清潔感のある髭、白いTシャツが健康的な小麦色の肌によく映えていた。いかにも「界隈」でモテそうな雰囲気に僕は自然とフォローを返していた。
Shinさんのプロフィールは178cm95kg49歳らしい。
22歳差。ゲイの世界では歳の差があっても出会ったりすることはある。年齢については何もハードルには感じていなかった。それよりもShinさんと続くDMのやりとりが数週間前に大好きな祖母を亡くした僕の心の穴を優しく埋めてくれているような気がしてとても心地いい感覚が心を満たしていた。
メッセージの中で分かったことがある。彼の名前はしんじさんで住んでいるのはキラキラとした人工的な明かりが夜の海を綺麗に染める地域だということ。
夜になると太平洋の波音が静かに響くだけの地域に住んでいる僕とはあまりにも距離が離れていた。
しかしそんなことは些細なことだと言わんばかりに3週間後に会いに行く約束を取り付け、乗り方もわからない飛行機のチケットをとっている僕がいた。
ハンバーグとタバコの味
2月も下旬に差し掛かった頃、僕は空港に居た。
ここまで車で3時間、早鐘を打つ自分の心臓を感じながら「保安検査 やり方」とここ数日で何度見たかわからないページを目に映していた。
成田空港へ着いたのは夕日が山並みを綺麗なオレンジ色に染めている時だった。
(一体自分は何をしているんだ)
今まで遠出することもなく、人と会うのも億劫に感じるほどの出不精である自分の今の行動に大きな戸惑いを感じながらも体はしんじさんと会うため高速バス乗り場へ急いでいた。
バスの心地良い振動に揺られながらなぜ自分がこんな行動しているのか自問自答をするのと同時にーーー好きになってはならないし好きになられてもいけない。ある程度距離を取らなきゃ。と自分自身に言い聞かせていた。
今まで、初対面の人のことを好きになったりすることはなく一度会ってそれ以降は気が合えば会ったり、もしくは一度きりで終わったりそんな関係が多かった。今回もそんなふうに終わるんだろう。と、心のどこかで思っていた。
しんじさんとの待ち合わせの駅には19時ごろ到着したが、肝心の彼は仕事があり待ち合わせの時間は22時頃の予定だった。
彼から伝えられた到着時間が近づくにつれ自分の心臓の音が外に聞こえるのではと心配になる程大きくなるのを感じながら見慣れない街や無関係な人間に見向きもしない、どこか無機質とも感じられる行き交う人混みを見つめていた。
その時、雑踏の中から何度となく画面越しに見た男性がこちらに真っ直ぐ歩いてきた。
「あ、はじめましてっ!」緊張で心臓が飛び出しそうになりながら挨拶をした。
「はじめまして。数分後に電車出るんで。もう行けます?そこで切符買って。210円のやつ」モタモタしていると彼の低い声が聞こえてきた。
「すみません!」
「電車出ちゃったんで、ちょっとタバコ吸いに行っていい?」怒っているのかわからない彼の台詞に先ほどまでとは違う緊張が僕の心を支配していた。
黙って彼の後についていき喫煙スペースで彼がタバコを吸うのを眺めていた。
(怒ってるかな…呆れられたかも)
吸い終わった後、早足で歩く彼に必死でついて行った。
「晩飯は帰ってからどうするか考えようか」
「あ、はい!」
声のトーンであまり怒ってはないようなそんな気がして少し鼓動が落ち着いた。
「ここら辺地元だからもし俺が知り合いとかと会うことあったら知らんふりして」
電車に乗る前に告げられ電車内でも少し離れて立っていた。彼からのアイコンタクトで次の駅で降りることを知り、慣れない人の流れに彼を見失わないよう飛び込んだ。
