50代共働きの「寂しい」を分解してみたー 子ども・仕事・夫婦、それぞれの距離が少しずつ変わるとき
最近、犬を飼った。
まだ3ヶ月の子犬で、
散歩には出られないから、抱っこして外を歩く。
抱っこしていると、よく話しかけられる。
「何ヶ月ですか?」
「かわいいですね」
犬がいなければ、たぶん声はかけられない。
そのやりとりが、なんだか少し嬉しい。
そしてふと気づいた。
あれ、私、
少し寂しいのかもしれない。
大きな問題があるわけではない。
家族とも揉めていない。
仕事も順調だ。
それでも、なんとなく、
少しだけ寂しい。
この感覚は何だろう。
そう思って、自分なりに分解してみた。
子どもが、親から少し離れていく
子どもが小さい頃、
親はずっと生活の中心にいる。
送り迎え。
学校のこと。
友達関係。
進路のこと。
毎日、何かを一緒に考えて、
何かを一緒に決めていた。
でも子どもが大きくなると、
その役割は少しずつ減っていく。
親が不要になったわけではない。
ただ、
中心ではなくなる。
それは成長として嬉しいことでもあるけれど、
同時に、少しだけ寂しい。
夫婦が「共同経営者」でなくなる
子どもが小さい頃、
夫婦は家庭という会社の共同経営者みたいなものだった。
どちらが迎えに行くか。
明日の予定をどうするか。
生活をどう回すか。
毎日、小さな会議をしていた。
でも子どもが大きくなると、
その共同プロジェクトが減る。
同じ家に住んでいるし、
ご飯も一緒に食べる。
仲が悪いわけではない。
ただ、
それぞれの生活が静かに分かれていく。
それは自然なことだけれど、
ふと気づくと、接点が少し減っている。
仕事は順調なのに、寂しい
仕事はむしろ順調だったりする。
経験が増えて、
任される範囲も広がる。
若い頃よりも、
少し遠くまで見えるようになる。
私の仕事も、
だんだん「走る仕事」から
「種をまく仕事」に変わってきた。
トレンドを見つける。
調査を作る。
企画の芽を出す。
そこから先は、
チームが走る。
チームが盛り上がるほど、
自分は少し外側にいる。
成果は出ているのに、
会話の量は減る。
それが、少し寂しい。
友人も同じ時期に忙しい
この年代は、
みんな同じタイミングで忙しい。
子どもの受験。
仕事の責任。
親のこと。
「また会おうね」と言いながら、
なかなか会えない。
仲が悪いわけではない。
ただ、
人生の渋滞期。
犬は、解釈がいらない
そんな時に、犬が来た。
犬は不思議な生き物だ。
計算しない。
駆け引きしない。
空気も読まない。
ただ、
「好き」
「遊ぼう」
「見て」
それだけ。
人間の関係は、
どうしても解釈が増える。
今の言葉はどういう意味だろう。
あの態度は何だったんだろう。
でも犬は違う。
解釈がいらない。
それが思っていたより、
ずっと楽だった。
寂しさは、問題ではなくフェーズ
こうして分解してみると、
この寂しさは
孤独ではない気がする。
子どもが少し離れ、
夫婦の形が少し変わり、
仕事の役割も変わる。
人生が次の形に変わる途中。
関係がなくなったわけではない。
ただ、
密度が少し変わる。
今日も犬を抱っこして、外を歩く。
犬は通りすがりの人に、
キョトンとつぶらな瞳を向ける。
私はそれを見ながら思う。
ああ、
人はこうやって、
少しずつ人生の形を変えていくのかもしれない。
そしてその途中で、
少し寂しくなるのかもしれない。
でも、
それはきっと、
悪いことではない。
#マルチーズ 僕の前にときどきくるコイツ!スリッパ!僕と同じぐらいの大きさで同じぐらいモコモコなんだ!お前は誰だ?僕? pic.twitter.com/NuMFoSBOZr
— 知識ゼロからの中学受験からのヨレヨレ日記 (@kidsedujapan1) February 23, 2026
#マルチーズ の可愛さを布教していきたい😊 pic.twitter.com/QoN6Zexrnj
— 知識ゼロからの中学受験からのヨレヨレ日記 (@kidsedujapan1) January 30, 2026
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