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私にとっての3月8日~声が聞けなかった愛娘へ捧げる~第3章 理想と恐怖の狭間で

入院は3月6日。
分娩は3月8日予定。
3月3日に医師より告げられていた。

5日の夕方から夫の実家へ家族で移動した。

息子はしばらく、祖父母宅から登園になる。
そのことを、ただ、息子は、無邪気に楽しんでいるようだった。

時折、息子へどう伝えるか、考えていた。
夫にも、いつ伝えるか?相談していた。
夫は、うつむき黙っていた。

6日、午後入院した。
夫と息子も一緒に来てくれた。
個室に案内された。
私が勤めていた病院だったので
すぐ産婦人科の部屋と離れていることが分かった。

看護師の友人と助産師の友人、息子を取り上げてくれた
後輩の助産師も勤務している。

悲しい出産になる。
気を遣わせるな。
と私は考えていた。
そうすることで、自分の悲しみに少しクッションを
置いていたのだと思う。

3人で昼食を食べた。
夫婦で沈黙

私が息子へ伝えた

「赤ちゃんね、お空に行っちゃったんだって。病気だったみたい。」

息子は「赤ちゃん、もう、動かないんだ。」

小さいときから泣き虫で、
幼稚園も慣れるのに時間がかかった息子
その息子が
初めて「死」を知った

自分の妹によって

両手でお腹を触ってくれた
私も息子の手に自分の手を重ね
二人で娘をだきしめた
夫は涙をこらえていたんだと思う
うつむいていた

最後に私のお腹を夫と息子が触り家族写真をとった
二人が帰宅し

看護師の友人が来てくれた。

「良く耐えているよ。」

と伝えてくれた。
ありがたかった。

夜間帯になり、助産師の友人が来てくれた。
私はいつも通り笑顔で話していた。

「いい人でなくていいんだよ。」

と伝えてくれた。
彼女の気持ちも嬉しかった。

その時の私は、娘にとって
いい母でいたかった。

一人夜を過ごす
その日は眠剤をもらった。

翌日、医師の診察があった。
担当看護師は息子を取り上げてくれた助産師だった
心遣いを感じた。

寡黙な医師は
「今日、促進剤を投与します。反応が良ければ
分娩になるかもしれない。」

突然の提案と、恐怖心が一気に襲ってきた。

反応的に泣いていた。

「一人では耐えられない。」

「一人では産めない。」

残酷な現実に

私は、両手で顔を覆い、感情的になる

息子の出産時の苦痛と
死産すること
両方の恐怖が一気に来る

助産師が伝えてくれた

今回使う促進剤は、息子君の時とは種類が違うこと。
マイルドに効いてくること。
今日は反応を見るための投与であること。

少し時間をくれた。

夫へ泣きながら連絡し

「一人では産めない。」

何度も伝えていた。

娘のために

”良い母でありたい”

でも

1人で産むのは”耐えられない”

私は ”理想” と ”恐怖” の狭間で

ただ涙に溺れていた



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