彼のマンションは駅から徒歩数分ほどの近い場所にあった。
初めての部屋に少し緊張しながら彼の勧める通りソファに並んで座った。
最初は当たり障りない会話をしていた。次第にお互いの仕事の話になった。
「仕事は何してんの?」
「薬剤師してます。」
「すごいじゃん!じゃあ逆に俺はなんの仕事してるように見える?」
彼の問いに、僕は首を傾げることしかできなかった。
明かされたのは、僕のこれまでの人生では決して交わることのない、ストイックなプロの世界。
自分の知らない場所で、一瞬の集中力に命を懸けている。そんな彼の特別さを知るほどに、もっと深く彼に触れたいという欲が、僕の中で膨らんでいった。
そんな僕の気持ちを見透かしたかのように彼の腕が僕の肩を引き寄せ次の瞬間には僕の頭は彼の広い胸に預けられていた。
そのあとはお互いの欲望を晒して彼と甘く、熱く、お互いのことを知り合うように時を過ごした。
「流石に腹減ったなぁ。ハンバーグ作ろっか?」
シャワーを浴びて彼の胸で寝ていると彼が言った。
夜の2時半。今から?!と正直思ったが食べられないこともないから素直に応じた。
「あ、生クリームとバターないや。さっき駅から来る途中の道にコンビニ何店舗かあるから買いに行ってくれない?」
方向音痴な僕は少し不安だったが出掛ける用意を始めた。
「あ、隣の部屋にダウンコートあるからそれ着てって。」
彼が持ち出したのは11cmの身長差のある僕には大きすぎるくらいのダウンコートだった。もちろん上着なら僕だって着て来ているのだし何故貸してくれるんだろう。と不思議に思ったが彼のものを着れるのが嬉しくてそれを羽織り見知らぬ夜の街に飛び出した。
「ここにパン粉入れて。」彼が僕に言う。
ジップ袋のようなものに入っていて開いているように見えたのでそのまま振ると一向にパン粉が出てこない。不思議に思って何度も振っていると、「チャック開いてねえよ。さては天然ちゃんか?」と無邪気な笑みを僕に向けながら彼は笑った。その笑顔が嬉しかった。
ハンバーグを焼いている最中なんだか甘えたくなり彼の肩口に自分の顎を乗せた。なんだか懐いた犬みたいだなと自分で思っていると彼も同じようなことを考えたのだろうか、ふっと笑みを浮かべていた。
出来上がり、横で並んで食べていると僕の右側に座った左利きの彼の腕が時々僕の腕へと触れた。触れるたびに僕の心は大きく跳ね体温が上がるのを感じた。この時間がいつまでも続けばいいのにと思いながら彼の時々触れる腕の感触をただ、感じていた。
目が覚めると彼が隣でいびきをかいていてブラインドの隙間から柔らかな日差しが部屋へ一筋の道を作っていた。外からも子どもが遊んでいる声が聞こえている。
え…この感じ15時ごろかな…と時計に目をやると昼下がりの時間帯になっていた。
以前近くの観光スポットに行こうと言う話をしていたがどうやらそれは叶わないらしい。
頭で一瞬そんな考えが浮かんだがそんなことはすぐに消えて彼に体を預け、また深い眠りについた。
その夜デリバリーで注文した中華料理を食べながら満腹感とは別のなにか、心を満たすような満足感が僕を支配していた。
大の大人2人だったが頼んだ割に全ては食べられず食べかけの料理たちがテーブルの上に残ってしまった。
「なんか全然観光とかできなくてごめんな。」彼が言った。
「いや、全然。しんじさんに会いにきたんだし。普段からのんびり家で過ごすの好きなので。」と僕は寝転がった彼の上に抱きつきながら本心を返したが、頭では別のことを考えていた。
