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【子育てエッセイ】「お父さんすごいね」は、そんなに褒め言葉だろうか

こんにちは、きいぴくみんです。
3人の子どもを育てている父親です。長男と、双子の娘がいます。
双子は昨年に早産で生まれ、NICUに入院していました。
現在は育休を取りながら、妻と育児中心の生活をしています。



「お父さん、すごいね」

私が双子の育児をしていることに対しての言葉だ。
昨年、双子が生まれてから、何度も聞いた。
双子がNICUに入院していたときも、退院してからも。

言った側に悪気がないことはわかっている。
むしろ、応援やねぎらいの言葉だということも。

それでも、どこか引っかかる。

父親が育児ができることって、本当に「すごいこと」なんだろうか。



私は、今は妻と同じくらいには育児に関われていると思っている。

この前の春休み、妻と長男が3泊で帰省した。
その間、私は双子と自宅で過ごした。

3泊のあいだ、基本的には一人で育児を回すことができた。

やることは多かったけれど、思っていたほど大変ではなかった。

むしろ、楽しかった。
双子のいろんな表情が見られたし、たくさん遊べた。
落ち着いて向き合う時間もあった。

双子は比較的育てやすいタイプなのかもしれない。
4か月とはいえ、夜通し寝ることが多いし、ミルクで育てている。
いくつか条件が重なっていたのは確かだと思う。

それでも、自分の中では「特別なことをしている」という感覚はなかった。



育児の多くは、やればできるようになるものだと思っている。

ミルクをあげること。
おむつを替えること。
お風呂に入れること。

どれも、特別な才能が必要なものではない。

赤ちゃんが泣いている理由も、
長く接していくうちに、
なんとなく分かるようになってくる。

最初からできたわけではなくて、
ただ、関わる時間の中で少しずつ身についてきた。



今は双子が生まれて一年の育休中だ。

その時間があったからこそ、育児に関わる機会が増え、
結果として、できることも増えていった。

もしこの時間がなければ、
ここまで関われていたかは分からない。

そう考えると、評価されるべきなのは自分の頑張りというより、

育休を取れる環境のほうなのではないかと思う。

時間がなければ、関わることも、慣れることもできない。

環境があって初めて、「できるようになる」余地が生まれる。



お母さんが同じことをしても、「すごい」と言われる場面はあまり見かけない。

少なくとも、妻がそう言われているところは見たことがない。

でも父親だと、「すごいね」になる。

そこにはきっと、
「父親はそこまでやらないもの」という前提があるのだと思う。

だから、その前提を少し超えただけで評価される。

でも自分の感覚としては、
ただ親としてやるべきことをやっているだけで、
特別なことをしているつもりはない。



もちろん、最初からできたわけではない。

5年前に長男が生まれたときは、
ここまで関わることはできなかった。

育休も2週間ほどしか取らず、
どうしても妻の方が育児の中心になっていた。

おむつ替えや沐浴といった個々のことはできても、
「なぜぐずっているのか」「何を求めているのか」は分からなかった。

長男のことを、妻の方がよく分かっていた。

その差は、関わっている時間の差だったと思う。



昨年、双子の娘が生まれた。
25週の早産で、700グラムの超低出生体重児だった。

双子はNICUに入院し、
浣腸や服薬など、一般的とは言えないケアも必要だった。

それでも、面会を重ねる中で、少しずつできるようになっていった。

特別なことをしている感覚はなかった。
ただ、関わる時間の中で慣れていっただけだった。



改めて思う。

育児ができることで、「お父さんすごいね」と言われることには、やはり違和感がある。

「すごいね」と言われるほど特別なことをしているわけではないし、
そういうものでもないと思っている。

ただ一人の親として関わっている。
それだけのことだ。

「すごいね」じゃなくて、
一人の親として見てもらえる世の中になるといいなと思う。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事では、父親として育児に関わる中で感じたことを書きました。

他にも、NICUでのことや、双子との日々についても記録として残しています。

もしよければ、他の記事ものぞいてみてください。

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