言葉たらずな思い
もうずいぶん前にこの世からいなくなってしまったおばあちゃん。とても物静かな人だった。ぺらぺらと話しているのを見たことがないし、ぽつりぽつりと話しているのを見たこともない。いつも静かにその場にいた。
小さな頃から自分の気持ちを言葉にすることが苦手だった私。「おとなしい子だね」と言われてきた。それはいい意味の時もあれば、悪い意味の時もあった。話さずに静かにしていることは、よく思われることもあれば、悪く思われることもあった。きっとどんなことでも、人によって受け取り方は違うから、どちらがいい悪いではなくて、受け取り方の違いだけなんだと思う。
いつも静かなおばあちゃん。おばあちゃんの家へ遊びに行くと、帰る時にちょっとしたおこづかいを包んでそっと渡してくれた。その時に「お菓子でも買いな」と声をかけてくれたぐらいしか話したことがない。車に乗って後ろを振り返れば、見えなくなるまでずっと手を振ってくれた。
そんな物静かなおばあちゃんのことが大好きだった。話したことはほとんどない。笑っている顔もあまり見たことがない。いつも静かにただその場にいた。だけど、ただそこにいるだけなのに、温かさや優しさが伝わってきた。
おばあちゃんと母は、時々手紙のやり取りをしていて、そこにはいろいろ綴られていたらしいので、静かだけどその心の中では当たり前だけどいろいろ考えたり感じたり思ったりしていたのだと思う。ただそれを表現するのが苦手だったのか、出来なかったのか、あえてしなかったのか。
おばあちゃんが危篤になった夜中、病院へ会いに行った両親。私はベッドの中で眠っていたけれど、ふと目が覚めて真っ暗闇の中、胸がぽわっと温かくなった。おばあちゃんの気配を感じた。見えないし声も聞こえないけど、おばあちゃんが「ありがとう」と言ってくれてるような気がした。
いつも静かで、自分の気持ちを言葉にしなかったけれど、その姿から、話すことが苦手だった自分のことを肯定されていたような気がする。言葉にしなくても伝わることはあると気付かせてくれた。
今、小さな頃よりずっと自分の気持ちを言葉に出来るようになったし、あれこれ考えず話せる人もいるし、なるべく自分の気持ちを言葉にしていたいなと思ってる。言葉にしないと伝わらないことがあるから。でも、話さずに伝わることはあって、話さなくても大丈夫だとも思ってる。
遊びに行くといつもそっと小さくかけてくれた「これでお菓子でも買いな」となんでもない言葉。その中にぎゅっといろいろな思いがつまっていたような気がする。