(2回目…無いかなぁ。僕は会いたいけど多分今日別れてそのまんまかもな。)
その時、彼の低い声が僕の頭めがけて降ってきた。
「次いつ来るの。」
「え!また来ていいんですか?」
「ダメだったらこんなこと聞かんやろ。」少し冗談ぽい声色で彼が言った。
「また会いたいってことですか?」彼の胸に自分の顎をつけ彼の顔を覗き僕も冗談ぽく返した。できるだけ重く聞こえないように気をつけて。
「それは言わねえ。」と彼は笑った。
「言ってくれないんだー。休み取らなきゃだから予定わかったら言いますね。」と少し笑いながら、落ち着いた口調で返したつもりだが僕の気持ちは旅行前日の子どものようにはしゃいでいた。
「帰りのバス何時なの?」
「あ、まだ決めてなかった。10時ごろのやつにします。でも改札からバス乗り場までの行き方がわからない。」
「俺も仕事だからそこまで送るよ。」行き方がわからないと言う僕の言葉に笑いながら彼が言った。
家を出る直前、玄関でキスをした。これで今回最後のキスか。と思っていたがエレベーターで下まで降りる間にまたキスがしたくなり彼を見上げたが目を合わせただけだった。
「そりゃここじゃダメですよね。」なぜこんなことを言ったのか。と、冷静になってつぶやいた僕の言葉を彼の唇が塞いだ。彼の噛んでいたガムのミントの香りと彼が吸っていたタバコの少しだけ残った苦い味が僕の口の中に広がっていく。この感覚を忘れないように僕は静かに目を閉じた。
そこからバス乗り場まで一緒に来てもらい彼は「じゃ、また」と手を挙げ仕事に出掛けていった。
普段、友達と泊まりがけで遊んだりする時1人の時間がないと耐えられなくなることがある。今回は初対面の人だったのにそれがなかったな。僕は空港までの長いバスの中で不思議な違和感を覚えていた。
僕のイヤホンからは片想いソングが流れていたがいやいや、これは違うよなと心地良い満足感に包まれながら自分に言い聞かせていた。
この感情の正体に気づかないふりをするかのように。
自宅に帰ったのは空がオレンジ色に染まっている頃だった。
それからは2日と明けずに連絡をする日々だった。スマホで彼の通知を確認するのがルーティンになっていた。
壁から覗いているスタンプを送ると
"どしたん?w 寂しくなった?ww"
画面越しの彼の言葉に、僕は寂しくなったと素直に返した。
――そんな自分に、僕自身が一番驚いていた。
"かわいいな笑
体はどう?大丈夫?"
あの夜の行為で体が傷ついていないか。と言う意味のメッセージだった。
これまで何人かと関係は持ってきたがこんな心配をされたことはなかった。
優しい人なんだな。と思い、忙しなく動いていた指が止まった。大丈夫とだけメッセージを返した。
"次いつ行けるかなー。もう会いたくなってる笑"
"計画立ててー。俺も会いたいよ。"
胸が高鳴った。あの時は言ってくれなかった「会いたい」という4文字。言わなくても通じているつもりだったがやはり直接伝えられるとこんなたった4文字で心が舞い上がる。
"GWはお仕事忙しいですか?"
"やばいくらい忙しいなぁ。"
"そうですかー。また行けそうな日があったら言いますね。"
この3日後彼からメッセージが届いた。
"GWの予定はどうなの?"
"なにも決まってないですよー。"
"来ないんやw"
"しんじさん忙しいって言ってたから笑
また2人の都合いい日にしますよ。"
"忙しくても家には帰るよ?"
