主体と客体

述語論理についての解説を見ているうちに、「構造を・・・・与える」という記述が気になってきた。

私は、構造とは事物に与えられている既定のものであり、主体がそれを見出すかどうかが問題だ、という立場から語ることが多い。

しかし、対象の内部に要素や性質を認め、その要素の重なり合いを認めた結果が構造であるとしたら、それは主体が構造を創出するということではないか。

ここで思い出したことがある。夏目漱石の「夢十夜」。

その第六夜では、夢のなかで「鎌倉の木には仁王が埋まっており、明治の木には埋まっていない」と悟った、ということが語られていた。

このことは、事物の構造が既定のものであるか、観る主体が創るものであるかの違いを(時代の違いに言寄せて)述べているのではないのか。

主体と客体という言葉は耳にたこができるくらい聞いてきたが、その本質について、さらに考えてみたくなってきた。
(2026.1.14)

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