見出し画像

「本格カレー好きの友人 vs. わが家の母のカレー」(1539文字・掌編小説)

 中学二年生に上がる春休みのある日、山田が僕の家に遊びに来た。昼が近づき、母が「昼食を作る」と言い出したとき、胸の奥がざわついた。

 ――もしかして。いや、まさか。

 しかし、その「まさか」は現実になった。母は得意げに、湯気を立てるカレーの皿を持ってきたのだ。

 「山田くん、カレーが好きって聞いているわよ。急いで作ったからちょっと水っぽいかもしれないけど、たくさん食べてね」

 母の笑顔。彼女にとっては、何の疑いもなく「良かれと思って」したことだった。だが、僕の背中には冷たい汗が流れた。

 ――これは、まずい。

 僕は母のカレーの味を知っている。市販のルーで作った甘口。りんごとはちみつが溶けていることで有名な、やさしいやさしいカレーだ。でも、山田の「カレー」はそれとは違う。彼にとってのカレーは、辛さの中にこそ旨みがある、スパイスの刺激を楽しむものだった。「こだわるタイプのカレー好き」であることを自称している彼は、給食のカレーに対しても平気で文句を言う男なのだ。母にそこまでの情報を伝えていなかったことを僕は後悔した。

 恐る恐る視線を向けると、山田は皿の上のカレーをじっと見つめていた。

 「さ、食べて食べて!」

 母の弾む声が、居間に響く。山田はスプーンを持ち上げ、ためらいがちにカレーを口に運んだ。

 「……」

 沈黙。

 僕は、耳を塞ぎたくなった。

 「……甘い」

 山田は、そう呟いた。

 「このカレーってりんごとはちみつが入ってるから、甘くておいしいのよ」

 無邪気な笑顔でそう言う母。だが、山田は無表情のまま、もう一口、カレーを口に運んだ。そして、ゆっくりとスプーンを置いた。

 「……これ、カレー?」

 静かに放たれたその言葉が、胸に突き刺さった。

 母のカレーは、僕が小さい頃から食べてきた味だった。運動会の前の日も、おせち料理に飽きた日も、もちろん何でもない日にも、母はこのカレーを作ってくれた。僕にとっては「カレー」といえばこれで、喜んで食べていた。だからこそ、母も山田に喜んでもらえると思ったのだろう。

 でも、山田にとって、これはカレーではなかった。

 「いや……その……」

 何かを言おうとしたけれど、喉の奥に言葉が張りついた。母は、何も知らずに微笑んでいる。けれど、その笑顔が、いつもより少し寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。

 「おかわり、あるわよ」

 母はそう言って立ち上がる。その後ろ姿を見ながら、僕は自分のカレーをスプーンですくった。

 甘い。

 子どもの頃から慣れ親しんだ味。食べれば食べるほど、母の愛情が滲み出るような、やさしい味。でも、僕はこの甘さが、ひどく切なく思えた。

 山田は、もうスプーンを動かしていなかった。

 「……なあ」

 僕は言った。

 「俺にとっては、これがカレーなんだ」

 山田は驚いたように僕を見た。

 「お前のカレー観とは違うかもしれない。でも、俺はこのカレーで育ったんだ」

 そう言うと、僕はスプーンを口に運んだ。母のカレーは、やっぱり甘かった。甘くて、どこか胸が痛くなる味だった。

 山田は少し考えるように視線を落とし、ゆっくりとスプーンを手に取った。そして、もう一口、カレーを食べる。

 「……そうか」

 それだけ言って、山田は黙ってカレーを食べ続けた。

 その後、彼が僕の家で昼ごはんを食べることは減った。でも、たまに「カレーって何なんだろうな」と呟く彼に、僕は笑って答える。

 「人それぞれ、だろ」

 それを聞くと、彼はいつも少し困ったような顔をして、「俺のカレーは、まだまだ探し中だ」と言った。

 あの日以来、僕は母のカレーを食べるたびに、ほんの少しだけ切なくなる。けれど、スプーンを口に運べば、変わらず甘くて、やさしい味が広がる。

 僕にとって、それがカレーなんだ。

(完)


よろしければ、他の記事もお読みください。

短編小説・掌編小説集「まあ、だいたいで生きてます」

ショートショート集「たいしてドラマチックじゃない話」

エッセイ集「ごくふつうの、ちょっと特別」

いいなと思ったら応援しよう!

五十嵐雉虎(イガラシ・キジトラ)|準文筆家|掌編小説・ショートショート作家 よろしければ、ぜひ応援をお願いします!