"忙しいのに僕までいたら邪魔になっちゃうでしょ笑"
"そんなに遠慮してて大丈夫?会えるのに会わないんやw"
こんなやり取りの末、GWにまた彼に会いにいく約束をした。
少しでも長くいたいなら早くきて遅く帰ればいいよという彼の言葉に促され、次はもっと彼の家に近い空港の便にした。
それからの毎日は彼が隣にいなくても彼を近くに感じる日々だった。
彼から時々、何してるの?この休みは何してたの?というメッセージが来るたび冷静に返してはいたが心の中は気になってくれてるのかな?と期待して彼からの通知を見ては小学生の時秘密基地で宝物を一つ一つ並べていた時のようなあのなんとも言えない満足感が僕の中に満ちていた。
2度目の約束
GWの前半、僕は羽田空港発の高速バスに乗っていた。
家に着くと彼はソファに横になって寝ていた。どうやら昨日飲み過ぎて朝方帰ってきたらしかった。軽く挨拶を交わし僕はすぐに彼の胸へと飛び込んだ。彼の太い腕が僕の体を包んだ。少し香る柔軟剤の匂い、彼のタバコの匂い、この部屋の匂い…
いつ切れてもおかしくない、けれど僕と彼を繋ぎ止める細い糸のような関係の中でこの感覚を忘れないように脳みそに焼き付けようと大きく息を吸い込んだ。
彼の肩に顔を埋めていると
「まだシャワー浴びてないから臭いやろ」と彼が言った。
「なにも匂いしませんよ。僕の方こそ来る時汗かいちゃったから臭いかも。」と恐る恐る言うと
「いや、なんも匂いせん。」と彼が言った。
その時どこかで聞いた、体臭が心地いいと感じる人は生物学的に相性がいい。と言う言葉を思い出していた。
(無臭に感じるのは相性悪くはないのかな。)
そう思うことによって僕はこの不安定な関係を確かなものに変えようとしていたのかもかもしれない。
「あ、そうだ。これ、買ったけどサイズ合わなかったからあげる。」
そう言い彼が別の部屋へ行って持ってきてくれたのは真っ白な半袖のシアサッカーシャツだった。
「いいんですか、もらっちゃって!ありがとうございます。」
サイズが合わないという理由だったがプレゼントが嬉しかった。シャツをじっと見つめていると彼が言った。
「着てみてよ。」
彼に言われるがままそのシャツを着てみせた。
「どう…ですかね?」恐る恐る彼の表情を窺う。
「いいじゃん。」似合っていると彼が笑って言ってくれた。
似合っていると言ってくれた服をずっと着ていたかったが汚したくなくてすぐに脱いでシワにならないようにカバンに入れた。
それから一緒にシャワーを浴び、また並んでソファに座った。僕と彼はキスをしてベッドへ移動しお互いの熱を分かち合った。まるで逢えなかった時間を埋めるように前回よりも濃密な時間を過ごした。2人が果てた後、自分の体に残る若干の痛みさえも心地よかった。
「晩飯クリームパスタ作って、材料買ってあるから」
以前、好きと聞いていたので何度か練習していたが他人のキッチンは勝手がわからずいつもの倍時間がかかってしまった。
「じゃあ俺はゲームしてるから。」と言い後ろで待っていた彼も見ていられなくなったのか手伝ってくれた。
自分はこれくらいでいいと言って彼の方に多めにパスタを盛った。
「うん。美味いじゃん!」そう言いながら笑顔でこちらを向いた彼を見ているとどこか恥ずかしくもあり嬉しくもあり心がくすぐったいような感覚になった。
次の日、午後から仕事という彼と一緒に家を出て隣駅にあるとんかつ屋で昼ごはんを食べた。昨夜美味しいとんかつ屋があるとしんじさんが話していた。
――ああ、この人はいつも、こんな風に美味しいものを食べて、この街で生きているんだ。
彼の「日常」の欠片を一つ、分けてもらったような気恥ずかしさと喜びが、喉の奥を熱くさせていた。
仕事へ向かう彼を見送り、一人で歩く街は、人で溢れているのに心細かった。けれど「また今夜ね」というメッセージ一言で、世界は色を取り戻す。
その後彼のマンション近くの喫茶店に立ち寄って彼の部屋へ戻り、主のいない部屋の中で1人眠りについた。
目が覚めると時刻は21時を回っていた。
ネットサーフィンをしていると彼からのメッセージが飛び込んできた。
"なんしよん?腹は減った?"
"お部屋に帰って寝てました。お仕事お疲れ様です。お腹空きました〜!"
とすぐさま返事をして彼の帰りを待った。
彼は買い物袋の中から食材を取り出すと手際よくハンバーグを作り始めた。
トントンと包丁がまな板を叩く音が聞こえる。料理をしている彼の後ろ姿を僕はただぼーっと眺めていた。
この関係がいつか終わりを迎えてしまうとしたら、この幸せを味わった僕は生きていけるのだろうかと一抹の不安が頭の片隅で燻っていた。
多めに盛られたご飯を完食した僕を見て
「食えんじゃん!ぶりっ子してたのか〜?」と昨日のパスタを遠慮した僕を揶揄うように彼が笑った。
「昨日はあれくらいしか食べられなかったんです!」と僕は慌てて笑って答えた。
そんな些細なやりとりさえ幸せだった。
次の日彼がある動画を流した。『人を好きになったサイン』のような心理学的な内容だった。そこで紹介されている行動が僕がしんじさんにしていることそのままで顔が熱くなるのを感じた。
「あれ?これ全部心当たりあるなぁ〜」と彼が言った。僕は黙って真っ直ぐ前を見たままだったが彼がにやけて意地悪そうな笑みを浮かべているのがわかった。
畳み掛けるように彼が「もうすぐでお別れだね。」などと言ってきて僕は泣きそうになった。「口がへの字になってるぞ。」とまた揶揄われた。
僕は背を向けて荷造りを始めた。本当に泣きそうだった。それがしばしの別れが原因なのか好きになったことを伝えられない悔しさなのかは僕にはわからなかった。
電車の時間までは少し余裕があったが彼と少しでも一緒にいたい気持ちを振り切って出発した。泣いているところを見られたくなかったのかも知れない。
帰りの電車で彼にメッセージを送った。
"あとちょっとで離れちゃう。家にいる時から寂しかったです。泣かせようとするから"
"急に寂しさきてるな。わかってたよw
でもそこまでには見えなかったけどw
"また来ます泣
服までいただいてありがとうございました😊"
"またおいで。
夏たくさん着てねー!
気をつけて帰るんだよ。"
次の日、彼の仕事風景が送られてきた。GWでイベントがあると言っていたのでその写真だった。
目に映っている景色を切り取って送ってくれたことがとても嬉しかった。
ある夜、眠れないことをSNSに投稿した。
投稿して間もなく彼から眠れないのか。とメッセージが来た。
リアクションしてなくても見てくれているんだ。と嬉しくなった。
その時僕は仕事のストレスからか眠れない日が続いていてそのことを打ち明けた。
彼は電話しようと言ってくれて2時間ほど話に付き合ってくれた。
その日からお互いの時間が合えば電話をすることが何度かあった。
その中で都会に引っ越すつもりはないのかと聞かれた事があったが曖昧な返事しかできなかった。
今の生活全て変えて引っ越すのは無理だよなぁ。と彼は言った。
他にもお互いの恋愛観や地元の話など話して彼を知るたび、僕は宝物を並べるような満足感に浸った。
この頃からこの出会いは独りでいることを心配してくれていた亡き祖母がもたらしてくれた運命なのではないか。という考えが頭の中を漂っていた。
前回会って半年ほど会えない期間が続いた。
彼とのやりとりはスタンプやリアクションなどの簡易的なものに変わってしまい、僕はそれに対して寂しさや焦りのようなものを感じていた。
距離を保とうとしたのは自分なのにそれに耐えられなくなったのも自分の方だったのだ。
3回目に会いに行くのはGWから半年後のことだった。
初めてのデート
10月になり僕はまた彼の家へ向かっていた。
家に着くと彼はいつものソファで寝転がって映画を見ていた。それが終わるまで僕は彼の足元に座っていた。
「ここ掻いて。」と彼が膝を指差した。自分で掻けるやんと思いながら甘えられることが嬉しかった。
彼が突然この歌いいよねと言いながらHYさんの366日を流した。その曲は僕も大好きだったけどなぜかその話題にはあまり乗れなくて
なんでその曲を流したの?これからの僕たちを暗示してるのか?と思い少しだけ胸が締め付けられた。
次の日2人で出かけた。
ショッピングモールでスニーカーを見繕ってくれた。だがファッションに興味のなかった僕は自分の興味のあるお店に入ったりしていた。
「せっかくこうた(僕)のこと考えて見てるのにそんな行動されたら嫌だな。」彼に言われた。
ハッとした。なんて失礼なことをしてしまっていたんだろうと。今の関係が当たり前だと思ってしまい彼に甘えているのだとこのとき感じた。
「ごめん。」といいその後は彼に選んでもらったスニーカーとメガネを買った。選んでもらったスニーカーはとても履き心地が良かった。靴のことを語っている彼を見ていると少年のような無邪気さが感じられた。
その後は喫茶店に入り、ケーキを食べた。周りは女性しかいなかったがそんなことは気にならなかった。デートだなこれ。と僕はここ数年で感じたことのない幸せを感じていた。
帰り道、前を歩いている彼の背中を見ながら、これが最後になったら嫌だな。と思った。
最終日の朝、彼が寝ているそばで荷造りをしている時、ふと彼の寝顔を見た。なぜかはわからない。わからないが、この顔を目に焼き付けておきたいと思った。
今思えばこれが最後になると予感していたのかもしれない。
帰り際彼にキスをせがんだ。「今回一度もしてないから。」と理由をつけて。彼は嫌がらずに応じてくれたがなぜか気持ちが一方通行な気がしていた。初めて会った時エレベーターでしてくれたキスを思い出してしまった。
告白とその後
彼を見ているとどこか寂しさや孤独感を纏っていると感じることがあった。いつしかその寂しさに触れて寄り添いたいと思うようになった。気づかないうちにのめり込んでいたんだと思う。
知人に「告ればいいのに」と言われたが、怖かった。断られたら二度と会えなくなる。それなら曖昧なまま隣にいたい。けれど、思いは募る。
ついに、メッセージを送った。電話で伝えたかったが中々時間が合わなかった。
"たった3回会っただけなのに、大好きになっちゃいました。ほんとは電話か直接伝えたかったけど時間が合わないからメッセージですみません。ダメだったら諦めるので"という内容にした。
最後まで、重荷になりたくないと予防線を張ってしまった。
彼からの返事は夕方に返ってきた。
"気持ちには気付いてた。嫌じゃないし会うのも平気だよ。でも付き合えない。"
というものだった。
全身の力が抜けていくのを感じた。お腹の中に冷たく、重いものがのしかかるようなそんな感覚。
翌朝ご飯を食べながら1人泣いた。味も匂いもなにもわからない。ただただ泣きながら口に物を押し込んだ。
こうなることは予想していたのに。
こんな関係で付き合えないこともゲイの世界ではよく聞く話で期待なんてしてなかった。
遠距離だしな。付き合えたら関東に引っ越そうとか考えてたけど。
そんなことを考えながらただただ、泣いた。それから暫くは些細な事で彼のことを思い浮かべてしまう毎日だった。
彼の家で作った料理、彼が好きだと言っていた菓子パンを見かけた時、彼の住んでいる地名が耳に入った時。
彼と会ったのはたった3回だ。その3回で彼との記憶の断片がこれほどまでに散らばるのかと。
その破片を拾い集める度に僕の心臓に突き刺さり胸が苦しくなった。
傷つくことから逃げるための『気遣い』は、いつからか彼と向き合うことを放棄した『不誠実』になっていたのかもしれない。
自分の中の彼への想い、もしかすると彼から自分への想いも見てみぬふりをして無視していたのかもしれない。
メッセージのやり取りは続いていたが以前のように会ってくれることは無くなった。
数ヶ月後、彼が他の誰かと付き合い始めたことを知った。
まるで彼があの夜に流したあの歌のようだなと思った。
彼と逢っていた1年間、人生で1番生きているという実感があった。
彼の「孤独」や「寂しさ」に寄り添いたいという願いは叶わなかったが人を好きになる楽しさや痛みや悲しみを知れた時間だった。
愛することを投げやりにしていた僕に亡き祖母がくれた運命の出会いだったに違いない。
新しい道を歩まなければいけないとわかっているが、次会うときに一緒に行こうと思いスマホの中に保存したデートスポットのブックマークを僕はまだ消せないでいる。
